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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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神に導かれる幸いな人生
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(第二コリント10章11節)

 毎年、夏になると名産の梨を贈ってくださる船橋教会では、49年間教会を導かれたM牧師がA新牧師に任を委ね、新たに柏市での開拓伝道に着手されるそうです。大任を果たされてなお、更に新しい教会の開拓に踏み出してゆかれるという、その宣教スピリットに励まされます。私たちもM牧師ご夫妻に倣って、創立30周年の今年、遣わされているこの地の魂の救いのために再出発させていただきましょう。
 最近の報道によれば、世界の難民数が6,500万人に達したとのことです。大地震で被災された方々の苦難も耐えがたいものにちがいありませんが、それは自然災害であり、終息のときを待つことができます。しかし、人間の罪に根ざした紛争は、多くの人々を不信と憎悪の泥沼へ追いやっています。それが自然災害であるならば避難もやむを得ませんが、現実には、人間の対立がはるかに多くの避難民を生み出しているのです。
 そんな時代の中で、私たちはイエス様が語られた、「わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18-36)という御言葉の中に、大きな希望を見い出します。イエス様の十字架と復活の福音を信じる全ての人に「罪の赦し」(エペソ1-7)と「永遠のいのち」(Ⅰヨハネ1-2)が与えられるとは、驚くべき恵みではありませんか。
 更にイエス様は、「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。」(37)と語られました。それは、神を見失って、道に迷ってしまった人たちに、私たちの「父なる神」が、どのようなお方であるかを教えてくださるために来てくださったということです
 自然災害や政治紛争から苦難を強いられている方々に、私たちは多くの援助をできないことを残念に思います。しかし、教会は、どのような状況に置かれている人々にも、「道であり、真理であり、いのち」(ヨハネ14-6)である私たちの主イエス様を証することができます。喜んで、この尊い神のお働きに参加させていただきましょう。


無題 | 19:16:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
偉大な「父」が天におられることを知っていますか?
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。(ルカ伝15章20節)

先日、健康福祉館で「初夏の歌プレゼント」をさせていただきました。お届けした17の音楽のドロップは、それぞれ色合い、味わいがあり、アッという間の一時間のコンサートでした。帰り職員の方が、「始めて来館された方が、とても感動して帰られました。」と伝えてくれました。それを聞いて、主がこの働きを祝していてくださるのを感じました。また、八月も音楽のドロップを詰め替えて、皆さんに神の励ましをお伝えさせていただきましょう。
 さて、今日は「父の日」です。この記念日の起こりを1909年のアメリカのバプテスト教会とすることもできるのですが、私はそれ以上にイエス様が、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)と祈るように教えてくださった、あの「主の祈り」に辿るのがふさわしいような気がします。その他にも、聖書に「父」という呼び名は多く用いられています。それは、父たる存在が、極めて大切なものであることを意味しています。
 私が夫として、父親として戒めをいただく御言葉の一つが、「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(Ⅰテモテ2-8)です。最初の人アダムは、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世2-7)とあるのですから、神の息を直接受けて生み出された男性に対する神の期待は大きく、その責任は重いのです。
 最近、支配欲の強い男性による犯罪がニュースに上ることがよくあります。どうしてそのような傾向が増悪しているかといえば、「父」という存在のモデルを持つことができていないのではと思います。私自身、教会へ導かれ、イエス様の救いをいただいて初めて、天に偉大な「父なる神」(ローマ1-7)がおられることを知ることができたのです。
 私は息子の名前に「父」という一字を入れました。それは救い主イエス・キリスト様に当てられた称号「永遠の父」(イザヤ9-6)から取らせていただいたものです。このお方に信頼する者に育ってほしいとの願いからです。私たちも主イエス様を信じ、いつも父なる神に祈る者として歩ませていただきましょう。


無題 | 15:38:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
一人の人が救われる喜び
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。(ルカ伝15章7節)

