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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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天国へ通じる道!
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ伝23章43節)
 今日、私たちは一年前、主のみもとへ召された故K兄を思い、記念の礼拝を捧げます。兄がイエス様への信仰を告白したとき作った短歌、「八十歳にて救われし兄はっきりと牧師の後に付きて祈れり(が、そのときの感動を呼び覚ましてくれます。両親の救いを願い、教会へ連れて来られたG姉の祈りは聴かれ、御両親共にイエス様への信仰を告白され、「神の子ども」(ローマ8-14)とされました。いま闘病の中にあるF姉の支え、御葬儀に集われ、キリスト信仰の希望について聞かれた方々の救いのためにも祈らせていただきましょう。
 聖書は、「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4-12)と伝えています。また、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ1013)とも約束しています。災害への備えも大切ですが、「たましいの救い」(Ⅰペテロ1-9)は更に大切です。
 人はさまざまな動機からイエス様を訪ねることがあります。ある若い役人は「永遠のいのち」を求めてイエス様を訪ねましたが、自分の仲にある罪を認めることができず、悲しんで去ってゆきました。一方、取税人ザーカイは自分の罪に気づき、素直にイエス様を信じ、「大喜びでイエスを迎えた。」(ルカ19-6)とあります。二人の方向は大きくわかれました。ザーカイのたましいは救われ、神をほめたたえる人生となりましたが、役人の歩みは更に深い苦悩へと踏み入ったにちがいありません。
 もちろん、救われたザーカイのその後が何の苦労もない人生であったと言うのではありません。むしろ、ペテロはクリスチャンには「さまざまの試練」(Ⅰペテロ1-6)があることを教えています。きっとザーカイはその試練の中にあっても、救われた喜びを失うことはなく、主の道を歩み通したことでしょう。
 私たちは「神は愛」(Ⅰヨハネ4-8)であることを感謝します。だから、喜んで、主を讃美するのです。聖霊を宿し、「生ける神の宮」(Ⅱコリント6-16)とされた私たちは、残されたこの世の歩みにおいて、主イエス様に心からの礼拝をお捧げしてまいりましょう。
「百万人の福音」2月号 牧師の入選作
 みことばの種蒔き行かば広がれる畑に大豆の豊けき実り
指先でヨブ記味はふ秋の朝


無題 | 17:25:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
「光の子ども」らしく!
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。(エペソ書5章8節)
 祝福の新年、聞こえてくる世界情勢に関するニュースは明るいものではないように感じます。北朝鮮のみならず、韓国との関係も危うくなっていますし、アメリカの政府機関の閉鎖も長引いています。ロシアとの北方領土に関する見解の隔たりも明らかになっていますし、イギリスのEU離脱も混沌としています。中国の海洋進出、キリスト教弾圧も強まっていると聞きます。このような不安の時代にあっても、使徒たちが「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒17-28)と告白したように、教会も堅く立って、福音の真理を証しし続けましょう。
 「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」(エペソ5-16)というパウロの勧めが心に響きます。戦争に迷い込んでいってしまった時代のような暗雲の立ち上がりを感じる今、「光の子ども」としての教会の果たす役割は大きいはずです。
 イエス様は弟子たちに向って、「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5-14)と語りかけられました。その呼び掛けは私たちにも為されています。教会で神のみことばが朗読され、福音のメッセージが語られていくとき、人々に救いの道が証されますし、神への讃美が歌われるとき、人々は天に生けるまことの神がおられることに気づかされます。
 また、イエス様は教会を「祈りの家」(マタイ21-13)と呼ばれました。この年、進んで教会に集まり、全能の神の導きを祈りましょう。嘆きも不平も何の解決にもなりません。信じて祷りましょう。私たちは大きな神のみわざを視て、主イエス様の神をほめたたえることができます。
 昨年1月28日、故K兄が召天して一年が経とうとしています。奥様のF姉も弱っておられます。また、M姉も人生の最後の歩みに入っています。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道3-11)とあるように、立派に人生を全うされ、主のみもとへ召され行く魂の平安を祈りましょう。そして、私たちに与えられている健康、能力、財をもって、主イエス様にお仕えしてまいりましょう。


無題 | 11:05:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
この歳を実り豊かな年としましょう!
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ伝15章4節)
 今日は朝倉市の成人式で、牧師家のL兄も出席のため帰省しています。彼の成長と教会の歩みは同時進行でしたから、感慨ひとしおです。理想的な信仰者としての歩みができていませんので、親として、牧師として責任を感じますが、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩篇106-1)とある、主のあわれみに信頼しています。これからも、「光の子ども」(エペソ5-8)として歩んで行けますよう、お祈りください。
 「教会はキリストのからだ」(エペソ1-23)と表現されています。それは、イエス様が、この町に住んでいてくださるということです。なんという祝福でしょうか。しかし、ヨハネが、「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(1-11)とあるように、多くの人たちは、その祝福に気づいていません。教会が「罪の赦し」(エペソ1-7)や「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)を見い出す場所であるとは考えていないのです。
 そのような人たちに、どのようにして教会が宣べ伝えているイエス・キリストこそが「生ける神」(使徒14-15)であることを知らせたらよいのでしょうか。イエス様は、「御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15-26)と約束されました。私たちが礼拝、祈祷会を尊び、聖霊の助けをいただいていくとき、私たちの生活を通して、イエス様が「世の光」(ヨハネ8-12)であることが証されていくのです。
 イエス様は「まことのぶどうの木」で、私たちは枝ですから、「キリストのからだ」である教会に、しっかりと繋がっているならば、豊かに身を結ぶことができます。そうでなく、「キリストのからだ」から離れてしまうならば、イエス様はそのような人に、「枝のように投げ捨てられて、枯れます。(6)と警告を与えています。私たちは皆「豊かに実を結ぶ人生」を望み、「枯れ枝となって棄てられるような人生」は避けたいにちがいありません。
 2019年の新たな歩みが始まりました。みことばは私たちに、「御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5-25)と語りかけています。主イエス様への礼拝を尊び、聖霊の実を豊かに実らす進行生活を歩んでまいりましょう。


無題 | 17:06:15 | トラックバック(0) | コメント(0)