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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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神と共に歩む幸いな人生!
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5章17節)

 今年はいろいろな所へ出かけて、イエス様を証する機会を求めていこうと思い、中途失明者の会の新年会に出席しました。50名以上の方々が集まり、ゲーム、会食、カラオケと楽しいひとときを過ごしました。来月は同会の音楽発表会で、ジョイフルクワイヤも讃美の機会が与えられています。人生の半ばで失明し、御苦労しておられる方々に、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8-12)と語られたイエス様を証させていただきたいと願っています。
 また、ボランティアの会に出席したところ、入会を希望されるお二人の青年が来ておられました。それぞれの分野の専門家集団で、無料相談のボランティア活動をしておられるとのことでした。閉会後に、名刺代わりにトラクトを差し上げました。すると、お一人が私のことを、ある人から聞いていたとのことでした。良き出会いが備えられていたことを感謝しました。
 これらの方々との出会いを通して、今の時代に教会が何を為すべきかを思わされました。イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11-28)、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7-37)と招いておられます。さまざまな人生の闘いで押し潰されている人、魂の平安を求めて渇いている人たちを救うため、御自身のもとへと来るように招かれたのです。
 そして、イエス様に出会った者たちは皆、その抱えていた問題を解決され、神を誉め讃える者へと生まれ変わっていきました。ある男は悪霊に付かれ、墓場暮らしをしていましたが、イエス様に悪霊を追い出してもらい、「正気に返って、すわっていた。」(ルカ8-35)と記されています。また、不道徳の疑いで石打ちにされようとしていた女性は、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8-11)というイエス様の御言葉により、新しい歩みを始めていきました。
 物乞いをする以外、生きるすべがないと思いこんでいた男に、ペテロは、「「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」」(使徒3-6)と告げることができました。私たちもこの難しい時代にあって、道を求めておられる人たちに、真の「救いの道」を証してまいりましょう。


無題 | 17:05:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
家族、友人、知人の救いのために祈ることから始めましょう!
もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ書10章9節)

 今年、教会は「実を結び、そのあなたがたの実が残る」(ヨハネ15-16)を目標聖句として掲げました。すると、先週、遠方から集われたK姉が、「月一回でも私が甘木に来れば、友人たちも集い易くなるのでは」と証しておられました。知人の救いを願って行動しようとする、その姿勢に感心しました。
 また年初には、G姉がお兄様ご夫妻の手を借りて、入院中の御両親を教会へお連れし、お母様が信仰を告白されたことも驚きでした。「ひとりの中風の人」をかついで、イエス様のもとへと連れ来たった「四人の人」(マルコ2-3)の場面を思い起こしました。これらの行動の中に、「失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19-10)と語られたイエス様の愛が生きて働いているのを見ました。
 しかし、今週の暗唱聖句に、愛は「礼儀に反することをせず、」(Ⅰコリント13-5)とあることにも留意しましょう。熱心であるあまり、無礼な印象を与えるようであっては、人は心を開いて福音に耳を傾けようとはしません。まず、その人の救いのために祈るところから始め、その人の「良き隣人」とならせていただきましょう。

 今日執り行われる「主の晩餐式」は教会の大切な実の一つです。心にある主イエス様への信仰を眼に見える形で表す場だからです。この式については、「わたしを覚えて、これを行ないなさい。」(Ⅰコリント11-24)とお命じになった主イエス様への信仰の応答であることを覚えましょう。
 まず、礼拝に集っておられることは第一の「信仰の実」です。主はその信仰を祝福していてくださいます。そして、更に、信仰を明らかにしていくことを期待しておられます。この年、バプテスマを受け、主の晩餐に与り、イエス様の教会建設に奉仕する人たちが起こされていきますよう、祈ってまいりましょう。



無題 | 19:58:53 | トラックバック(0) | コメント(0)
正しく物事を見るために「心の眼」が開かれる必要があります!
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ伝19章26節)
 昨日今日と大学センター試験が行われており、学生たちが受験しています。アスリートたちが練習を重ねて大会に臨むように、学生たちも 猛勉強を続けた結果が出てくるわけですから、プレッシャーがかかります。詩篇の作者は、「主よ。あなたの道を私に教えてください。」(27-11)と祈りましたが、学生たちが、この一連の入試を経ていく中で、それぞれにふさわしい「わたしの道」を見い出していってくれるよう願っています。
 聖書は、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(Ⅰコリント13-13)と教えています。果たして、これらの最も大切なことは大学入試で問われるでしょうか。これらの徳目は入試で問われはしませんが、人間にとって最も大切な賜物です。
 ダビデは、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19-1)と宇宙の創造主なる神への信仰を言い表しています。またパウロは、「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒17-28)と語り、眼に見えない神の確かな存在に気づくよう促しました。
 次に、最も大切な徳目と言われる「愛」について見てみましょう。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。」(Ⅰコリント13-4)とあります。果たして、人を赦すこと、人に親切であること、妬み心を持たないことは容易いことでしょうか。これらを人に期待はしますが、自分が実行するとなると難しいのが実情ではないでしょうか。
 実は、信仰、希望、愛といった美徳はイエス様を信じる者に与えられる賜物(神からのギフト)です。私たちが罪の赦しをいただいてこそ、人を赦すことができ、妬み心からも解放されていきます。この一年、主を讃美し、主に祈り、主に奉仕することにより、「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに」(Ⅰペテロ1-8)満たされて、天への歩みを進めてまいりましょう。


