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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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今日は教会の創立30周年記念でした!
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ書2章13節)

 今日、私たちは教会の創立30周年を記念し、感謝礼拝をお捧げします。私たち家族は17年前に、この教会に使わされてきましたので、それまでの13年間の歩みについては知りません。ただ、I兄姉宅での家庭集会から始まり、30年前に一軒家を借り、堺伝道師を迎えて開拓伝道が開始されたと聞いています。
 多くの子ども達や求道者たちが来会された記録が残されていますが、私たちが着任した時、迎えてくださったのはI兄姉だけでしたから、長い忍耐のときを過ごしておられたにちがいありません。堺先生は台湾宣教のため離任されることとなりましたが、その後も、ボード先生、秋山先生、吉住先生が通いで宣教を継続していてくださったとのことです。
 私たちの奉仕は庭の除草から始まりました。今は亡き義母や宜姉をはじめ、のり子姉の実家からの援助があり、見違えるほど、こぎれいになったことを覚えています。その後は、教会案内を作り、1歳半の長男Lを連れて、近所から始めて、車で20分程度の地域に配り続けました。それを見て、何人かの方々が来会されるようになり、聖歌隊も始まりました。
 その後、I姉、T姉、K姉が集われるようになり、D兄姉もバプテスマを受けて加わられました。近所の子どもたちが顔を出したり、アメリカの宣教チームが来会したり、M兄姉がバプテスマを受けて加われたりと、次第に教会にい活気が出てきました。
 そんな中で、大家さんの倒産に伴い、会堂を立ち退かなければならない事態が発生しました。どうしようかと思案しているところへ、後に新会堂を立てることとなった土地を購入しないかという提案がありました。それまで住み慣れた地の隣地であり、郵便局の隣でもあり、その話を進めていただくことにしました。とは言え、何の蓄えもありませんでしたので、その後、どのようにして会堂が建つに至ったかについては、次の週報で書かせていただきます。


無題 | 17:50:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
神様が、このように働き続けておられます!
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

 先日、朝倉市の「地方創生」に関するシンポジュームが開かれ、その分野の研究者、市長、住民代表の、さまざまな革新的な提言を聴かせていただきました。数年後には税収の大半が市民の医療・介護に費やされるような高齢化が進んでいるということですから、有効な手立てが緊急です。さすが、その分野の専門家たちですから、どの提言にも夢があって、聴き終わって、期待で気持が明るくなりました。
 教会も来週、創立30周年を祝おうとしています。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とありますが、まずは、主がここ甘木の地に、福音を証しする教会を立て続けてくださったことを感謝しましょう。30年の歴史の中でどれほど多くの人たちが、ここでイエス様の救いのメッセージを聴き、神を礼拝する恵みに与ってきたことでしょうか。残った魂の実は決して多くはありませんが、ここから発せられた主えの賛美と、「いのちのみことば」は決して無駄に地に落ちることはありません。
 ここ10年ほど、教会の聖歌隊「ジョイフルクワイヤ」が音楽祭で讃美歌を歌い続けてきました。聴かれた方々の中から、「讃美歌はいいですね!」という好評を聞いてきましたが、今年は二人の方が、「一緒に歌わせてください。」と言ってくださり、加わろうとしておられます。讃美歌の中に証されている信仰の心に共鳴してくだされば幸いです。
 また、30周年記念事業の一つとして準備してきた墓碑が完成しました。その場に立って、「丘の上暮らしし町を見下ろして主を仰ぎ見る我が墓の立つ」という短歌が生まれました。皆さんと行って、献碑式をさせていただくのが楽しみです。
 朝倉市の創生に、教会も一役果たさせていただきましょう。「イエス様の救いの福音を宣べ伝える教会があったので、この町に住みました。」と言っていただけるような教会を目ざして、「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐」(Ⅰテサロニケ1-3)を実践してまいりましょう。


無題 | 14:59:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
増悪する人間の罪の解決法は?
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6章23節)

 先日、穏やかな秋の日に健康福祉館で、「秋の歌プレゼント」をさせていただきました。メンバーの知り合いも多く集ってくださり、フロアの皆さんとも心通わす、楽しいコンサートでした。帰りがけに、あるご夫妻が、「いつも来ていますよ。元気が出ます!」と声を掛けてくれました。もう次はクリスマス、また良い準備をさせていただきましょう。
 さて、今年も自然災害を被った地域が多くありました。東北や北海道の水害も甚大でしたし、ハリケーンの通過したハイチでは、深刻な感染症の万円が報じられています。そうした災害で苦しむ人たちのために祈っていると、「台風も地震もなくばよきものを人に罪無(な)ば尚よきものを」という短歌が生まれました。
 確かに、収穫を直前にしながら、作物が売り物にならなくなってしまった農家の落胆はいかばかりでしょうか。住む家を失ってしまった人たちの苦難は、どれほどでしょうか。しかし、人間の罪が引き起こす紛争で難民となったり、犯罪に巻き込まれ、人生を狂わされてしまった人たちの、やり場のない碇と嘆きは更に深いものであるにちがいありません。
 自然災害の巨大化の主な要因となっている地球の温暖化を防ぐために、二酸化炭素の排出削減を義務付ける協定が発効され用としています。では、ますます増悪し続けている犯罪を減じる方策はあるのでしょうか。
 そのためには、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1-29)と指し示されている主イエス様を信じ、「罪の奴隷」(ローマ6-17)から救い出されることこそが根本的な解決法です。なぜならば、イエス様を信じた人の心には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)といった美徳が実るようになるからです。
 いくら規則や法律を作っても、人の心の罪を除き去ることはできません。イエス様を心に迎え(信じて)、神と共に歩む、新しい生き方を踏み出しましょう。そうしたキリストの証人たちを用いて、神は罪に苦しむ多くの人たちを救おうとしておられるのです。


