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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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危機迫る時代に「永遠のいのち」の救いを!
御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。(第一ヨハネ5章12、13節)
 台風18号の来襲ということで、例外的に礼拝を翌日の祝日に変更させていただきました。幸いこちらは守られましたが、大分県をはじめ、各地に被害が出ました。心よりお見舞い申し上げます。アメリカにも二つのハリケーンが上陸しましたし、世界各地に豪雨災害が多発しています。このように「末の時代」の徴候を多く散見しているのですから、「堅く立って、動かされることなく、」(Ⅰコリント15-58)主の福音の証に立たせていただきましょう。
 そういうわけで、礼拝を「敬老の日」にお捧げしましたので、120歳になったモーセの「告別メッセージ」から語るよう導かれました。その中で、神はイスラエルの民に向って、「きょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。」(申命30-15)という警告を告げられたのです。そして、イエス様も「いのちに至る門」、「滅びに至る門」という表現で、私たちの前には選ぶべき「二つの道」があることを語られました。
 これら二つの選択肢を見れば、誰もが「いのちに至る門」を選びそうに思うのですが、イエス様は、「それを見いだす者はまれです」(14)と、人間の判断の不確かさを預言されました。今日、イエス様を主と告白し、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)の救いを受ける人のすくないことを見れば、残念ながら、その予言のとおりであると思わざるを得ません。
 しかし、モーセはその終活において、何を語ったのでしょうか。イエス様は十字架を前にして、人々に何を説教されたのでしょうか。しっかりと「いのちの道」を歩み行くように導かれたのです。
 イエス様は、人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16-26)と語られました。また、パウロは、「神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6-23)と、キリスト者の受けるべき祝福を伝えました。この救い主を主と仰ぎ、その御名を讃えつつ、「いのちの道」を前進してまいりましょう。


無題 | 14:45:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
神を神として礼拝し、人を人として敬う!
あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。(イザヤ書44章24節)
 もう十年以上続けてきている朝倉音楽祭でのジョイフルクワイヤの讃美ですが、会場のピーポートホールが避難所になっていたため、開催が危ぶまれていました。しかし、復興も、避難所の縮小も進みつつあるようで、予定どおり、11月5日に開催できることになりました。準備会議の前日、一昨年ピアノを弾いてくださったY姉から電話があり、「体調も良くなったので、また一緒に讃美したいですね。」という申し出でがありました。「主の山の上には備えがある。」(創世22-14)という御言葉を想い起こし、感謝しました。さっそく、フィリピンの姉妹たちも練習を始めてくれています。被災地朝倉に「希望の讃美」を響かせましょう。
 先週から私たちは、創世記の1章、神による「天地創造」を講読し始めています。そこには、私たちが礼拝をお捧げする最大の理由が明らかにされています。「初めに、神が天と地を創造した。」(1)とあるように、神のみが永遠の存在者であるからです。その故にパウロも、「造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」(ローマ1-25)と告白し、神への礼拝を促しています。
 更に、「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」(23)と人間の中に深く根を張ってしまった偶像礼拝の罪と愚かさを、厳しく糾弾しています。「神を神としてあがめず、感謝もせず、」(21)という生き方を続けていると、「その思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなった」という結果に至るのです。
 「人が救われる」とは、そのような、神を見失った状態から、神を「アバ、父。」(天のお父様)(ローマ8015)とお呼びする、「神の子ども」としての身分を授かることです。ダビデが詩篇で、「私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。(詩篇40-2)と歌ったように、崩れることのない確かな土台の上に立つことです。
 主イエス様は、「いなくなった一匹」(ルカ15-4)の羊を捜し歩いた羊飼いのように、どれほど、私たちの名を読んでくださったことでしょうか。しかし、「今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った」(Ⅰペテロ2-25)のです。真の神を讃え、礼拝をお捧げする歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 15:27:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
神様のお役に立とう!
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ書12章21節)
 七月の豪雨災害から弐か月が経ち、杷木の柿農家の方が、「起こってしまったことを考えていても、どうにもならない。前に向って進むだけ。」と話しておられました。それを聞きながら、日本周辺に起ころうとしている紛争の惨劇を食い止めるために、神の助けを祈らなければならないと思わされました。被災者は大雨を恨んでも始まらないので、黙々と復興に取り組んでおられます。しかし、これが人間による攻撃であったら、どうでしょうか。憎しみと反撃の炎が燃え上がることでしょう。危険は押し迫っていても、まだ紛争に至っていない今、当事者すべてがあらゆる知恵と努力を尽くして、戦争を回避しなければなりません。
 イエス様は、「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7-7)と教えられました。また、「天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(11)とも。私たちは平和の中で神を讃美し、互いに愛し合って生きていくことを切望します。ですから、十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23-34)と祈られたイエス様と共に、平和が保たれていくよう祈り続けましょう。
 また、イエス様は「求めなさい。」と告げられる前、「悔い改めなさい。」(マタイ4-17)と語られました。「悔い改める」とは「向きを変える」ことを意味します。自分の要求だけを通そうとする生き方から、神のお役に立とうとする生き方への転換を求められたのです。
 イエス様は、神が「真の礼拝者たち」(ヨハネ4-23)を求めておられるとも語られました。神が求人広告を出して、「真の礼拝者」を求めておられるというのです。私たちはその招きに応え、主イエス様を信じ、神の栄光を誉め讃える「真の礼拝者」としていただきましょう。
 災害の中、開催が危ぶまれていた「朝倉音楽祭」が予定どおり、11月5日(日)の午後に開催されることになりました。多くの合唱団が愛する故郷「あさくら」を歌うことでしょう。私たちも深い悲しみと御苦労の中にある被災者の皆さんを励ます讃美の歌を、復興を祈りつつ準備させていただきましょう。


無題 | 15:29:51 | トラックバック(0) | コメント(0)