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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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ここに罪の「赦し」がある!
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ8章34節)
 去る19日、Kご夫妻が入所しておられる施設をお訪ねし、「歌のプレゼント」をさせていただきました。薬の作用もあって、明瞭な反応ではありませんでしたが、祈りに頷いておられました。お子様がた、施設の皆さんの手厚い介護を受けながら、力いっぱい生きておられる御様子を見、こちらが励まされました。また、次の面会の機会が与えられますよう祈っています。
 月曜にゴスペル歌手の竹下静さんをお迎えしての「復興支援コンサート」が開かれ、50名(卑弥呼の湯)、15名(林田仮設)の人たちが集われ、優しい語りと歌声に、大きな励ましを受けました。イエス様が、「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5-4)と語られたように、被災の地に愛と祈りが注がれ続けていることに感動します。
 聖書には災難を経験した人が出てきますが、その最たる人物はヨブです。彼は信仰深い人で、家族にも恵まれ、富んでいましたが、状況は一変し、それらすべてを失った上、重い病苦を負う身となりました。そんな中で、友達は、「だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。」(ヨブ4-7)と彼の罪を糾弾しました。果たして、このような因果応報は事実でしょうか。
 聖書は、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3-23)と、人間の罪を明らかにしています。しかし、それ以上に、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8-1)とキリストを信じる者に「罪の赦し」を高らかに宣言しているのです。
 私たちは不完全な者であり、しばしば失敗をしますが、イエス様は、「七度を七十倍するまで」(マタイ18-22)赦すことを教えています。その主ご自身が十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。」(ルカ23-34)と、私たちの罪の赦しを祈ってくださり、「永遠のいのち」の救いを完成してくださいました。このキリスト信仰に基づく豊かな赦しを、多くの人々に証してまいりましょう。


無題 | 17:17:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
ギフトは「永遠のいのち」です!
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。(詩篇27篇4節)
 昨年来、九州キリスト災害支援センターとの協力で始まった「復興支援コンサート」を明日、卑弥呼の湯と林田仮設の集会所でします。今回のゲストはゴスペル歌手の竹下静さんです。被災者を励ますと共に、キリスト者の希望を証させていただきましょう。
 去る17日は阪神淡路大震災からの23周年でした。そのときの被災者である九き災のT兄が今、九州の被災者への援助を続けています。そして、その援助を受けた杷木の被災者が新たな援助団体を立ち上げようとしていると聞きました。励まされる話です。「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばが実現しています。
 さて、先週の学びで、ブドウ園の主人が一日中働いた人にも、わずか一時間しか働かなかった人にも、同じ1デナリを支払ったというたとえ話を聴きました。これは社会の労働慣行に照らせば、受け入れがたいことです。しかし、このたとえは、「天の御国」がどのようなところであるかを説明するものであって、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」Ⅰテモテ2-4)とあるとおり、神の愛の寛大さを明らかにするためでした。
 朝から働けた人は若いときイエス様を信じ、長いこと教会で奉仕できた幸いな人です。正午に雇われた人は中年、夕方の人は老年に救われた人です。「すべての営みには時がある。」(伝道3-1)とありますが、若いときに真の神を知ることは掛け替えのない祝福です。
 労働者が働いた時間、労務の内容にかかわらず、受けた報酬は1デナリでした。それはイエス様を信じたすべての人が受ける「永遠のいのち」を指しています。神は、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道12-1)、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11-28)と招いておられます。今年も、イエス様を信じ、「神の御国」へ入る人が起こされるため、教会に託された働きを続けてまいりましょう。


無題 | 15:16:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
揺るぎなき信仰の勝利!
そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。(マタイ伝15章28節)
 昨年末より視覚障害者クリスチャン団体のメーリングリストに、十数年前に書いた週報のメッセージを投稿し始めました。書いた頃、読んでくださったのはほんの数名だったと思いますが、その後、教会のブログにもアップしましたし、今フェースブックにも少しづつアップしているところです。甘木に遣わされて以来18年間書き続けてきた週報のメッセージが、今もそのように用いられていることを感謝します。
 発信するために、私もいくつかのメッセージを読み直しますが、信仰の姿勢を正されることが多くあります。「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55-11)とあるように、祈りつつ書いたメッセージは生きて働き、たましいを養います。
 年頭礼拝で、イエス様から「ああ、あなたの信仰はりっぱです。」とお褒めをいただいた女性の信仰にも驚きます。はじめ、イエス様は異邦人であるこの女性の嘆願に関わろうとはしませんでしたが、苦しんでいる娘を助けようとする母の揺るぎない信仰に感動し、娘を悪霊の束縛から解かれました。
 イエス様は私たちにも、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。」(ヨハネ15-7)と約束しておられます。あの女性のように私たちも、正しい信仰姿勢をもって、イエス様に願うところを祈り続けましょう。
 戦争突入かとまで危惧された挑戦情勢もオリンピック参加、南北対話と良い兆しが報じられています。身近なところにも幾多の困難が立ちはだかっていますが、イエス様への信仰を貫き、祈りつつ前進してまいりましょう。


