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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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真の神を誉め讃えて災害を減じよう!
海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。(詩篇98篇7、8節)
 先日、卑弥呼の湯で4回目の「復興支援コンサート」をさせていただきました。今回のゲストは神山みささん、ギターを弾きながら、路上ライブで鍛えたという、伸びのある歌声で御自身作詞、作曲の曲目を中心に歌ってくださいました。杷木のレストランでライブをしたとき、ファンになった被災者の方々も、応援に駆けつけておられました。これからも、音楽による被災地応援の門戸が開かれていくことを期待しましょう。
 先週、私たちは、「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしている」(ローマ8-22)という御言葉と、今日の環境問題との関連について学びました。地震の多発、温暖化による豪雨、台風の巨大化などが脅威となっていますが、聖書はその根本原因が人間の神への不信仰にあると教えています。
 最初の人アダムとエヴァが造られ、エデンの園の管理者とされたとき、二人の神への信仰は全きものであり、園は平和で生産力に満ちていました。しかし、神の命令に従わなかったとき、「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。」(創世3-17)とあるように、人は自然と格闘しなければ生存していけなくなりました。
 つまり、今の深刻な環境問題の究極的な原因は、自然の管理者として立てられた人間が、その責任を怠り、自らの欲望の追求に走った結果だということです。神は今こそ、「霊とまことによって父を礼拝する」、「真の礼拝者」(ヨハネ4-23)を求めておられるのです。
 私たちは、この被災地に立てられた教会として、この地に住む人々に、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1-29)と救い主を指し示していく務めを委ねられています。あの傷ついた山が、川が、そして住民の皆さんの心が復興していくために、真の神を讃美し、救いの道がイエス・キリストにあることを証してまいりましょう。


無題 | 17:48:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
心に住んでくださる「神からの助け主」!
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラテヤ書5章25節)
 熊本地震から弐年経ったということで苦闘の記録、復興の様子が報道されていました。その震災直後に益城町に入られたキリスト教の支援団体が「九州キリスト災害支援センター」と称するNPOとなり、朝倉の豪雨災害の支援にも関わり続けています。イエス様は災難に遭った人に同情し、援助の手を差し伸べた人を賞賛し、「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ10-37)と語られましたが、九キ災も、この教えに基づいて活動しています。
 私たちにも協力の機会が与えられ、復興支援のコンサートを続け、明日も健康福祉館で、神山みささんをゲストに、4回目の支援コンサートを開きます。愛と祈りを被災地へ届けることが、私たちに与えられた「良き隣人」としての務めです。
 イエス様は信じる者に、「助け主」(ヨハネ14-16)を遣わしてくださることを約束されました。そして今、聖霊が私たちを助けていてくださいます。私たちが教会へ導かれ、イエス様を信じ、永遠のいのちをいただいたこと、「天のお父様」と祈れること、それらの恵みはすべて聖霊の導きによるものです。「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14-17)という約束は、なんと心強いことでしょうか。
 しかし、パウロは、「私のうちに住む罪」(ローマ7-20)と告白し、キリスト者の内には罪と聖霊が併存していることを証しています。ですから、私たちは罪の誘惑に陥ることのないように、常にみことばに養われ、聖霊の導きを祈る必要があるのです。
 パウロは、「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、」(ローマ8-17)と語っています。つまり、キリスト者には数々の祝福とともに、キリスト者としての苦難があるということです。さて、皆さんは何か苦難を経験していますか?経験しているとすれば、あなたは確かにキリスト者です。感謝して、イエス様を礼拝し続けましょう。


無題 | 17:21:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
「永遠のいのち」は成長し続ける!
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15章5節)

 先日、健康福祉館で、「春の歌プレゼント」をさせていただきました。集われた方々は少なめでしたが、音響の新スタッフの協力もあって、和やかな会となりました。今度は23日の、神山みささんをゲストに迎えての「復興支援コンサート」です。主からお預かりしている賜物を用いて、被災地の復興を後押しさせていただきましょう。
 この四月、野球といえば、二刀流の大谷選手の話題で持ち切りですが、個人的には、このところの、私の短歌の入選率にも驚いています。お隣の方が新聞の切り抜きを持って来てくれたり、別の新聞にも入選していたと電話が入ったりしました。なぜ、そこまで通用する趣味になったのでしょうか。それは、「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」(詩篇19-7)とあるように、神のみことば、聖書の学びを通して養われたものにちがいありません。

