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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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人を生かす愛

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。(第一ヨハネ3章16節)
 先日、朝倉高校野球部の三年生の「お別れ会」が開かれ、その席で、父母会のTさんから撮り貯めてくださった写真のCDをいただきました。家に返って見てみると、L君の活躍の記録写真数百枚が入っていました。会のクライマックスではチームの三年間の足跡を記録したDVDも上映してくれました。こうした奉仕のために一眼レフのカメラを買い、応援席から離れて、ひたすら球児たちの写真を撮り続けてくださった、その奉仕の姿勢に頭が下がります。
 L君はさっそくスマフォに撮り込んでいました。これから直面するでであろう苦難の中で、あの写真の一枚一枚が、どれほど彼を勇気づけてくれることでしょうか。「愛は親切です。」(Ⅰコリント13-4)という御言葉を実践しておられる方に出会えたことは、私にとっても感動的でした。
 今回の台風9号でも各地に大変な被害がありました。心よりお見舞い申し上げます。北海道のあの有名なメロンの農家の方だと思いますが、「良く育っていたのに、おそらく全滅でしょう。」と悲嘆に暮れておられました。東北の津波、熊本の地震、耐えがたいほどの苦難を強いられる方々が多くおられます。しかし、どこの被災者でも、親身な愛に触れると勇気が出て、その絶望と思える状態から立ち上がり、また前え向って歩き始めることができるのです。
 私たちも、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10-11)と語られた主イエス様の愛によって滅びの中から救い出され、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)を授かりました。この愛が私たちの心を新たにしてくださり、「感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」(詩篇95-2)とあるように、神を誉め讃えて生きる者へと変えられたのです。
 イエス様は、「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5-14)と語られました。なんと神は、「恵みの福音をあかしする任務」(使徒20-24)を私たちに委ねてくださっています。秋に向って、「ますます「聖霊による喜びをもって」(Ⅰテサロニケ1-6)、イエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 20:41:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
災害は何を警告しているのでしょうか?
この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ伝4章17節)
 礼拝後、人吉の親戚を尋ねに車で出かけました。ところが途中、震災の復旧工事のため対面交通になっているところがあり、しばらく、のろのろ運転が続きました。その間、道路が波打ったり、陥没したりしているところも見かけ、4か月前のあの熊本地震の恐怖がよみがえってきました。
 無事に到着すると、そこには震災の苦難を耐えた人たちが何人も集っておられ、「寒い時期でなかったからよかった。」とか、「家具を固定していたから助かった。」とか、生々しい体験を聴かせてくれました。どんなに小さな余震でも、その前には「ゴー」っという地鳴りがしたそうで、どれほどの恐怖で会ったかを思わされました。
 帰りは高速の渋滞を避けて、L君のナビに従って熊本市内を迂回しましたが、青いビニールの掛けられた家や、もう住めないだろうと思われるような家を多く見かけました。今回の里帰りで熊本震災のほんの一部を見聞きしただけですが、これから長い復興の闘いを続けていかれる皆さんのため、神の助けを祈り続けねばと思わされました。
 誰もが地震のような恐ろしい経験をしたくありません。しかし、それは頻度を増して起こり続けています。更に大規模な震災が近づいているとさえ言われています。こうした状況の中にあって、耳を傾けなければならない聖書の御言葉は、「わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46-10)という聖書の御言葉です。「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(箴言3-6)と言われていながら、真の神を視る目が閉ざされていて、「霊とまことによって父を礼拝する」(ヨハネ4-23)「真の礼拝者」が少ないのです。
 テサロニケの人たちはパウロたちの宣教によって、「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるように」(Ⅰテサロニケ1-9)なりました。自然界が発している警告に耳を傾け、不従順の罪を悔い改めて、救い主を信じる人たちが起こされますよう、教会に託されている福音宣教の働きを果たしてまいりましょう。


無題 | 16:12:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
平和を祈り、行動しましょう!
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ伝5章9節)

