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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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振り返ってみると、恵みがいっぱいでした!

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。(第一コリント4章1、2節)
 2015年の歩みも最後の主の日となりました。年頭に掲げた詩篇34篇には、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。」(1)とありましたが、そのように歩んで来れたでしょうか。ご本人の 病気、あるいは家族の問題で悩まれた方々もありましたが、そのような悩みの日にも、主の導きに信頼し、主を賛美できたでしょうか。
 小郡や朝倉の音楽祭、美奈宜の杜でのコンサート、「住民ボランティア福祉の集い」でのプレゼン、卑弥呼の湯での「歌とトークのプレゼント」など、主が多くの証しの機会を備えてくださいました。それぞれの集いで嬉しい感想を聞くこともできましたし、地域の皆さんとの交流を深めることもできました。こうした草の根的な活動を続けることによって、地域の皆さんが教会に親しみを感じるようになってくれればと願っています。
 また、11月に故A姉の御葬儀を執り行わせていただいたことを通して、教会がこの地に立てられていることの責任の重さを感じました。主がお一人のキリスト信仰者の葬儀を私たちに委ねてくださったのです。そのことお通して、多くの人たちがクリスチャンの天国の希望について聴くことができました。それは、教会が特別伝道集会を開くよりも、はるかに影響力の大きなことでした。
 イエス様はペテロに、「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」(ヨハネ21-15)と問われたように、私たちにも問うておられるのではないでしょうか。私たちがこの地の人々の魂の行方について、どれだけ責任を感じているかを判断しようとしておられるように思えるのです。
 社会においても、それぞれの能力に応じて、各自に仕事が割り当てられます。主も教会の責任能力に応じて、奉仕を割り当ててくださいます。ですから、私たちは常に、主の御用を担わせていただけるよう備えておかなければなりません。
 主がこの地に教会をスタートしてくださったときから数えて、来年は30周年を迎えようとしています。予想されること、また思いも及ばぬようなこと、果たしていくべき多くの務めがあることでしょう。「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」(Ⅱコリント12-9)という御言葉の約束を信じて、来たる2016年へと信仰の歩を進めてまいりましょう。


無題 | 15:41:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの心に訪れるクリスマス!

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ヨハネ伝2章10、11節)

 13日午後に故K姉の記念会を持たせていただきました。そこで、私はキリスト信者が「天に召される」ということについて語らせていただきました。まず聖書は、「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。(黙示21-3 4)とあるように、この世の苦しみから解放され、神と共にあるということをお伝えしました。そして、「聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。」(黙示7-15)とあるように、A姉は天において神にお仕えしていることもお伝えしました。ですから、私たちが礼拝に集い合うとき、その礼拝は世界中のキリスト信徒たちと共に礼拝していることであり、既に天に召された兄姉とも共に主を拝しているということです。
 また今日、私たちはイザヤがその名を、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と預言した救い主イエス様のお生まれを感謝して、クリスマスの礼拝をお捧げします。悲惨なテロが相次ぎ、おびただしい数の人々が難民となった2015年であったことを思うとき、世界中の人々に「平和の君」として来られたイエス様について証していくことの大切さを感じます。
 地球の温暖化を防止するために採択されたパリ協定において、気温上昇を産業革命以前の2度以下に抑えようとの合意が図られたとのことです。2m先がかすんで見えないほどの大気汚染のペキンで自動車ショウが開かれ、どんどん契約がされていったと聞きました。爆撃が雨あられのように続いている地域もあります。そのような現実の中で、どうして、あのような高い環境目標を達し得るというのでしょうか。
 私たちはあのノアの時代、「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」(創世6-5)と描写されるような状況であったことを思い起こし、神の下される裁きを恐れなければなりません。
 羊飼いたちにキリスト降誕を告げた天使たちは、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2-14)と祈りました。あなたの心に救い主イエス様は住んでおられますか?心を開いてキリストをお迎えし、共に本当のクリスマスをお祝いしましょう。


無題 | 19:53:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
「永遠のいのち」とは、このような希望です!

