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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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父の日は「真の神」(天のお父様)を知る日です!
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。(詩篇40篇3節)
 先週は第九とBSのブラスの演奏会を聴くことができました。前者は高齢の方たちが生きる喜びを歌い上げていましたし、後者はタイや作りの若者たちが幅広いジャンルの音楽を、洗練された演奏で聴かせてくれました。九州北部豪雨から一年が経とうとしている今、また大阪で、大きな地震が起きました。しかし、そんな中で、希望に溢れた、力強い音楽を聴くことで、皆さんが明るい気持ちになれたのではないでしょうか。
 また、父の日の礼拝では、罪人を愛し、救おうとしておられる「天の父」神の愛が語られました。謀反を起こし、父を亡きものにしようとする息子アブシャロムを、どこまでも助けようとするダビデ、財産を浪費し、落ちぶれ果てた放蕩息子の帰りを待ち続け、最高の歓迎をする父、こうした御言葉の中に、神の愛は明らかにされています。
 「父の日」はお父さんに感謝する日とされていますが、イエス様が教えてくださった、「天にいます私たちの父」(マタイ6-9)を知る日です。聖書は、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世1-1)と始まっているのですから、この神を礼拝することは、人間の聖なる義務です。「父の訓戒に聞き従い、」(箴言4-1)とあるのは、聖書のメッセージを傾聴することにより、神が私たちに望んでおられる生き方をすることです。
 私たちの賛美は第九の合唱の迫力はなく、若者たちのブラスのように洗練されてはいないかもしれません。しかし、それは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1-29)と、主イエス様の救いを証ししています。ここに、賛美歌コーラスの比(たぐい)なき価値があるのです。
 歴史的な米朝首脳会議も開かれ、日本を取り巻く状況が目まぐるしく動いています。舵取りを誤れば、危険な状況に陥るやもしれません。今こそ私たちは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28-20)と約束していてくださる主イエス様に信頼して歩んでまいりましょう。


無題 | 17:01:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
キリストを土台とする教会を立て上げる!
(初代教会は)神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒2章47節)
 先日は健康福祉館で「初夏の歌プレゼント」をさせていただきました。入りは少々少なめでしたが、皆さん、くつろいだひとときを過ごされたのではないでしょうか。痛ましいニュースを耳にすることの多い昨今、教会が何を為すべきか、いつも問われている気がします。私たちは「平和をつくる人」(ヤコブ3-18)として立てられています。これからも、音楽のプレゼントを通して、地域にお仕えしてまいりましょう。
 今回、千葉へ里帰りさせていただいて、私たちは御教会から甘木へ派遣されたことを、あらためて自覚させられました。それは「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方」(エペソ1-23)である、イエス様を頭とする教会を立て上げるためです。何かのクラブを作ることではありません。「キリストのからだ」である教会を立て上げる働きです。
 聖書は教会についてはっきりと、「その土台とはイエス・キリストです。」(Ⅰコリント3-11)と教えています。イエス様は、「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ28-19)と命じられましたから、私たちはイエス様を信じた人にバプテスマを授けるのです。
 また、「わたしを覚えて、これを行ないなさい。」(Ⅰコリント11-24)と、主の晩餐式を定められましたから、私たちはそれを執り行うのです。これらはバプテスト教会が守り続けてきた二つの礼典です。
 いずれも、イエス様の十字架と復活による救いを、体現するものです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ10-10)のですが、それを神と教会の前で明らかに示すのです。主が命じられた、これらの式典を忠実に撮り行う教会を、この地に立て上げてまいりましょう。


無題 | 18:15:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
祝福の旅でした!
そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。(使徒14章27節)
 4年ぶりに千葉へ帰ってきました。4軒の親戚を訪問し、それぞれの御家族の近況をうかがい、主の見守りを祈らせていただきました。交通も順調でしたから、あまり距離の隔たりを感じませんでした。主イエス様が語られた、「「わたしの羊を牧しなさい。」(21-16)という御言葉は、私にとって、この親戚の皆をも指していると思わされました。
 放送大学の友人たちとも会うことができました。そのうちのお一人は久留米の出身であることを知りましたし、もう一人の方はF宣教師がC教会の宣教を開始された頃、熱心に教会へ通っておられた方だとうかがい、主の導きを感じました。これからも、こうした繋がりを大切にし、イエス様の救いを証させていただきたいと思わされました。
 また、CBBCの祈祷会に出席し、甘木での19年の宣教の報告もさせていただきました。I牧師をはじめ、聞かれた皆さんは、甘木における福音の証しの前進に、大いに御名を崇めておられました。JBBF最初の教会であるc教会の更なるお働きのため、私たちもお祈りさせていただきましょう。
 今度は8月1日(水)、2日(木)に福岡で行われる視覚障害者信徒の全国修養会のお手伝いをさせていただきます。講師はアフガニスタンで医師として、また用水路建設による農業支援を続けておられる、ペシャワール会代表の中村哲先生です。教会の直接の働きではありませんが、視覚障害者への福音宣教の働きに協力させて頂きます。
 イエス様は、「失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19-10)と語られ、失望したり、挫折したり、道にはぐれたりした人にこそ目を留め、新しい「いのちの道」へと導かれました。私たちも主に倣う者として、道に迷っている多くの人たちに、イエス様の「永遠のいのちの道」を指し示してまいりましょう。


無題 | 20:22:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
天の御国への勝利の凱旋!
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。(第二テモテ7、8節)
 かねてより療養中でしたI姉が5月29日午前10時45分に、地上の歩みを全うされ、主のみもとへ召されました。主への信仰に生きた、76歳の生涯でした。当日、御遺体は御自宅へお帰りになり、集われた方々で、家庭礼拝を捧げ、30日の前夜式に臨みました。
 前夜式には100名を超す人々が集われ、御友人の思い出の語りかけ、喪主のI兄のフルートの賛美、ジョイフルクワイヤの「いつくしみ深き」、そして、姉の信仰姿勢から教えられた、祈り求める信仰についてのメッセージを聴かれました。さまざまな背景の方々が集っておられましたので、受け止めも一様ではなかったことでしょう。ただ、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8-28)と信じています。
 31日の葬儀にも70名が集われ、B先生の思い出の御言葉、姉の友人がたも加わってのジョイフルクワイヤの賛美などを聴かれました。故人の心に起こされた、「甘木に教会を」という熱い祈りが実現され、今、この地で、イエス様への礼拝が捧げられ、福音が証されていることは、驚くべき神の恵みです。
 I姉は神様から授かった燃料をすべて燃やし尽くし、主のみもとへ召されましたが、私たちにはまだ、燃料(体力、能力、信仰)、走るべき道のり)が遺されています。この度の葬儀を通し、多くの方々がキリスト信仰の希望について聴かれました。そうした方々を、イエス様の救いに導く責任が教会に委ねられています。
 主は教会に、「死に至るまで忠実でありなさい。」(黙示2-10)と語っておられます。この地に、イエス様の福音が根を張ることができるよう、聖霊の助けを仰ぎつつ、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)の救いを証してまいりましょう。


無題 | 20:45:22 | トラックバック(0) | コメント(0)