 連日、リオオリンピックの感動ドラマが報道されています。特に、けがを乗り越えてメダリストになった選手たちには泣かされました。一年前、肘を骨折し、4か月のリハビを耐え、見事復活して、金メダルの泳ぎを見せてくれた萩野選手と、腰を痛めながらも、あれほど思いバーベルを挙げ切った三宅選手の頑張りに感動しました。けがを怖れて、手加減ばかりしている選手に成長は望めません。常に一歩前へ進むために、努力を惜しまない選手こそがメダルにふさわしいです。
 私も声帯を痛め、しばらく休養させていただきましたが、リハビリのつもりで、少しづつ奉仕を再開していこうとしています。召された務めを果たせることは嬉しいことです。パウロが、「私はすべてのことを、福音のためにしています。」(Ⅰコリント9-23)と語ったように、私たちもやがて、主イエス様から、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(マタイ25-21)と言っていただけるような歩みをしていきたいものです。
 明日、71回目の終戦記念日を迎えようとしていますが、日本を取り巻く情勢は緊迫の度を増しつつある状況です。北朝鮮のミサイル発射、中国の海洋進出、これらは実に困難な外交課題です。戦争を放棄している日本が、どのように国の安全を保っていったらよいのでしょうか。
 イエス様が語られた、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6-33)という御言葉の中に、私たちが取るべき姿勢が明示されています。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8-31)とあるように、この日本においても、主イエス様を信じ、真の神に祈る聖徒たちが起こされていかなければなりません。
 オリンピックにおいて「難民選手団」が組織され、オリンピック旗の下、参加していると聞きましたが、これもまた、「平和をつくる者」の働きの一つではないでしょうか。イエス様が、「あなたがたは、地の塩です。」(マタイ5-13)と言ってくださったのですから、私たちは真の神を知る者として、この世界に平和が保たれていくよう、とりなしの祈りを続けてまいりましょう。


無題 | 14:23:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
「平和をつくる者」(peace maker)とは誰のことですか?
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ書3章18節)

 会堂建築から10年目に駐車スペースの舗装をすることができました。そんなとき、E先生から「神は愛です。日曜日は教会へ!」というのぼり旗のお知らせがありましたので、さっそく注文しました。今、看板の傍で、かなり目立ってはためいています。通りがかりの人たちの目に留まり、イエス様の救いに招かれますよう祈りましょう。
 K先生にデザインをお願いしたトラクトもまもなく届きます。人生の躓きを経験したり、失望したりしている人たちに、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)と語りかけるトラクトです。「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ10-14)とあるように、この良き知らせを証する務めが教会に委ねられています。秋の実りの季節に向って、このトラクトを多くの人たちにお届けしましょう。
 今年も二つの原爆投下をはじめ、幾多の戦争の惨劇を思い起こす8月となりました。71年経って、今、広島はカープの独走で湧きたっているような平和都市となっていますが、かつて、その地に原爆が投下され、12万人もの人々の命が奪われたことを忘れてはなりません。また今も、世界各地で大量殺戮が繰り返されていることは、連日耳にするとおりです。こうした争いが拡散している時代に、私たちは「平和をつくる者」(マタイ5-9)として、どう生きたらよいのでしょうか。

 イエス様は、「あなたがたは、世界の光です。」(14)と語られました。イエス様の十字架の救いを信じ、証している私たちを主は、「世界の光」と呼んでいてくださるのです。
 更に主は、「あなたがたは、地の塩です。」(13)とも語っておられます。この神を見失った時代の中にあって、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」(6-10)と神のあわれみを祈る「地の塩」にならせていただきましょう。
 モーセはその詩篇において、「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。」(90-10)と人生の短さを教えています。限りある人生であればこそ、日々、主イエス様と共に歩み、「宝を天に摘む」生き方をしてまいりましょう。


無題 | 16:34:59 | トラックバック(0) | コメント(0)