無題 | 20:35:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
この愛があなたを救い、世界を救います!
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(第一ヨハネ4章10節)

 火曜にフォレストパークにおいて、教会の墓石献碑起工式をさせていただきました。私たちキリスト信者にとって墓地は竟の住みかではなく、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11-25)と語られた主イエス様のお迎えを待つ、希望の場所です。工事に当たってくださるS石材店様にも、クリスチャンたちが持っている信仰の希望を証することができました。きっと、新たな思いで工事に当たっていただけるにちがいありません。献碑式の日を楽しみにしましょう。
 一時は礼拝に集い合う場所さえ危ぶまれた時期もありましたが、主は良き新会堂を備えてくださり、今回は信仰の旅路を走り終えた後の墓地をまで備えようとしていてくださいます。これで役目が終わったと気を抜くのではなく、墓に葬られるまでのときを、主の「良い忠実なしもべ」(マタイ25-21)として、主の福音宣教に励んでまいりましょう。
 猛烈な勢力となって北上してきた台風18号でしたが、主のあわれみにより、九州への上陸を免れることができました。被害が少なかったことを感謝します。しかし、停戦が決まったはずのシリアで戦火が再燃し、子どもを含む多くの市民が巻き添えになっていたり、ナイジェリアでは過激派の封鎖により、6万5千人もが餓死の危険に曝されていると聞きます。自然災害の苦難も多いのですが、人同士の憎しみ合いも止まるところを知りません。
 人一倍「神様」という言葉を発し、頻繁に祈りを唱えながら、その泥沼の紛争には愛の片りんすらも感じられません。聖書は、「愛のない者に、神はわかりません。」(Ⅰヨハネ4-8)と告げています。そのように、とかく暴力によって支配されがちな世界にあって、イエス様の福音は、罪に苦しむ者たちに「たましいの救い」(Ⅰペテロ1-9)を与えることができるのです。
 先ごろ開かれた福祉祭りでは知的障害を持つお子さんのお母さん、ご本人が弱さを持ちながら聴覚障害を持つ方々を支援しておられる青年、数年前に全盲になられた方などと知り合い、教会の牧師であることをお伝えさせていただきました。この地域の皆さんがイエス様の救いに近づくことができますよう、私たちに委ねられた証人の務めを果たしてまいりましょう。


無題 | 18:05:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
人が罪の泥沼から救われるためには?
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(第一テモテ2章4節)

 30周年記念で制作したトラクト(教会案内)を配布し始めています。遠方の東宝村、浮羽町、杷木町などには初めて、新聞に織り込んでもらいました。そして、私たちは人口密度の高い西鉄筑紫駅周辺の住宅に配布してきました。何か反応があることを期待しています。
 私たちは今日、聖書が「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1-15)と警告しているような類の事件を、しばしば耳にします。良識あるはずと思われる人たちが、そのような事件に関わっていることも少なくありません。そのことはパウロが、「私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。」(ローマ7-15)と述懐しているように、罪の性質が人の中に根深く巣くっていることを示しています。
 これからサイバー攻撃に対処するための専門家が20万人必要だと言われています。そうした人たちを要請し、配置していくことは、どれほど膨大な費用となることでしょうか。テロを防ぐための対策もますます規模を増すばかりです。それらはみな、人間の中にある罪との戦いのための対策であり、そのために費やされる費用です。
 これに対して、教会に委ねられているイエス様の福音は、「罪の奴隷」状態にある人間を「光の子ども」(エペソ5-8)に生まれ変わらせる力を持っています。神の聖霊を宿す人の心には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)といった美徳が与えられます。神はそのように、イエス様を信じ、罪から救われる人たちが増えていくことを望んでおられるのです。
 故IS先生を天に送られたMBでは、訓練を受けていた信徒たちが立ち上がって、主のメッセージを取り次いでおられるそうです。聖霊が教会を力づけておられます。ここ甘木の地でも、主が救われる魂を起こしてくださるよう祈りつつ、「罪からの救い主」を証する働きを続けてまいりましょう。


無題 | 18:48:19 | トラックバック(0) | コメント(0)