無題 | 09:25:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
いつも主を礼拝して一年を過ごしましょう!
新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。(詩篇96篇1、2節)
 主の2018年、明けましておめでとうございます。元旦礼拝で開いた詩篇から私たちは、「新しい歌を主に歌え。」(96-1)とのチャレンジをいただきました。更に、その詩篇には、「天は喜び、地は、こおどりし、」とか、「森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。」(96-11 12)という表現が続きます。果たして、皆さんは、このような光景を目撃したことがあるでしょうか?
 これらの表現は実際の自然現象と言うより、詩人の心の感動の詩的な表現です。自らの心に神への感謝と賛美が溢れているために、天や地、杜の木々までが、喜びに踊っているかのように見えると表現したのです。
 昨年の豪雨災害の爪痕を見ては、その逆に、「川が呻いていたり、木々が泣きじゃくっているかのように感じた人が多かったのではないでしょうか。被災した自然を見れば、人の心もそれに共鳴して悲しくなるものだからです。
 ヘブル書は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(12-2)と教えています。「まことのぶどうの木」である主イエス様にしっかり繋がることによって、私たちは「永遠のいのち」を実感し喜びと希望に溢れて生きることができます。死を打ち破ってよみがえられた主イエス様こそ、私たちの希望であり、「いのち」そのものだからです。
 私たちもこの一年、「天は喜び、地は、こおどりし」、あるいは、「森の木々」が喜び歌っているかのように感じられる日が、一日でも多いことを願います。そして、困難の中に呻吟している人たちに、私たちに委ねられている主イエス様の「救いの道」を証してまいりましょう。


無題 | 17:46:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
一年の恵みを数えて
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)
 私たちは今日、年末感謝礼拝を持って、2017年の歩みを終えようとしています。どんな一年を導かれてきたか振り返ってみましょう。牧師家では長男の大学受験、筑波への旅立ちと続いた後、6月にはNBBCから伝道集会の御用にお招きいただき、夫婦で出向きました。御教会から送り出されて17年、主が甘木において為してくださった働きについて報告する機会も与えられ、甘木宣教の第一期を終えたように感じました。
 5月にはフィリピンからの技術研修生5名が来会するようになり、交わりに新風を注いでくれました。そんな中、七月の豪雨災害が起こりました。教会は守られたものの、豊かな農業地帯であった朝倉市東部が順大な被災地と化し、それ以降、全市民が、「死の陰の谷を歩く」(詩篇23-4)ような、数週間を過ごすこととなりました。
 そんな中、いただいた九州キリスト災害支援センターからの安否確認をきっかけに、被災地への支援を依頼することとなり、世界各地からクリスチャンボランティアが杷木に駆けつけ、三か月にわたって被災者に寄り添った援助を続けてくださいました。その立派な働きぶりについては、何人もの方々から感謝の言葉を聞くことができました。
 また、九キ災は11月以降、仮設住宅の集会所をはじめ、5回の復興支援コンサートを計画してくださり、私たちも協賛の恵みに与りました。10年間、続けてきた「歌のプレゼント」が、そのような展開に繋がっていくのを見るとは驚きでした。
 一方、教会内においても、メンバーの高齢化に伴い、体力の衰えを経験する兄姉もありました。来年へ向って闘いは続きますが、向うところは天の御国ですから、恐れることはありません。「あしたがどんな日か知っているお方に、すべてを委ねて」(歌詞)、前進するだけです。聖書は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道3-11)と約束していますから、神の最善を信じて、来たる2018年へと前進してまいりましょう。


無題 | 21:45:36 | トラックバック(0) | コメント(0)