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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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復活の希望に生きる!
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ伝20章19節)
 受難週にパリのノートルダム大聖堂が火災で大きく損傷したというニュースが流れ、世界中の人々が、その貴重な歴史的遺産に起こった悲劇を悼みました。しかし、フランス大統領は五年以内の再建を約束し、事実、再建に必要な額を超える寄付金の申し出があるとのことです。このニュースもまた、イースターにふさわしく、イエス様のよみがえりを証しているかのようです。
 二千年前、イエス様の呼び掛けに応え、職を棄て、弟子となっていった者たちは、十字架に架けられた主を、悲嘆と絶望の思いで見上げたことでしょう。期待に溢れて聴いた「互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13-34)という教えも、主の十字架と葬りとともに輝きを失い、多くの弟子たちがもとの生活へ戻ろうとしていました。
 しかし、女たちが香料を持って墓に行くと、天使たちが、「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24 25)と告げたというのです。その後、主は弟子たちの只中に立たれ、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20-21)と、彼らを福音宣教へと遣わされました。
 ですから、使徒たちは行く先々で、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2-32)と、イエス様の復活の事実を証し続けたのです。パウロもまた、「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、」(第一コリント15-14)と、私たちの信仰の土台がイエス様のよみがえりにあることを告げています。
 私たちが信仰の歩みをともにした兄姉たちの幾人かが、既に主のみもとへと召されていきました。兄姉たちの墓碑には、「我は、よみがえりなり。いのちなり。」(ヨハネ11-25)という、イエス様の勝利の宣言が刻まれています。兄姉は地上での信仰の歩みを終え、主のみもとへ召されましたが、私たちと同様に、主イエス様を讃美し、父なる神に礼拝を捧げています。
 この復活祭の良き日に、あなたも救い主イエス・キリスト様を信じ、罪の赦しをいただき、残された地上での日々を、神を讃えつつ歩ませていただきましょう。


無題 | 21:20:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
「いのちの道」を進もう!
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル書11章6節)
 四月は花見、子どもたちの入学、就職と華やぐ季節ですが、加えて、新元号「令和」の発表もあり、日本の春は祝賀ムードが高まっています。教会も頭なる主イエス様の御復活を祝うイースターを迎えますから、新たな力をいただくときとさせていただきましょう。私たちの主イエス様は「永遠に存在され」、「変わることのない祭司の務め」(ヘブル7-24)を果たしておられます。
 あのイエス様の、「わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。」(ヨハネ17-9)という「大祭司の祈り」は私たちのために、今もなお捧げられています。牧師が祝祷を捧げるとき、「よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださる」(ローマ8-34)とあることを思い起こしましょう。
 1人の人が「真の礼拝者」(ヨハネ4-23)となることは、子々孫々に大きな祝福をもたらします。その実例がルツです。異教の地に育ち、夫に先立たれるという不幸に遭遇しましたが、姑ナオミの信仰する真の神を信じ、ベツレヘムへ移住し、ダビデ王、救い主イエス様へと繋がる家系の母となりました。神の摂理は実に不思議であり、偉大です。
 姑ナオミはベツレヘムへ帰ろうとしたとき、ルツにモアブの地に残ることを勧めました。しかし、ルツは、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(1-16)と告白し、信仰による祝福を選び取りました。神の招きに従うとき、私たちは驚くべき神の摂理を経験し、みわざを誉め讃える者とされます。
 神様は私たちの前に、イエス様の「いのちに至る門」(マタイ7-14)を開いていてくださいます。私自身、その道を歩んで来れたことを感謝します。なおこの先、どのような祝福が待っているか、楽しみです。この良き季節、多くの人たちが「いのちに至る門」から入り、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)に与れるよう祈り、働いてまいりましょう。


無題 | 20:05:24 | トラックバック(0) | コメント(0)