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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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ヨブが表した「本物の信仰」とは?

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ伝5章24節)

 先週の礼拝にG姉がお父様、K様と共に、久しぶりに集うことができました。そして、礼拝後に、K様がイエス様への信仰を告白され、罪の赦しと魂の救いをいただきました。「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」(Ⅰヨハネ4-15)とありますように、K様の魂は、キリストの永遠の救いに入れられたのです。そのときの様子を短歌にしてみました。「癌の父誘い集いし礼拝で主イエスを信じ安らかに笑む」

 イエス様は、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15-7)と語られましたが、一人の人が救い主イエス様を信じ、神の子どもとされるのを見て、教会にも大きな喜びがありました。K様は今後25日に、肝臓がんの治療のために入院することになっています。癒し主なるイエス様が医療を祝し、回復へと導いてくださるよう祈りましょう。

 さて、多くの日本人は年初に初詣に出かけます。そして、そこで願うことは家内安全、無病息災、商売繁盛です。そして、これらの願い事がそっくり叶えられたような人物が聖書に出てきます。それがヨブでした。ところが一転、今度はそれらの祝福が次々に奪われ、財をなくし、子どもたちを失っていきました。このような災害に見舞われたとき、ヨブの信仰は、どうなったでしょうか。
 その深い悲しみの中で、ヨブは、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1-21)と告白し、「このようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」(22)と記されています。このヨブの潔さの中に、私たちは信仰の真髄を見る思いがします。
 更にヨブが言った、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」(2-10)という言葉にも信仰の新たな視野を開かれる思いがします。私たちもヨブのように、順境の日にも、逆境の日にも、主イエス様の救いをいただいた者として、忠実な信仰の歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 15:11:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
最善の「終活」は?

私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(第二コリント5章1節)

 先日、ボランティア連絡協議会主催のホームホスピスについての講演会があり、「自然な死へ向かう過程」をサポートするホスピスの理念と、その実際的な介護について聴かせていただきました。今日、医療技術の進歩に伴う延命は可能になってきていますが、一方では、尊厳ある生き方、死に方についての考察も深められています。聖書は、「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(伝道3-2)と、神が人の命を召されるときがあることを教えています。
 最近では「終活」という言葉を耳にするように、自らの終末に備えようとする人たちも増えています。そこで聞いてほしいのは、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道12-1)という御言葉です。物事をわきまえる能力が健全であるうちに、自らの魂の安全を確保すべきことが求められているのです。
 昨年末にも、ある方が死についての不安を感じ、聖書の教えを問われました。私はその方に、「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5-24)というイエス様の御言葉をお伝えしました。体は齢と共に衰えていき、やがて土に帰っていきます。しかし、死を打ち破り復活された主イエス様だけが、その死から私たちを「永遠のいのち」へ移すことがおできになるのです。
 ホームホスピスの働きについて聴きながら、自分の身内一人を看取ることでさえ大変なのに、幾人かを預かって平安な終末期を提供するその働きが、いかに責任の重いことであるかを思わされました。私たちは「少しでも介護現場のお役に立てれば」との思いもあって、「歌とトークのプレゼント」のボランティアをしてきましたが、更に、キリストの愛と祈りをもって、その奉仕にたずさわらせていただきたいと願います。
 パウロは、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1-21)と告白しました。私たちもまたキリストの救いを証して生きるとともに、死を通してもキリスト信仰の希望を証できるよう備えてまいりましょう。


無題 | 16:35:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
2016年を、このように歩んでまいりましょう!

見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。(詩篇33篇18節)

 2016年の幕開け、おめでとうございます。元旦礼拝には、里帰りされたI様父娘(北九州)、I様御一家(宮崎)、TM姉も集われ、「新しい歌を主に向かって歌え」(詩篇33篇3節)と、神の御言葉からチャレンジをいただきました。まずこの一年の目標として、52回ある主の日の礼拝において、常に「新しき歌」を捧げ続けてまいりましょう。「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。」(18)とあるように、進んで主を礼拝する者たちを、神は特別に祝福してくださるからです。
 イエス様も、「霊とまことによって父を礼拝する真の礼拝者」(ヨハネ4-23)が求められていることを弟子たちに伝えました。私たちは神のこの求人に進んで応じ、神の御目に叶う「真の礼拝者」として育てていただきましょう。
 次に、「私たちのたましいは主を待ち望む。」(20)とあります。私たちは自らに与えられた能力に応じて奉仕しますが、それ以上に、全能の神の助けに依り頼む信仰者です。あの五つのパンと二匹の魚で五千人の空腹を満たされた主が私たちをお用いになるとき、そこにも驚くべき神の御業が現れるのです。
私たちの前には360余の白紙のページが残されています。あなたは一日一枚のそのページに何を書き込んでいきますか?しっかりと主に栄光を帰す何かを書き込んでいきたいものです。毎日、「主の祈り」をすることも一案でしょう。また、祈祷週報の一項目を日替わりで祈り続けることもできるでしょう。この一年を終えるとき、どのページにも、天に宝を積んだ記録が残るような生活を心がけたいものです。
 新年を病院で迎えられた兄姉もおられます。体の衰えを感じることも多くなっていくかもしれません。そのような中でも、「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4-16)と証しできるよう、復活の信仰に立って歩んでまいりましょう。皆さんのこの一年の信仰の歩みを、主イエス様が豊かに祝福してくださいますように!


無題 | 15:42:47 | トラックバック(0) | コメント(0)