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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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神は子どもたちを祝福しておられます!
イエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。(ルカ伝18章16節)
 先日、ボランティアの会の講習会があり、子どもたちの「緊急支援」にたずさわって来られた先生から、生々しい虐待に関するお話を聴かせていただきました。子どもたちに危険が及ぶような恐れがある場合に一時的に預かる施設であるにもかかわらず、常時4、50名の子どもたちが、長い場合には一年も預かることもあったそうですから、極めて深刻な事態です。
 驚いたことに、そうした深刻な状況に及んでしまう事例として、実の母親からの虐待が最も多いということでした。また、そうした母親たちの多くが孤立していたり、その人自身が幼少期に虐待の被害者であったという、悲しい事実についても聞かされました。
 お話を聞き終わってから、ある方が、「私は子どもたちや、子育て中の御母さんたちを見ると、声を掛けるようにしています。」と言われました。「さすがボランティアをしている人だなあ!」と思わされました。社会全体に「子育てを応援していこう!」という機運があれば、こうした子どもたちを取り巻く状況はかなり改善していくのではないでしょうか。
 すべての人が母親から生まれ、この母子関係を基盤として他者との関係へと社会性を発達させていきます。しかし、その前に、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世2-7)という、聖書が教える「人のいのちの起源」について知る必要があります。子どもは母親のものでも、父親のものでもなく、神こそがそのいのちの与え主なのです。
 私は子どもを授かって以来、欠かさず神の守りを祈ってきました。それは、「「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(Ⅰコリント3-6)とあるように、その子を最もよく知っていて、まちがいなく育ててくださるのは神のみであると信じていたからです。
 なかなか子育て中のお母さんや子どもたちをお迎えできないのですが、そのように苦悩しつつ子育てをしておられるご家庭や、痛ましい環境に置かれている子どもたちが多くあるのですから、教会がどこからでも見えるように、イエス様の救いを掲げ続けてまいりましょう。イエス様のみもとに来て、祝福をいただける者こそ、最も幸いな者たちだからです。


無題 | 16:56:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
会堂を消失した益城の教会から御便りがありました!
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(第二コリント1章4節)

 今回の熊本地震の発生直後に大宰府の山下兄姉から、支援を続けてこられた益城町にある熊本東聖書キリスト教会が会堂を消失したことを聞きました。兄は翌日、単車で現地に駆け付けたと聞き、キリストにある兄弟愛の深さに感動しました。それ以来、私たちも大災害の中で懸命に闘っておられる被災者の皆さんに神のメッセージを伝える御教会の大切な務めを想い、支援をさせていただきたいと願うようになりました。そして、今回お見舞いの手紙と共に、支援献金を送らせていただきました。
 それに対するお礼の手紙をいただきましたので、その一部をご紹介させていただきます。「ご支援を心より感謝申し上げます。私たちの教会は目に見える多くの物を失いましたが、その一方で、目に見えないたくさんの恵みも与えられていると感じています。小さな群れを覚えて、多くの主にある兄弟姉妹の方々が祈ってくださり、共に痛みを分かち合ってくださり、愛を示してくださっています。また、教会に集う一人一人が互いを思いやり、祈り合う中において、主への信仰と、一同の団結の心が与えられていることを感謝します。
 先のことはまだ何もわかりませんが、私たちの主が先立って導いてくださることを信じ、示される「世の光・地の塩」としての道を、一歩一歩忠実に歩んで行きたいと願っています。これからも続いてお祈りいただければ幸いです。」
 この手紙には崩れた会堂の前にテントを張って礼拝をお捧げしている教会の写真が添付されていました。「地震にて会堂崩れテント張り兄姉集いて主の御名讃う」
 イエス様は、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」(ヨハネ18-11)と語られ、私たちの救いのために十字架への道を進んで行かれました。また、弟子たちに、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16-24)とも告げられました。
 益城の教会が試練の中で主の福音を証して立っておられることは被災地の皆さんにとってはもちろんのこと、多くの教会にとっても大きな励ましであるにちがいありません。私たちも召されたこの地に主イエス様の福音を証する教会を立て上げるため、喜んでキリストの十字架を負って進もうではありませんか。


無題 | 18:28:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
安心して暮らせる「真の基盤」は何でしょうか?
天はあなたのもの、地もあなたのもの。世界とそれを満たすものは、あなたがその基を据えられました。(詩篇89篇11節)
 震災の地熊本の公立小中高校が再開したという報道を聞き、神様のあわれみと、多くの方々の御尽力に感謝します。しかし、まだ揺れが続いていますので、更なる災害を引き起こすような大きな地震がなきことを祈るのみです。
 ここ甘木から高速を一時間半も走れば、多くの家屋が倒壊した震災の中心地に着きます。そのように、今回の災害は身近な所で起こっている災害です。また、いつでも私たちにも起こりうるのです。「あなたが地を据えたので、地は堅く立っています。」(詩篇90-15)とあるように、私たちの快適な暮らしは、神の盤石な基盤があったればこそ成り立つものです。
 しかし、そのことに気づかず、「その神を神としてあがめず、感謝もせず、」(ローマ0121)とあるように、聖書が伝える真の神を知って礼拝する人は少ないのが現実です。このことは、この世界の主権者なる御方に対して、極めて無礼なことです。
 では、どうすることが、私たちが神様に対して正しい態度を取ることになるのでしょうか。イエス様は、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4-17)と神の御存在に気づき、そのみこころを求める生き方に向きを変えるよう求めておられます。神に背を向けていた不遜な態度を変えて、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)と祈る、神への礼拝者としていただく必要があります。
 聖書は私たちに向って、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6-2)とキリストの十字架の救いを仰ぎ見るよう招いておられます。そうするならば、「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1-9)と約束しておられます。この震災を神の警告の一つとして受け止め、救い主イエス・キリストを信じ、何者によっても揺るがされることのない「永遠のいのち」の救いをいただこうではありませんか。


