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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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どう備えるべきでしょうか?
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3章18節)
 故I姉の記念会にはお子様がた御家族、御友人がたが集われ、キリスト信仰の希望について聴かれました。これを機に、皆さんがまた来会できますよう祈りましょう。その中のお一人、杷木のTさんが昨年の豪雨災害後に受けた、九州キリスト災害センターの援助について、深い感謝を述べられました。九キ災の尊い御奉仕があったればこそ、私たちに今なお、杷木の皆さんとの良き交流が与えられていることを感謝します。
 昨年の九州北部豪雨に次ぎ、今年は更に西日本の広い範囲に河川の氾濫、土砂崩れが起こり、甚大な被害となっています。更に、その復旧活動を妨げる記録的な猛暑も続いています。こうした状況の中で、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24-35)と語られたイエス様の預言が、説得力をもって響いてきます。
 私たちが子どもの頃、30度Cを越える日はめったにありませんでした。それが今は40度Cを越える日まであります。豪雨災害も年ごとに激しさを増しています。さまざまな有効な対策が叫ばれ続けています。いずれにも耳を傾け、備えを為すべきでしょう。しかし、「これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。」(ルカ21-31)というイエス様のメッセージには、何にも増して耳を傾けるべきです。
 イエス様は世の終わりについて警告されましたが、どのように備えるべきかについては、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14-1)と告げておられます。あわてることを諌め、救い主イエス様を信じ、「真の礼拝者」(ヨハネ4-23)として歩むべきことを教えておられるのです。
 港北NBCのK牧師より8月8日~12日に、被災地岡山へ救援チームを派遣される旨の協力依頼がありました。九キ災も広島、愛媛へ救助隊を派遣しておられるそうです。杷木で為されたような「キリストの愛」に根差した奉仕が捧げられることでしょう。私たちも祈りと捧げ物をもって、これらの良き働きに協力させていただきましょう。


無題 | 16:26:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
ここに 教会が立てられている幸い!
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ書3章20節)
 先日、北部九州豪雨から一年ということで、被災地の区長さんやボランティアの皆さんから、災害発声時の体験と、その後の復旧活動についての報告を聞かせていただきました。特に印象深かったのは、既に指定の避難所に移動するのが困難と判断した比良松の区長さんが、地元の公民館で自主避難所を運営されたこと、また、ボランティアによって道に出された山積みの廃棄物を、別の団体ボランティアを指揮して、処理場へ運んでもらったことなど、今進行している各地災害でも活用できる、貴重な体験報告でした。
 豪雨の後、猛暑が復旧活動を妨げていますが、聖書は、「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10-13)と約束しておられます。私たちは被災された皆様への「深い同情心」(コロサイ3-12)を持ち、早くもとの生活が回復されますよう祈り続けましょう。
 今日は去る5月29日、主のみもとへ召された故I姉の御遺骨と共に 最後の礼拝をお捧げし、墓地へ納骨させていただきます。姉のたましいは既に主イエス様の身傍に安らいでおられますが、どれほど教会と共に礼拝を捧げることを切望しておられたことでしょうか。甘木に賛美歌を歌い、聖書のメッセージを聴くことのできる教会を求めた姉の祈りに主は応えられ、甘木聖書バプテスト教会は当地で宣教を開始しました。姉の願いは良い地に落ちた「一粒の麦」(ヨハネ12-24)となり、今も実りを生み出し続けているのです。
 この地に協会が立てられていることは朝倉市民にとって祝福です。他所へ行かなくても、当地でイエス様の「永遠のいのち」の福音を聴くことができますし、賛美歌をはじめ、人々の心を慰める音楽も楽しんでいただいています。そして何よりも、生ける真の神に、この町の祝福を祈り続ける協会があることは、なんと幸いなことでしょうか。
 豪雨災害を経験する中で、市民の皆さんの多くが、これまで以上に、神への畏敬の思いと祈り心を持つようになっておられることでしょう。災い転じて福となす、イエス様を信じ、真の神に祈りを捧げる人たちが起こされていくよう、キリストの十字架と復活の証人としての働きを続けてまいりましょう。


