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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
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希望に目を留める

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。                 (ヘブル書10章39節)

旧約聖書のサムエル記第一に、夫が戦死し、その知らせを聞いたしゅうとがショック死するという悲劇の場面で、男の子を出産する女性の話が出てきます。彼女は悲嘆のあまり、新しい生命の誕生には目もくれず、放心状態の中で、「栄光はイスラエルを去りました。」と口走り、生まれた子に、そのような意味の名を付けたというのです。

よく、「泣きっ面に蜂」とか、「間が悪い」とか言うように、不幸な出来事が重なることがあります。一家の大黒柱が倒れたりすれば、家族全体の生活が、たちまち一変してしまうものです。そうなると、この女性のように、「栄光は去った。」と決めつけ、放心して、へたり込んでも無理からぬようにも思えます。

しかし、このようなものの見方は正しいでしょうか。この女性に関して言えば、相次ぐ不幸の中ではありますが、無事に男の子が生まれたのです。どうして、このお母さんは、その希望を全く感じることができなかったのでしょうか。どうして、元気に産声を上げている子に注目せず、失ったものだけに心が奪われてしまったのでしょうか。

 私は彼女の口から、「栄光は去った!」という言葉を聞きたくないです。その代わりに、「希望が与えられた!」と言って、生まれた子に目を注いでほしいです。どんな状況に立ち至っても、落ち着いて見回してみれば、私たちは、いくつもの希望の芽をみつけることができるはずです。

イエス様は、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14-18)と約束されました。また、「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」(14-19)と励ましておられます。罪に勝利し、よみがえられた栄光のイエス様は、いつも私たちと共にいてくださるのです。もし、栄光が去ったりすることがあるとすれば、それは私たちの不従順の結果です。

すねて、神様に背を向けていては、光は差し込みません。聖書は、「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4-8)と、私たちを促しています。私たちは主イエス様を信じ、祈り続けて、豊かな祝福を授かる教会とさせていただきましょう。



無題 | 20:54:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
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