無題 | 21:25:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
良き母を備えてくださる神に感謝します!
あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。(箴言23章25節)

 震災の地熊本の農業被害も甚大のようで、コメの作付をあきらめざるを得ない地域もあるそうです。そんな中、今日の母の日のために花栽培をしておられた農家さんが、被害を免れたカーネーションを出荷されると話しておられました。その話を聞いて、「被災地に咲きしカーネーション切りて母の日祝う花にとぞせん」という歌を詠みました。栽培された方々の祈りのこもった特別なプレゼントとなることでしょう。
 最近では国のトップに立つような女性も増えていますが、聖書でヒロインとなっている女性の多くは、夫を支え、子どもたちの養育を担う良妻賢母たちです。たとえばハンナという女性は、「このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。」(1サムエル1-11)という請願を立て、その主への約束を果たし、幼子サムエルを主の働きのために捧げました。その結果、母の熱き祈りに支えられて育ったサムエルは国を導く大祭司へと成長していきました。
 また、宣教者パウロの後継者としてエペソ教会の牧会の任を担ったテモテの「純粋な信仰」(Ⅱテモテ1-5)は「最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったもの」と言われており、家庭における聖書教育が及ぼす影響の大きさを教えてくれています。今の時代、女性の社会進出が期待されていますが、その結果、子どもたちへの関わりが薄らぎ、「こども食堂」を開設しなければならないような状況を生み出しているとすれば、元も子もありません。
 聖書は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命6-5)と神を敬いその教えに従うことを促しています。しかし同時に、冒頭に掲げた御言葉のように、親を喜ばすような生き方を勧めています。神への礼拝を尊ぶことは、神が備えてくださった親を大切にする生き方に通じているのです。
 私たち夫婦の母たちには苦労のときが長く、親孝行らしきこともできず、申し訳なく思うこのごろですが、イエス様の救いを紹介できたことを感謝しています。「からし種ほどの信仰」(マタイ17-20)を大切にしてくださる主イエス様が「天にある永遠の家」(Ⅱコリント5-1)へ導いていてくださるからです。これからも、救い主イエス様を信じ、「永遠のいのち」(Ⅰヨハネ1-2)を授かる方々が起こされますよう、すばらしい主イエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 19:13:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
「深い同情心」とは、どのようなものでしょうか?
 熊本市に住む弟家族からガスが通ったという知らせがあったので、野菜を詰めて送りました。まだ生鮮食料品は品薄なようです。濁っていた水も大分きれいになってきているようです。とは言え、これはまだ災害の程度が軽かった地域のことで、家屋が倒壊したような地域も多くあります。交通やライフラインが次第に復旧しつつあるようですので、被災された方々が早く元の日常に戻れますよう、神のあわれみと助けを祈らせていただきましょう。

 イエス様が、「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9-36)とありますが、今、被災地の皆さんが置かれている状況を見て、私たちの中に、どのような感情が湧いているでしょうか。西区に住む叔母の話によれば和歌山の医療スタッフが来てくれたり、ゴミ収集には福岡の業者が、がす漏れの点検には大分から来てくれていたそうです。これらの救援はいずれも「深い同情心」の表れと言えるでしょう。
 朝のラジオからも、大災害を経験された方々からの同情心に満ちた投書が多く聞こえてきます。東日本大震災の被災地ではまだまだ復興の途上にあるのですが、多くの方々が熊本の被災者を励ます投書をしてくれています。また、東北の被災地の教会から、熱い祈りの応援が熊本の諸教会に向って捧げられているにちがいありません。

 パウロは、「一番すぐれているのは愛です。」(Ⅰコリント13-13)と、クリスチャンの徳目として「愛」を高く評価していますが、愛にこの「深い同情心」は不可欠な要素です。決して、自分を安全圏に置いて、難儀している人たちを眺めているような傲慢なものではありません。
 私たちにこのことを教えてくれるのは強盗に襲われた旅人を介抱した、あの「良きサマリア人」ではないでしょうか。彼はけがをして倒れている旅人を見て「かわいそうに思い」(ルカ10-33)、直ちに救援活動を始めました。私たちもイエス様がくださった「深い同情心」をもって、教会に託されている魂への務めを忠実に果たしてまいりましょう。


無題 | 16:58:02 | トラックバック(0) | コメント(0)