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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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将来と希望を与える計画
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミア書29章11節)

 先日、今回の豪雨で被災された方々もおられる施設で「歌のプレゼント」をさせていただきました。悲しみの中におられる方々もあることを思うと、どういう歌を歌い、何を話題にしたらよいか迷いましたが、「わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、」(イザヤ54-10)と約束しておられる、「神の愛」が届くことを願って、歌わせていただきました。
 終わってから、やはり被災者である職員の方が、「「被災地にも歌を届けてあげてください。」と言ってくださいました。私たちに対する神の約束は「わざわいではなくて、」、「あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」ですから、神の励ましのメッセージを、被災地へも届けてあげたいと思わされています。
 イエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」(ルカ5-31)と語られました。朝倉市には家族や親しい仲間を亡くされたり、家や仕事を失ったり、生活の基盤が崩されたりした人たちが大勢おられます。地元に立てられている教会として、その方々の回復のために祈り、役立つ奉仕をさせていただきましょう。
 また、私たち自身が病気になることもあります。そんなとき、私たちをホッとさせてくださる主の御言葉は、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6-27)です。また、イエス様は、「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」(マタイ10-29)とも教えておられます。
 「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10-20)とあるように、イエス様を信じ、罪赦されて、「いのちの書」(黙示21-27)に、私たちの名が記されていることだけで十分ではないでしょうか。与えられている今の時を感謝し、主にお仕えさせていただきましょう。


無題 | 17:18:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
「ノアの洪水」のに学ぶ!
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6章ん2節)
 あの豪雨災害から二週間が経ちました。多くのヴォランティアも救済に駆けつけてくださり、被災地の皆さんは、どんなにか励まされたことでしょう。また今回は、川に堆積した土砂や流木の除去を国が代行してくださることが決まったそうです。この作業が進んで、二次災害が食い止められることを願います。
 こうした大規模な豪雨災害が毎年、どこかで起こるようになっていますし、それは日本に限らず、世界のいたるところで起こっています。最近では、インドで、200万人が避難したとも報じられました。そうした驚異の事態を受けて、地球温暖化対策の議論が高まっています。
 私たちはノアの時代に起こった大洪水から学びたいと思います。まずは、その時代の人々の生き方についてですが、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」(創世6-5)とあるように、まずは、神への信仰姿勢を正すところから始めるべきです。「主を恐れることは、知恵の初め。」(詩篇111-10)なのですから、まず神への不敬の罪を悔い改め、救い主イエス様を見上げなければなりません。
 ノアの時代の洪水の様子は、「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。」(創世7-11)と描写されていますが、私たちも先ごろ、この恐怖を体験したのではないでしょうか。そのような脅威を体験した今、私たちが耳を傾けるべきは、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3-16)という神の救いのメッセージです。
 カナダに住んでおられる方が、朝倉の災害を心配して電話を掛けてくださいました。それを聞きながら、被災地に立てられている教会の責任を感じました。この甚大な災害を通して、愛する朝倉市民の中から、イエス様の救いに心を向け、教会を訪ねてくださる方々が起こされるよう祈りましょう。


無題 | 16:36:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
「良きサマリア人」として働こう!
苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。(第二コリント8章2節)
 今回、朝倉市をはじめ、東宝村、日田市を襲った豪雨災害の直後から、九州キリスト災害支援センターが状況の問い合わせをしてくださいました。しかも即座の対応で、久留米の教会に拠点をおいて、朝倉の支援に入ってくださるとうかがい、杷木で被災されたT様が区長をしておられるH地区の救援に向っていただくことになりました。
 水曜に私たちも届いていた救援物資を届けに行きましたが、九キ災の皆さんは黙々と泥かき作業をしてくださっていました。T様ご夫妻も、「本当に励まされました。」と感謝を述べておられました。
 イエス様が強盗に襲われた人を助けた「良きサマリア人」の例え(ルカ10-30)において語られた、「あなたも行って同じようにしなさい。」(37)の御言葉に促されて、九キ災の皆さんは、キリストの愛とあわれみを実践しておられました。その活動の様子は、その晩放映された、NHKの報道特番でも少し紹介されていました。
 こうして被災地となった私たちに、「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミア29-11)という御言葉が与えられています。それは肩を落としている住民たちにも、再建に立ちあがる勇気を与えてくれる御言葉であるにちがいありません。
 また、このような大災害が起こる度、神が、「わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46-10)と語りかけておられることを、教会は伝えなければなりません。「わざわい」ではないにしても、私たちはそれが罪の悔い改めを迫る、「神の警告」であることを証しできます。この大災害を通しても、イエス様の救いに与る方々が起こされますよう、主のあわれみを祈り続けましょう。


