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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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「愛の心」を与えるもの!
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。(ローマ書6章17、18節)

 連日のように世界各地で、テロリストたちによって多くの人々の命が奪われていますが、ここ日本で、無抵抗な障害者に憎悪の刃を向けるという、極めて凶悪な事件が起こってしまいました。犠牲となられた方々の魂を主の御手にお委ねするとともに、負傷された方々の速やかな回復をお祈り申し上げます。
 伝えられている情報によれば、容疑者は、「自発的にコミュニケーションの取れないほど重度の障害者は安楽死させるべきである」という考えの持ち主であったようです。聖書は罪ある人間の性質を、「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、」(ローマ1-29)と表現していますから、そのような差別的考えが起こってきても不思議ではありません。
 しかし、そのような障害を持つ人達をいつくしみ愛をもってお世話しておられる御家族や施設の職員がおられることに目を留めるべきです。そのような優しい心根の人たちから、その人たちの大切な愛の対象を奪い取るような権利は誰にもありません。
 また、神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)と御自身が「いのちの息」(創世2-7)を吹き込まれた全ての人への愛を述べておられます。創造者が「高価で尊い」と表現しておられる者に対し、どうして一介の人間が、「生きている価値がない」などと言う権利があるでしょうか。
 とは言え、私なども、かつてはものの見方が歪んでいた者であることを認めざるを得ません。表面的に人を判断し、へつらってみたり、見下げてみたり、実にいい加減な基準しか持ち合わせていない者でした。そんな私に「神の視点」を植え付けてくださったのがイエス様への信仰でした。イエス様を救い主として心にお迎えしたとき、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5-17)とあるように、イエス様の「愛の心」をいただいたのです。

 今の時代、「歪んだ心」に翻弄されて、「自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(ローマ7-19)というような、「罪の奴隷」状態の人たちが多くいます。そのような人たちが救い主イエス様を信じ、罪の支配から解放されて、キリストの「愛の心」を持てますよう、福音の証しを続けてまいりましょう。


無題 | 17:55:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
復元力はどこから来るのか?

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4-16)
 L君の所属するA高校野球部が昨年は思わぬ快進撃でしたので、今年は期待が高まっていたのですが、残念ながら勝ち上がることができませんでした。そんな中でも、L君は5番センターで出場し、2点差に詰め寄るタイムリー二塁打をはじめ、5打数4安打と活躍してくれましたし、私たちも12年間、彼の野球生活を支え通すことができました。本人はもう既に、大学生活に夢を膨らませています。私たちとしては日々、主の見守りを祈っていくのみです。応援くださった皆さん、ありがとうございました!
実は、私は野球の応援に行っても、マラカスを鳴らすだけで、ほとんど声を出せませんでした。どうやら、気づかないうちに声帯に負担をかけていたようで、一か月ほど前から、声が出にくくなっていたからです。変調に気づいて、すぐに休ませればよかったのですが、無理してしまったようです。それでも、思い切って「ささやき声」で話すようにしていたら、回復の兆しが見えてきています。神様の御用をさせていただくのに、最も有益な道具であった私の声が、早くもとどおりに回復することを祈っているところです。
 こうして人間の生身の体は損傷することもあるし、心も弱くなることもあります。しかし、それ以上にすばらしいことは、「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、」(イザヤ30-26)とあるように、神が回復力を備えていてくださるということです。
 イエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5-31 3 2)と語られました。この御言葉は弱さを経験している者にとって、なんと慰めでしょうか。その人は主が罪からの救い主であると共に、失望や落胆、また病からの癒し主であることをも知って、「主よ私をあわれんでください。」(マタイ15-22)と祈ることができるのです。
 聖書は、冒頭に掲げた御言葉のように、私たちに祈り求めることを奨励しています。ひそかに抱え込んでいる問題を隠しておくのでなく、主の十字架の下に持ち来たり、最善の導きをいただいてまいりましょう。私たちの主は死をも打ち破り、よみがえられて、今も祈りに応えてくださる生ける真の神なのですから。