無題 | 18:11:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
救われるために
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラテヤ書5章25節)
 今回の豪雨では、心配していた昨年の被災地は守られましたが、西日本各地に甚大な災害が今なお進行中です。被災された地方の皆様に心よりお見舞い申し上げます。今回の災害は当地にも起こり得ました。どこにも起こり得るのです。被災者の皆さんに寄り添って、まずは「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5-17)と勧められているように、全能の神のあわれみと助けを求め、祷援を続けましょう。
 原爆が落とされ、無条件降伏し、その焦土の中から復興してきた日本です。それから比べるならば、被災地の周辺には援助可能な健全な自治体が多く残されており、救援の手を惜しまない大勢の市民がいます。私たちも昨年の経験から、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4-13)と告白し、何を為すべきか考えてみましょう。
 また、タイの洞窟に閉じ込められていた少年たちについても神の御加護を祈らされていましたが、無事救出されたとのこと、感謝しました。潜水経験のない少年たちを、5KMもの困難な道のり、抱えるようにして助け出すことは、どんなに多難な任務であったことでしょう。罪に捕らわれた魂を、キリストの「永遠のいのち」に導く務めにおいても、あのダイバーたちのような使命感と勇気を持たねばと思わされました。
 では、水害の中から、あるいは洞窟の奥から救出された人たちは、なぜ助かったのでしょうか。それは、その人たちが身に迫っている危険を察知し、SOSを発して救いを求めたからです。そして、来てくれた救助隊を信じ、その指示に従ったからです。イエス様も、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。」(黙示3-20)と語られ、いつも、あなたの心に招き入れられるのを待っておられます。
 あのダイバーたちが衰弱した少年たちを支えて進んだように、聖霊は私たちを守り導いてくださいます。イエス様が、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」(ヨハネ15-5)と語られたように、私たちは迷い易いものです。主イエス様の導きに従い、この困難の世を進んでまいりましょう。


無題 | 18:33:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
神は礼拝者を求めておられます!
真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネ伝4章23節)
 先週、教会はY姉の信仰の証を聴き、主イエス様より託された権能をもって、姉にバプテスマを授けました。主の救いに与った者として、素直な一歩を踏み出した姉にも、託された任務を果たしえた教会にも、主の祝福が豊かに注がれました。
 「人は心に信じて義と認められ、」(ローマ10-10)とあるように、イエス様を救い主として信じる者は「罪の赦し」と「永遠のいのち」をいただきますが、この心に起こった救いを、バプテスマを受けることにより、神と教会の前で明らかにする従順が求められています。更に、主イエス様に従う人たちが起こされるよう祈りましょう。
 また、先週は昨年の豪雨災害からの一年目でもありました。復興へ向っての努力が続けられている中での台風ということで、主のあわれみを祈りましたが、大きな災害には至らず、感謝しました。あの災害を機に開かれた杷木の被災者の皆さんとの交流は、「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8-28)という、御言葉のとおり、仮設集会所での「歌とトークのプレゼント」として継続されています。未曽有の災害の傷跡からさえ、神は新たな交わりの門を開いてくださいました。
 2018年も上半期の歩みを終え、後半へと踏み出しました。主の日の礼拝を通して、「キリストのからだ」(エペソ1-23)である教会にしっかりと結びつき、「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方」である主イエス様から、豊かな知恵と力をいただきましょう。主は、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」(ヨハネ15-5)と語られ、礼拝を捧げることを通して、聖霊に満たされることの大切さを説かれました。イエス様が「かしら」(エペソ1-22)であり、「土台」(Ⅰコリント3-11)である教会に集い、礼拝を捧げることは、クリスチャン生活の祝福の原点です。
 災害から一年、何万というボランティアが朝倉氏を訪れ、援助の働きをしてくださいました。そこに求めがあったからです。イエス様は、神が「真の礼拝者を求めておられると告げています。神の求めがあるのです。喜んで主の教会に集い、「生ける真の神」に礼拝をお捧げしましょう。


無題 | 16:10:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
人は「新しく生まれる」ことができます!
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ書6章4節)
 前回の林田仮設での「歌のプレゼント」が地元テレビのニュースで流れました。今週は災害から一年目、市挙げての追悼行事も行われますが、私たちも、私たちにできる方法で、被災者の皆さんに寄り添う働きを続けてまいりましょう。
 今日は、Y姉から信仰の証しを聴かせていただいた後、バプテスマを授けます。これは二千年前、主イエス様が使徒たちに命じられた、「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ28-19)という大命令に従い、教会が主イエス様への信仰を告白した人に施すものです。
 主が甘木教会を祝してくださり、バプテスマを施す恵みに与らせてくださることを感謝します。それは教会にとって、喜びであるとともに、主から委ねられた権能を自覚させられるときでもあります。「父、子、聖霊の御名によって」祝祷し、バプテスマを授け、主の晩餐式を導くことは誉れあることであり、責任重きことです。
 Y姉にとって、バプテスマは信仰の第一歩を踏み出すことです。不安もある中で、主の導きに従います。それは勇気ある信仰告白であり、主への従順の証しです。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28-20)と約束していてくださる主が、姉の信仰の歩みを支えてくださると信じます。
 最近の発表によると、日本列島、いたるところで大地震の起こる可能性が高まっているとのことです。また、凶悪な犯罪のニュースを聞くことも多くなっています。そんな不安な時代に生きる人々に向って、「永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っている」(ヨハネ5-24)と、救いの道が明らかにされています。私たちも、この尊き救いを証してまいりましょう。


無題 | 16:47:52 | トラックバック(0) | コメント(0)