 先ごろ、しつけのために林道に置き去りにされ、その後行方不明になっていた7歳の少年が、一週間ぶりに無事発見されるという嬉しいニュースが流れました。子育てにおいて、危険が伴うようないたずらについては厳しく教えておく必要がありますから、ついつい親が行きすぎた方法を取ってしまうことがあります。今回の場合でも、親御さんはそのような方法を取ってしまったことを、どれほど後悔したことでしょうか。しかし、幼い少年が水だけで一週間生き延びていた、その「頑張り」が、世界中の人々に感動を与えるという良い結果に落着しましたので、皆が胸を撫で下ろしました。
 このニュースで思い起こしたのはイエス様が語られた「いなくなった一匹の羊」のたとえ話です。私たちも時折、道に迷ったり、はぐれたりして、どう生きたらよいかがわからず、頭を抱え込んでしまうようなことがあります。イエス様は今もなお、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19-10)と語り、そのような人たちに救いの手を差し伸べていてくださいます。では、教会はイエス様の「失われた人を捜して救う」働きのために、まだ何か為すべきことがあるでしょうか。
 私は先日、17年前に甘木に遣わされた頃の週報を読んでみました。すると、スーッと心に入って来るメッセージが書かれてありました。そこで、それらを週一のペースでフェースブックにアップしてみることにしました。悩みを抱えてネットの中をさまよっている人の目に止まり、イエス様の救いに心を向けてくださる方があればと願っています。
 また、新しい教会案内を作りたいと思い、メッセージを書いてみたのですが、どうもパッとしません。そこで、以前のトラクトを読んでみますと、やはり、どこか新鮮なのです。そこで、その一つを新しいデザインで再製してみることにしました。良き案内に仕上がって、「失われた魂」を見い出す働きに用いられるのが楽しみです。
 どんなに悪いいたずらをしたとはいえ、山道に一人置き去りにされた少年の悲しみは想像を絶します。皆が夜を徹して捜してやらなければかわいそうです。神の道から迷い出てしまった魂についても同様です。教会はそのような人たちが神の愛の中へ立ち返ることができるよう、主イエス様の救いを証ししてまいりましょう。


無題 | 20:01:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
「真の平和」は、ここから始まる!
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ伝5章9節)

 去る5月27日、戦後71年目にして、アメリカのオバマ大統領が被爆地広島を訪れ、核軍縮と平和希求のメッセージを語られました。一瞬にして10万人もの生命を奪った惨劇の地において、かつての戦争当事国の代表者が世界平和への努力を誓い合ったことは歴史的であり、世界に向けて極めて有意義なことでした。このことが核兵器の全廃、各地での紛争の停止への一助となってくれることを切望します。
 両者のスピーチを聴き終えた私の心には、パウロが語った、「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(ローマ7-19)という御言葉が浮かんできました。パウロはその根深い悪の性質を、「私のうちに住む罪」(20)と呼びました。そして、パウロはこの罪の問題を人間の努力によって克服しようとしたのですが、その戦いに敗れ、「私は、ほんとうにみじめな人間です。」(24)と叫ばざるを得ませんでした。
 しかし、その直後、パウロは、「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」(25)と勝利宣言をすることができました。広島において政治のリーダーたちが平和への努力を誓い合ったことは讃辞に値することでしたが、その地にもイエス様の十字架が立てられてこそ、真の平和を期待することができます。
 「世界の平和」はただ唱えていて実現されるものではありません。一人の罪人が神に逆らう生き方をやめて、「神との平和」(ローマ5-1)をいただくところから始まります。イエス様が二千年前、十字架の上で私たちの罪を負い、「父よ。彼らをお赦しください。」(ルカ23-34)と祈ってくださり、信じる者に救いの道を開いてくださいました。この福音は「絵に描いた餅」ではなく、真に人を新しく生まれ変わらせる力を持っているのです。
 広島と同様、戦争の惨劇を経験した沖縄の地でイエス様の十字架の福音を語り続けられた斎藤雄典先生が、45年の宣教の働きを終え、御国へ凱旋されました。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(Ⅱテモテ4-7)という御言葉が聞こえてくるようです。私たちも遣わされたこの地で、「平和をつくる者」としての働きを全うしてまいりましょう。


無題 | 17:18:53 | トラックバック(0) | コメント(0)