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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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真の礼拝者とさせていただきましょう。

全地はあなたを伏し拝み、あなたにほめ歌を歌います。あなたの御名をほめ歌います。(詩篇66篇4節)
 先日、平塚川添遺跡公園で開かれた「野草積み」のイベントに参加しました。俳句の歳時記に記されている春の植物に触れてみたいと思ったからです。30分程で春の七草をはじめ、よもぎ、スミレ、タンポポ、野蒜、、椿や陽光桜の花などを積み、天ぷらにして食しました。「神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。」(創世1-11)という創造のみわざを想い、神を讃美しました。
 とかく「雑草」と邪魔者扱いされがちな野草ひとつひとつに名があり、花が咲き、味わいがあります。「神は見て、それをよしとされた。」(12)とあるように、野のペンペン草(なずな)さえも神の創造の種であり、他のものをもっては代えられない固有の植物です。
 ましてや、「神に似せて彼を造られ、」(創生5-1)と記されているほどの人間は、更に尊い使命を与えられて創造されています。イエス様も空の鳥や野のゆりをさえ養われる神が、「ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」(マタイ6-30)と語り、「神の国とその義とをまず第一に求め」(33)るよう勧めています。
 ハローワークの前を通ると、企業の求人広告が掲示されています。聖書には、「霊とまことによって」神を賛美する「真の礼拝者」(ヨハネ、「4-23)を神が求めておられることが記されています。進んでこの招きに応じ、「真の礼拝者」とさせていただきましょう。
 社会が健全に機能していくために、人々の忠実な働きが続けられていることを感謝します。しかし、その背後にあって、神が良き環境を整えていてくださることを忘れてはなりません。まず、神の愛と見守りに感謝して、ふさわしい礼拝をお捧げするところから、新たな週を始めてまいりましょう。


無題 | 16:07:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
「愛する」者に変へられます!
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5章17節)
 いつもスロージョギングをする公園の池には鴨が去って、代りにツバメがやってきていました。出店の支度も進んでいましたので、今週は花見客でにぎわうことでしょう。そんな良き季節に、教会では「復活の希望」の案内の配布を始めました。各地の被災地では「復興」の取り組みが進められています。災害によって破壊された街を再建していく働きです。人もまた、さまざまな失敗や挫折を経験しますが、その中から、確かな希望を見い出すことができれば、「永遠のいのち」へと復活できます。
 最近も児童の虐待や高齢者が標的とされる強盗など、悲しむべき事件の報道が続いています。そのようなニュースを聞く度、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3-23)という、「罪人」である人間の実態についての描写を思わされます。それはすべての人の心に巣くう罪であり、暴発する可能性を持つ「犯罪の芽」なのです。
 こうした不安定で、危うい状態にある人間と社会を守るため、神は「殺してはならない。」(出20-13)、「盗んではならない。」(15)、「偽りの証言をしてはならない。」(16)といった律法を与え、人と社会を守ろうとされました。しかし、この律法には人間の罪の性質を変える力はなく、詭弁を弄して、神の道を捻じ曲げる者へと堕落していきました。
 イエス様はそのように惨めな「罪の奴隷」(ローマ6-17)状態にあった私たちの救い主として来てくださり、私たちの罪を身代わりに負い、救いの道を成就してくださいました。その「罪への勝利」、「キリストによる救いの希望」を感謝するのがイースター(キリストの復活祭」です。
 イエス様を信じる人の心には聖霊なる神が宿り、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)という美徳のプレゼントが与えられます。この聖霊の恵みによって、私たちは神を愛し、人に仕えることのできる者へと、日々新たにされていくのです。このイースター、イエス様を信じ、聖霊の賜物をいただく人たちが起こされるよう祈り、働かせていただきましょう。