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)

 義母がくも膜下出血で倒れたとの連絡をいただき、「一言、主に祈りをお捧げするまで、生を留めてください。」と祈りつつ駆けつけました。到着したときには、義母は既に集中治療室を出ており、その呼吸を聞き、脈を取ることができました。その後、兄妹たち、親戚たちがそろったところで、祈りを捧げ、イエス様を信じる者が持つ天国の希望を証することができました。
 N姉は帰省する度、イエス様の救いを証ししましたので、私が伺うようになった頃には、義母は既に、私の祈りに「アーメン!」と応えていました。その後も帰郷する旅に、共に聖書を読み、讃美歌を歌い、主への礼拝のときを持ち続けてきました。「からし種ほどの信仰」(マタイ17-20)を顧みてくださる主が、必ずや最善のときに、御自身のみもとへ引き上げてくださると信じています。
 また、今日は11月8日に召天された故K姉の記念会を持とうとしています。それに先だって、故人と共に、この地域に住む外国人に日本語を教える活動を始められたという方が、お花を届けてくださいました。あらためて、k姉が主からいただいた「奉仕の賜物」を用いて、多くの方々に援助の手を差し伸べてきた方であったことを知りました。
 聖書は天に召されたキリスト信仰者に対して、「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21-3 4)と約束しておられます。また、「彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。」(黙示7-15)と天における聖なる務めについても伝えています。
 パウロは、私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1-21)と語っていますが、既に「死からいのちに移っている」(ヨハネ5-24)私たちは地上にありながら、既に天上の生活を先取りしているのです。
 このクリスマス、私たちの身の周りにも「暗黒と死の陰にすわる者たち」(ルカ1-79)がいます。その人たちの救い主となるためにも、イエス様はお生まれくださいました。一人でも多くの人たちが「神との平和」(ローマ5-1)をいただくことができますよう祈り、証しを続けてまいりましょう。


無題 | 17:44:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの心に訪れる「最高のクリスマス」!

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章6節)

 先日、ボランティアグループの研修会があり、人と人とのつながりの大切さを確認するために、1,000人もの人たちが脚と脚とを結び合い、筑後川の放水路を行進するというチャレンジが、この朝倉で行われたと聞きました。そしてまた、それはギネス記録にも認定されたそうです。そういうことによっても連帯感が生まれ、「いざ災害」などというときに進んで助け合うことができるのかもしれません。
 また、これは昔のアイドル歌手がラジオで話していたのですが、全国の高齢者施設を訪ねてのボランティアコンサートが1,000回を超えたそうです。私たちも似たようなことをしていますが、せいぜい、車で20分以内程度の範囲に限られています。なんとその方は全国の高齢者を和ませることを目標に、これからも活動を続けていかれるそうです。前者のようなタイプを地域ボランティア、後者のようなタイプを福祉ボランティアと読んでいるのだと知りました。
 イエス様は、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12-24)と語られ、御自身がすべての人の罪を負い、身代わりの死を遂げようとしておられることについて語られました。そして、「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5-24)と、より具体的に、イエス様を救い主として信じる人に、どのような救いがもたらされるかについても語ってくださいました。
 イエス様は二千年前、確かに十字架に架けられ、「地に落ちた」かに見えましたが、死を打ち破って復活され、多くの人々を「死からいのち」へと導き続けておられます。今の時代でも、「死の陰の地に住んでいた者」(イザヤ9-2)のような人たちが多くおられます。そのような人たちの上に「光が照った。」という喜びの訪れが来るのがクリスマスです。
 イエス様は罪を悔い改めた罪人に、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23-43)と約束されました。イエス様を信じた人たちは確かに「滅びることなく、永遠のいのちを」(ヨハネ3-16)を持ち、天において主を誉め讃えておられます。この罪の世に住む人々の中から、一人でも多くの人がクリスマスの救いに移されますよう福音の証を続けてまいりましょう。


無題 | 20:08:05 | トラックバック(0) | コメント(0)