無題 | 21:01:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
行動すれば結果が出ます!
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言19章21節)
There are many devices in a man's heart; nevertheless the counsel of the LORD, that shall stand.
Proverbs19:21
 先日、キリスト教月刊誌「百万人の福音」が送られてきたので、「何かな?」と思いましたが、読んでみて理由がわかりました。私が四月に、益城町の大地震による会堂崩壊と、豊世牧師の愛娘さんの救出を詠った短歌を投稿したところ、それが特選に選ばれたので、記念に一冊送ってくださったということのようです。あらためて読んでみると、字余りで、決して秀作というわけではないのですが、あのときニュースで流れた、「ミーちゃん、神様が護ってくださったね!」とい教会の皆様の喜びを歌に残せたことを感謝しました。
 今、私は声帯を痛め、これまで続けてきた歌の施設訪問などの奉仕を控えなければならない状態にあります。そんな中にあって、主が短歌作りを用いていてくださることは慰めです。ダビデは羊飼いであり、武将でしたが、同時に竪琴を弾き、詩を作る芸術の人でもありました。私たちはどれほど、ダビデの詩篇を読んで、信仰の活力や、心の慰めをいただくことでしょうか。私も真剣に短歌作りと取り組んで、「人の徳を養うのに役立つ」(エペソ4-29)ような歌を詠めるよう精進してみたいと願わされているところです。
 先週書いたガーナの青年の福岡への留学の件についても続報をお伝えしておきます。ガーナのバプテスト教会のメンバーであるJ兄は今月末、福岡市東区にある日本語学校に留学の希望を持っています。入学予定の学校が責任を持ってお世話しておられますが、教会のホームページを見て、連絡してこられたこともあり、この兄弟を祈りに覚えていきたいと思っています。私は冒頭に掲げた御言葉を彼に贈りました。彼が主のみこころの道へ進むことができますよう、お祈りさせていただきましょう。
 祖国から逃れて難民となっている人たちが6,500万人もいたり、高齢化社会の対策の一つとして、留学生の受け入れが国策の一つとして掲げられるような時代でもあります。このような問い合わせが教会にあっても不思議ではありません。同じイエス様の救いに与った者同士、共に主を賛美できれば幸いです。
 どうして私が見も知らぬアフリカの青年と関わっていけるのでしょうか。それは同じ救い主イエス様の十字架の救いをいただき、同じ聖霊に導かれている兄弟同士であるという信頼に基づいています。イエス様が弟子たちを宣教に遣わされたとき語られた、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ29-19)を想い起こし、甘木に居ながらにしてできる世界宣教の務めを果たしてまいりましょう。


無題 | 16:49:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
「いのちの道」を選びましょう!
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ伝16章26節)

 先日、かねて注目されていたイギリスの「EU離脱」に関する国民投票が実施され、離脱派上回る結果になりました。ところが、驚いたり、後悔したりしている投票者が多く、再投票を求める請願が殺到しているというのです。このことを聞いて、イエス様が語られた、「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7-14)という御言葉を思わされました。
 「いのちの道」か「滅びの道」かと問われれば誰もが「いのちの道」と答えるでしょう。しかし、実際にどちらの道を選ぶかとなると、案外、「滅びの道」に魅力を感じる人が多いのです。ですから、イエス様は敢えて、「狭い門からはいりなさい。」(13)と招かれたのです。
 また、神が約束の地を前にモーセに語られた、「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。(申命30-19)という御言葉もまた、私たちが心に留めるべきものです。たとえば、食べ物一つを取っても、健康(いのち)を増進するようなものと、病気(死)に通じかねないようなものとがあります。その中で、健康(いのち)に役立つ食生活を選び取っていくのです。

 では、最も大切な「いのち」、「祝福」の選択とは、何を指しているのでしょうか。それは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)と語られた救い主イエス・キリストを信じ、あなたの人生の主とすることです。イエス様はご自身を信じ従う者たちのために、「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。」(ヨハネ17-11)と私たちの守りを祈り続けていてくださいます。
 果たして、イギリス国民が選んだ道は祝福に通じているのでしょうか。それとも、災いをもたらす道を選択してしまったのでしょうか。私たちはそれ以上に大切な人生の選択において、主イエス様の「永遠のいのち」を選び、神の祝福豊かな道を歩んでまいりましょう。


無題 | 16:26:36 | トラックバック(0) | コメント(0)