 聖書は、イエス様の救いを知らなかった頃の私たちの状態を、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」(エペソ2-1)と表現しています。確かに私の中には、神をお喜ばせし、人を感動するようなものは、何一つありませんでした。しかし、そのような者であっても、救い主イエス・キリスト様を信じたとき、「キリストの御霊」(ローマ8-9)を宿す者へと、生まれ変わらせていただいたのです。
 今、私たちの周りにも、ニュースに聞く世の人たちの中にも、弱さの中で呻吟しておられる多くの方々がおられます。そのような方々に、「わたしが、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)と宣言し、救いへ招いておられる主イエス様を証させていただきましょう。
 また、イエス様を信じて救われたはずなのに、なかなか弱さから抜け出せないという方もあるかもしれません。しかし、それもまた、そういうものなのです。赤ちゃんが、いきなり大人のすることができますか。成長には時間がかかるのです。あせらずに、いのちの源であるイエス様を、礼拝し続けましょう。


無題 | 20:39:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
「永遠のいのち」を受ける者の幸い!
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(第一テサロニケ4章16、17節)
 先のイースターには故K兄をご遺族と共に、教会墓地へ納骨させていただきました。イエス様を救い主と信じた兄は、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23-43)とあるように、既に主のみもとへ引き上げられています。この度、墓地に納められたご遺骨については、「天仰ぎ住み慣れし町見下ろして兄は主イエスの再臨を待つ」という短歌を作りましたが、先に召された聖徒たち、そして今主にお仕えしている私たちと共に、主の再臨の日を待つのです。
 今回はまた、7年前に召されたM兄をも記念することができました。主の日の礼拝においても、召された聖徒たちも共に、「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」(黙示7-12)と主イエス様を讃美していることを覚えましょう。
 もし、自分の親が誰かわからない人がいたら、どんなに不安でしょうか。あらゆる方法で、それを知ろうとするにちがいありません。神によって造られた人間も同様に、神を知ろうと切望しています。それが証拠に、いたるところに神々をまつり上げているではありませんか。しかし、イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14-6)と語り、ご自身が神を知る道であることを明らかにしておられます。
親との関係がしっかりしていれば、子どもはスクスク育ちます。イエス様を信じ、「神の子ども」(ローマ8-14)とされた人達も同様です。神のみことば「聖書」からのメッセージを聴き、イエス様が教えてくださったように祈りを捧げ、「愛、喜び、平安、」(ガラテヤ5-22)といった美徳を実らせるようになります。
 神は、すべての人が、「滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3-16)ことを望んでおられます。神の救いを求めている人たちが、イエス様を信じ、「永遠のいのち」を受けることができるよう、教会に託された福音宣教の務めを果たしてまいりましょう。


無題 | 10:05:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
復活の希望に生きる!
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ伝11章25節)

 冬中、枯木であった桜が芽吹き、今は満開の花を咲かせています。時が来て、桜の生命が躍動したのです。私たちは先週、神の御子、イエス様が十字架の上で、「完了した。」と宣言され、「頭を垂れて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ19-30)という場面を思いつつ、受難週を過ごしました。しかし、今朝は、空っぽの墓で天使たちが告げた、「ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24-6)というメッセージを聴き、喜びの復活祭(イースター)礼拝をお捧げします。
 復活されたイエス様は弟子たちに現れ、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20-19)と語りかけ、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28-19)と命じられました。彼らは行く先々で、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2-32(と告げ、イエス様の復活が事実であることを伝え続けたのです。
 今日、私たちはイースターを記念して、故K兄の納骨式をします。兄の霊は既に主のみもとへ引き上げられていますが、御遺骨を墓地に納め、共に主の再臨の日を待つのです。
 聖書の記述によれば、召された聖徒たちは、「神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。」(黙示7-15)とあります。この記述は私たちにとって、大きな励ましではないでしょうか。主のみもとに召された聖徒たちは、この世の生老病死から解かれ、永遠の安息に入っておられるのです。
 聖書は、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3-16)と神の愛を明らかにしておられます。死を打ち破ってよみがえられたイエス様を信じるすべての人に、永遠のいのちが約束されています。このすばらしい「神のプレゼント」を、あなたもいただきましょう。


無題 | 14:27:07 | トラックバック(0) | コメント(0)