無題 | 20:45:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
真実の奉仕者になろう!
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。(ルカ伝16章10節)
 先に九州視覚障害者信徒会の各県からの役員の集いが開かれ、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(マタイ20-26)と語られたイエス様の御言葉から、メッセージを取り次がせていただきました。会員の皆さんは多かれ少なかれ視覚に障害があり、高齢の方々も多くなっています。それに加えて、病と闘っておられる方々も増えています。普通に考えれば、仕えてもらう資格があるのです。しかし、そうした方々が皆、当然のように「仕えるしもべ」となっておられるからこそ、この会は成り立っています。
 また、あの東日本大震災からの復興の闘いが8年続けられてきたとのことで、その軌跡をたどる報道が多くなされていました。やはり、その闘いの中心を担っておられる方々は被災者の皆さんです。家族、職、財産、故郷を失った人たちが、悲しみを抱えたまま、被災地の再建を担っていますこの方々の中にも、「仕えるしもべ」の姿を見ることができます。
 教会もまた、主イエス様に使えるしもべたちの働きによって成り立っています。ほとんどのメンバーが何らかの弱さを抱えていますが、イエス様に出あい、たましいの生まれ変わりをいただき、教会を立て上げる尊い働きに任じられています。それは神の救済の働きであり、その権威を委ねられているのが教会です。
 イエス様はナタナエルを召されたとき、「彼のうちには偽りがない。」(ヨハネ1-47)と語られました。その後、ナタナエルが活躍した記述はないのですが、復活のイエス様が弟子たちに現れたとき、彼はしっかり弟子の1人としてとどまっていました。(ヨハネ21-2)私たちもナタナエルのように、大きな働きはできなくても、忠実なイエス様の弟子として歩み通す者でありたいと願います。
 イエス様はナタナエルに「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」(ヨハネ1-48)と語られましたが、彼は静まって祈りの奉仕をしていたのではないでしょうか。これもまた、私たちが倣うべき弟子の姿です。混迷する時代にあって、忠実な祈りの奉仕者として歩ませていただきましょう。


無題 | 20:06:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
赦す神・裁く神!
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタイ伝5章18節)
 今夕から、私たちは九州の視覚障害者キリスト信徒会の集まりに参加し、夜の集いでメッセージの御用をさせていただきます。この働きは全国に繋がりをもっており、私は九州の地区委員を仰せつかっています。何ができるかなと祈った結果、示されたのが、教会任職の当初に書いた週報のメッセージを、会のメーリングリストにアップすることでした。当初それを読まれた教会員はわずかでしたが、その後、ブログにアップしたり、今回、こうして視覚障害者の信仰成長に役立てていただいたりと、思わぬ方法で、主が用いていてくださることを感謝します。
 また先日は、あの豪雨災害から一年8カ月を経た、林田の仮設集会所で「早春の音楽プレゼント」をさせていただきました。7名の被災住民の方々と、4名の奉仕者の和やかな集いでした。これからまた大雨の季節に向いますので、神様の守りを祈る賛美歌も歌わせていただきました。仮設に住める期間は二年と限られているそうですので、それぞれに最善の道が開かれていきますよう祈りましょう。
 先週、私たちはイエス様が律法につき語られた、「廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5-17)という教えについて学びました。律法では、「殺してはならない。」(出20-13)と命じていますが、イエス様は、兄弟に向かって「『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(22)と教えられました。心に湧き上がる悪意を「殺す」に匹敵する罪と規定されたのです。
 最近報じられている子どもの虐待や、高齢者を狙っての詐欺のニュースに、「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3-18)という御言葉を思わされます。「殺してはならない。」とか「盗んではならない。」という絶対的律法が欠落した人たちが育っているのです。神の御言葉をもって「いのち」の教育をしなければならない教会の責任を感じます。
 教会はイエス様を信じる者に「罪の赦し」(エペソ1-7)を宣言し、バプテスマを授ける権威を与えられています。しかし、「罪から来る報酬は死」(ローマ6-23)という、神の警告をも伝えなければなりません。この地に立てられた教会として、神のみことば、聖書のメッセージを語り続けてまいりましょう。


無題 | 20:48:52 | トラックバック(0) | コメント(0)