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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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教会の創立記念を感謝して
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(第一ヨハネ4章16節)
 先日、市長とボランティアの懇談会があり、参加しました。というのは、昨年の豪雨災害の直後から杷木に入って、援助活動を続けてくださった九キ災の働きについて報告する責任を感じたからです。イエス様が、「おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。」(マタイ10-26)と語られたように、隠れたところで黙々と為された、彼らの「愛の労苦」(Ⅰテサロニケ1-3)について、新市長にも知ってほしかったからです。
 終わってから、市長が来られ、「知りませんでした。これからも、よろしくお願いします。」と握手してくださいました。災害多発の時代、広域的な援助が必要とされますが、その良き例の一つとして、彼らの真摯な奉仕について、行政の長に報告できたことを感謝します。
 さて、今日は教会の創立32周年感謝礼拝をお捧げします。過日、少年の頃に教会に来たことのある大学生が、聖書の授業が あるということで相談があったので、教会にあった聖書をプレゼントしました。地域に教会があることが覚えられているのです。近々、「甘木聖書バプテスト教会ジョイフルクワイヤ」として、音楽祭で賛美歌コーラスを聴いていただく機会もあります。少しづつではありますが、教会の門が地域に開かれつつあることを感謝します。
 イエス様は、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3-3)と語られましたが、人が救い主を信じ、生まれ変わる場所は教会です。そしてまた、「みことばの乳」(Ⅰペテロ2-2)によって養われ、信仰者として成長していくのも教会です。誰でも罪人のまま、弱いなら弱いなりのまま来ることができます。しかし、そこで、罪を示され、心の向きを変えてイエス様を信じ、新しい歩みを始めていくのです。
 「まことのぶどうの木」(ヨハネ15-1)であるイエス様にとどまる人は「多くの実を結びます。」(5)と約束されています。聖霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)といった美徳が備わるようになります。これからも、この地域の人たちに、「信じる者が、ひとりとして滅びること」(ヨハネ3-16)のないように、私たちの罪を負うために来てくださった救い主、イエス・キリスト様を証してまいりましょう。


無題 | 16:26:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
教会は何を告白しているか?
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ書1章23節)
 先ごろ、「北九州シロアム会」の50周年記念修養会があり、メッセージの御用をさせていただきました。視覚障害者にイエス様の光を届けようとのビジョンで始められた会が、50年続けられてきたとは、主の導きであり、発起人のAご夫妻の忠実な信仰によるものにちがいありません。協力者の兄姉の献身的な奉仕もあって、祝された会となりました。これを機に、私どもも、できることをもって、応援協力させていただければ感謝です。
 さて、次週、私たちは甘木教会の32周年感謝礼拝をお捧げしようとしています。では、この教会を支える土台は何なのでしょうか。それは、イエス様が弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16-15)と問われたとき、ペテロが応えた、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(16)という信仰の告白です。
 神の御子イエス様が人となって来てくださり、私たちの罪を負って十字架の苦難を受けてくださり、信じる者を罪の縄目から解放してくださいました。私たちはペテロやトマスと同様に、イエス様を「私の主。私の神。」(ヨハネ20-28)と告白し、その救いの福音を宣べ伝えます。
 おそらく、すべての人に共通する願いは「幸せになりたい」ということでしょう。では、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3-23)と言われている人間は、どうしたら幸せになれるのでしょうか。罪人のままで幸せになることはできません。イエス様の権威によって、「あなたの罪は赦された。」(マタイ9-2)と宣告していただく必要があるのです。
 主イエス様は「バプテスマ」と「主の晩餐」によって、この「罪の赦し」を宣告する権威を教会にお与えになりました。1人でも多くの人が罪を悔い改め、バプテスマを受け、主の晩餐に与ることができるよう、教会に委ねられた「イエス様の救いの道」を証してまいりましょう。


無題 | 20:11:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
小さき者を大切にする神の愛!
このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。(マタイ伝18章14節)
 先日、健康福祉館で「秋の歌プレゼント」をしました。台風で延期されていた小学校の運動会があり、聴かれた方々は20名程だったですが、温かい雰囲気の集まりでした。次はクリスマス、多くの皆さんにお会いできることを期待しましょう。
 「週末台風」という言葉ができたそうですが、先週通過した24号も広範囲な停電をはじめ、深い爪痕を残しました。被災地の教会、皆さんに、心よりお見舞い申し上げます。
 さて、私たちはその台風が接近していた中で礼拝をお捧げしました。その中で、イエス様が語られた、「子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(マタイ18-4)という御言葉から教えをいただきました。また、「偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(20-26)とも教えられています。これは組織の上に立つ人が心すべき教訓です。
 また、イエス様の「いなくなった一匹の羊」のたとえ話から、神様がどんなに弱く、小さな物を大切にされ、目を留めておられるかを教えられました。山深く分け入って、いなくなった羊を見い出した牧者は、「迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶ」という表現に、苦難にあえぐ人間に対する、神の深い愛を感じます。
 私たちも弱い者、小さな者たちですが、イエス様に救われ、聖霊なる神を宿し、「永遠のいのち」を持つ者です。ですから、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」(Ⅱコリント12-9)という約束を信じ、どのように、神が用いてくださるか期待しましょう。主イエス様は教会を通して、「すべての人が救われて、真理を知る」(Ⅰテモテ2-4)ことを望んでおられます。この秋、「そのひとり子をお与えになったほど」(ヨハネ3-16)の神の大きな愛を証してまいりましょう。


無題 | 16:12:36 | トラックバック(0) | コメント(0)