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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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災害の中で何を学び取ることができるのでしょうか?
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル書12章11節)

 去る14日の晩に熊本地震が発生し、ここ甘木でもかなりの揺れを感じましたが、16日深夜の地震は大災害となり、熊本から大分にかけて、今なお大きな揺れが頻発し、6万人もの人々が避難を余儀なくされています。その中には、私たちの親戚、友人、知人も含まれています。心よりお見舞い申し上げると共に、早期の地震の鎮静をお祈り申し上げます。
 期を同じくして、エクアドルでも大きな震災が進行中です。あの東日本大震災からも、ようやく復興の兆しが見え始めたばかりです。その他にも、豪雨による災害も何度もありました。自然界は人間の都合のよいように、穏やかでばかりあるわけではありません。
 そんな中で心に浮かぶのは、「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、」(イザヤ54-10)という神の御約束です。この「移ることのない神の愛」にこそ、私たちの人生の土台を置きましょう。
 次に心に留めたいことは、主が不従順なイスラエルの民にくりかえし語られた、「わたしが主であることを、あなたがたが知るためである。」(出エジ10-2)という御言葉です。「親の心子知らず」とあるように、私たちは何事か危急なことでもなければ、神の存在を忘れているような者です。しかし、どん底まで落ち込んだとき、あの放蕩息子が「立って、父のところに行って、」(ルカ15-18)と言ったように、私たちの心にも、神を求める思いが湧いてきます。
 この世の出来事は、すべて天の御国に移されるまでの修業と考えましょう。あの東日本大震災のとき、何度も地震警報を聴きましたが、私たちは何の揺れも経験しませんでした。しかし、今は少しばかり経験しています。これも人の痛みがわかるクリスチャンとなるために必要な訓練です。主イエス様の十字架の下に立ち続け、災害のただ中で闘っておられる皆様のために祈り、奉仕する者とさせていただきましょう。


無題 | 19:28:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
希望へ向かって歩み始めましょう!
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29章11節)

 先日、健康福祉館でヘブンリー・ドロップスの「春の歌プレゼント」をさせていただきました。今回はTさんが始めて加わってくださるということで、多くのご友人がたが聴きにきてくださいました。特に、Tさんは昨年大病をされましたので、病床を見舞われた方々にとっては、元気に歌っておられる姿を見て、こみ上げるものがあったにちがいありません。
 Tさんはまた、讃美歌についても歌詞の説明を聴いて歌われましたので、真の神様に心を向ける機会となったのではないでしょうか。「また六月も楽しみにしています。」と嬉しそうに話しておられました。更に、讃美歌を口ずさむ人たちの輪が広がっていくことを期待しましょう。
 このところ2週ほどイザヤ書35章から「回復の希望」についてのメッセージを聴きました。神様が周りの国からの侵略を受け、補習の民となったイスラエルに向って、「強くあれ、恐れるな。神は来て、あなたがたを救われる。「(35-4)と力づける場面です。私たちも病や喪失の苦境を経験することがありますが、そんなとき、これらの言葉を聴いて、将来の希望に目を向けさせていただければ、新しい一歩を踏み出せます。

 イエス様は私たちの罪を負い、恥辱の苦難を受けてくださいました。しかし、その絶望と思われる十字架から、永遠のいのちの泉が湧き出たのです。弟子たちは、「神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。」(使徒3-15)とキリストの復活の証人となっていったのです。
 大津波に飲まれてしまった三陸の海岸に桜を植えるプロジェクトが進行していると聞きます。まさに、「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。」(イザヤ35-1)とあるように、復興の希望が美しく実現しようとしています。私たちもどんな失望を経験することがあっても、主の復活の希望に依り頼み、天の御国目ざして歩を進めてまいりましょう。


無題 | 17:51:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
私を生かした「ことば」をご紹介します!

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5章17節)

 2016年度のスタートに私の短歌が三箇所に掲載され、これもまた主の祝福と感謝しました。まずは、朝倉市報に載った、「突然の大雪集め子どもらが スコップ握りかまくら作る」です。その場面を写真に撮ってやれない代わりに歌にして残しました。
 次に西日本新聞に掲載された、「午前2時 物音聞こえ下り行けば試験勉強する息子おり」です。普段は何事があっても目覚めることのないような時間に起きてボソボソと何かを暗記していたようで、思わず歌が出てきました。三つ目は、視覚障害者クリスチャンの月刊誌に投稿した4首です。名古屋bbcの姉妹の影響で始めた短歌ですが、ここにきて、よい趣味になりつつあるようです。
 先日お会いした方が、「いただいた短歌、いつも持ち歩いています。これを見ると涙が出てくるんです。」と言っておられました。その方の亡き御主人の面影を詠ったのですが、主が用いてくださったのですね。ヨハネは主イエス様を紹介するに当たって、「ことばは神であった。」(1-1)と書き始めていますが、確かに言葉には力があります。是非、人を励ましたり、高めたりできる言葉を使える人に成長させていただきたいものです。
 パウロは、「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」(ローマ3-13 14)と人間の言葉の毒性を表現しています。この毒舌は自分の努力で無毒化しようとしても無理なのです。現にパウロは、「私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。」(ローマ7-18)と罪との葛藤を告白しています。
 そのように惨めなパウロでしたが、イエス様の十字架の救いに与り、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8-1)と罪からの救いの道を見い出した者の幸を証してくれています。この救い主イエス・キリスト様を心に迎え、神を誉め讃える「天国の心」をいただこうではありませんか。


無題 | 17:06:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
ここに「救いの道」があります!
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル書7章25節)

 イースターにはチラシを手に、前日入籍したばかりというカップルが集われました。結婚式はしていないようだったので、新しい門出に神の祝福を祈らせていただきました。その他にも、4名の再来会者があり、ジョイフルクワイヤの5曲の賛美、新来会者も加えての「イエス様の十字架と復活」の朗読劇、10種類もの御馳走が並んだランチョンと、恵み豊かでした。体調が整わず集えなかった方々も、次の機会には恵みを共にできますよう祈りましょう。
 また、水曜日には、寿光園という視覚障害者のための老人ホームで「歌とトークのプレゼント」をさせていただきました。35名ほどの入所者の方々が集ってくださり、民謡や春の歌を共に歌い、フルートやコカリナの演奏を楽しんでいただきました。讃美歌コーラスをもって皆さんの守りもお祈りさせていただきました。思ったより近かったし、「また来てくださいね。」というご挨拶もいくつか聞こえてきたので、また秋にでもお訪ねしたいと思います。
 私たちは朗読劇をしながら、イエス様の十字架上での御言葉のひとつひとつを畏れと感謝をもって聴かせていただきました。6,500万もの子どもたち、若者たちが紛争や貧困を逃れてさまよっているという世界の悲惨な現実、イエス様が、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23-34)という祈りが、ますます強く響いてきます。
 しかし、イエス様はその十字架の苦難の末に、「完了した。」(ヨハネ19-30)と救いの御業の完成を宣言してくださいました。「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2-24)とあるように、イエス様の十字架に依り頼む者の罪は、ことごとく赦されるのです。
 そして、私たちの救いを完成してくださった主は死を打ち破ってよみがえり、弟子たちの中に立たれ、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20-19)と祈りを捧げてくださいました。その平安を祈る祈りは私たちのためでもあります。この主の祈りに励まされて、ますます多くの人たちに、完成したイエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 17:36:29 | トラックバック(0) | コメント(0)