無題 | 16:09:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
災害の中で「良きサマリア人」になろう!
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。(ルカ伝6章31節)

 台風の影響はありませんでしたが、その後の豪雨が朝倉市にも甚大な被害をもたらしています。今のところ教会も、会員の皆さんも守られています。かつてガリラヤ湖の嵐を沈められたイエス様が、自然界を支配されるその権威をもって、この雨を止めてくださり、被災された皆さんに救助の手が伸べられていきますよう祈り続けましょう。
 この被災地に立てられた教会として、私たちに何ができるだろうかと祈っている中で、「九州キリスト災害支援センタ」という団体から教会の安否を問い合わせる電話が入りました。教会の無事を告げた後、話が朝倉や杷木の援助活動に及んでいく中で、「隊員の休憩所なり、援助物資の保管所なり、何かの用途に、私たちの教会をお使いください。」とお伝えさせていただきました。これから実際、どのような形で教会が用いられることになるかわかりませんが、私たちにもできる御奉仕をさせていただきたいと願っています。
 イエス様は「良きサマリア人」の例え(ルカ伝10章30~37節)において、助けを必要とする人の「良き隣人」となるよう教えています。そこで、私たちも思い当たる知り合いにお声を掛けてみました。すると、ある御家族は土砂崩れのために避難しておられ、二次災害の恐れがあるために、ご自宅には近づけないとのことでした。支援センターの働きをお伝えし、「外部からの支援が入れる状態になったときには連絡くださるようにお伝えしました。
 まず私たちが為すべき第一の奉仕は全能の神の助けを祈ることですが、その祈りの中で、次々と示されることがあり、少しづつ、ヴォランティア仲間の方々とも連絡を取らせていただいているところです。「すべての町や村を巡って」(マタイ9-35)、歩かれたイエス様は、「弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われ」(36)、弟子たちに向って、「働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(38)と語られました。
 私たちは現場に出向いての直接的な奉仕はあまりできないと思いますが、祈りの中に、助けを必要とする方々と、現場で援助活動のできる方々とを結びつけるコーディネーターとして、お役に立てるかもしれません。身近なところに発生した、この甚大な災害において、何が私たちに求められているかを確かめながら、できる奉仕をさせていただきましょう。


無題 | 16:01:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
リフレッシュされて!
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。(使徒13章2、3節)

 先週はNBBCの「神のくださる希望」と題する特別集会で講師を務めさせていただきました。土曜に来会された方が、集会後の交わりの中で「アーメン」とお応えになりました。会社にクリスチャンの同僚がおられるとのことで、更なる主の導きにお委ねします。
 途中一度、祈祷会に集わせていただいたことがありましたが、御教会の礼拝への出席は18年ぶりでしたので、U先生ご夫妻をはじめ、愛兄姉たちが温かく迎えてくださいました。当時、青年だった兄姉たちの多くが幸いな結婚に導かれ、それぞれの家庭にお子さんたちが育っていましたし、さまざまな試練を通ることにより、ますます円熟した信仰者として奉仕しておられる兄姉とも旧交を温め合うこともできました。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133篇1節)とあるように、イエス様の教会における交わりのすばらしさを味わわせていただきました。
 留守となった甘木の講壇にはOBBCのN牧師がお越しくださり、「神の慰め」について語り、集われた兄姉と幸いな主にある交わりを持ってくださいました。今後、別府の施設に入所された熊谷兄姉の信仰の導きもお引き受けくださっています。
 聖書には、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道3-1)とありますが、このときに、私たち伝道者家族を送り出してくださった教会に帰る機会が与えられたことを感謝します。甘木での宣教は18年前に比し、大いに前進しましたが、まだまだ教会が地域に根を張っているとは言えません。これまでコツコツと積み上げてきた地域への証しを、もう一度謙遜になって、再スタートしていきましょう。やっと、教会の活動に好感をもってくださる方々がポツポツ出てきているのですから。
 滞在中、G伝道所の様子もうかがいましたが、多くのカンボジア人の研修生たちが集っておられ、外国人宣教が実を結んでおられるとのことです。甘木にはフィリピンの姉妹たちが集っていますが、そのような時代の求めにも応えるべく、委ねられた求霊の任を果たしてまいりましょう。


無題 | 18:45:47 | トラックバック(0) | コメント(0)