無題 | 18:30:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
年初に素晴らしい祝福がありました!

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル書11章6節)

 2017年は95歳のM姉も集われ、共に元旦礼拝をお捧げして始まりました。礼拝後には、G姉と御両親、お兄様ご夫妻が集われ、K様がイエス様への信仰を表明され、「アーメン」と牧師の祈りに応答されました。既に昨年、救いに与ったK兄も牧師に倣って祈りを捧げられました。初めて教会に入られたというお兄様ご夫妻にも良き証しとなったことでしょう。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16-31)という御言葉が現実となるのを見て、年初に大いに主を誉め讃えました。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11-1)とありますが、私たちもこの一年、見えるところに閉じ込められてしまうことなく、信仰によって、高きを飛翔させていただきましょう。もちろん、信仰は何の努力もせずに、「棚からぼた餅」を期待する生き方ではありません。聖書が教える神の御意志に沿って生きようとすることです。
 新年に講読した二つの詩篇はいずれも、「新しい歌を主に歌え。」(96 98)で始まっています。ジョイフルクワイヤは昨年、「ながまことは」、「アメージンググレース」など、いくつかの新しい讃美を覚えて歌いました。この年初にも「御神の愛をば」という「新しい歌」をもって、主を讃美します。新しい歌をマスターすることは骨の折れることですが、それは無から有を生み出すような、感動の経験です。今年もクワイヤがリーダーとなって、「新しい歌」で神の栄光を誉め讃えてまいりましょう。
 今年の正月は好天続きだったので、3日に大平山に登ってきました。帰りに、「森にて鳥の音を聞き、そびゆる山に登り」と主を讃美しながら歩きました。たくさんの人と挨拶も交わせましたし、「あ!」と振り向いて声を掛けてくれた方もありました。私の鍛錬と憩いの場として、時々登ってみたいと思います。
 大平山に登ってみて、神様がどんなに、この町に住む人たちを愛しておられるかを感じました。教会もまた、この町に住む人たちを愛し、イエス様が委ねてくださった救いの福音を証してまいりましょう。


無題 | 20:05:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
新しい年に期待しましょう!

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(第一コリント13章13節)
 2017年、明けましておめでとうございます。昨年末の週報がクリスマスについてのメッセージでしたので、一年を回顧する間なく、新年を迎えてしまいました。そこで、年初は旧年の恵みを数えるところから始めてみたいと思います。
 まず、昨年は開所30周年の記念すべき年でしたが、多くの方々が教会に集い始めてくれました。中でも、故A姉を天に送られたK様が礼拝に集い続けられたことは大きな励ましでした。また、スイスからの留学生ナタン兄、新しい讃美をご紹介くださった福田先生ご夫妻、讃美の奉仕に加わられたT様など、多くの皆さんが交わりに新風を注いでくれました。
 ボード先生をお迎えした30周年感謝礼拝には野球の応援仲間だったK様が御友人と共に集われましたし、故K姉の記念会には多くのボランティア仲間の皆さんが集われ、キリスト者の希望について聴かれました。
 クリスマスには、故郷の甘木へ越して来られたばかりのT姉がさっそくランチも持ち寄られたり、新再来会の方々もありました。また、癌の手術から回復された石橋姉が礼拝に復帰されたことも大きな喜びでした。
 そのような恵みの上に始まる新年も、主は多くの魂を教会に導いてくださることと信じます。私たちはイエス様が、「あなたがたの実が残るため」(ヨハネ1517)と語られたように、その方々がイエス様の「いのち」(ヨハネ14-6)に繋がっていくことができるよう祈り、できるお手伝いをさせていただきましょう。
 年初の「愛」についての暗唱聖句は今年の目標聖句でもあります。集い始めた皆さんが教会に留まり続けていけるかどうかは、そこにイエス様の愛が実践されているかどうかに掛かっています。31年目、もう一度原点に戻って、どうしたら次の世代にイエス様の教会を引継いでいけるか、皆で真剣に祈り求めてまいりましょう。


無題 | 17:55:29 | トラックバック(0) | コメント(0)