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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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水害から、何を学び取るべきでしょうか?

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8章1節)

 毎年のように、集中豪雨による水害が起こるようになってきていますが、今回も茨城県常総市をはじめ、北関東から東北にかけ、多くの人々が深刻な被害を被ることとなりました。被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 気象の専門家の説明によると、台風の通過により、雨雲が鬼怒川沿いの上空に帯状に止まってしまい、水かさが増して、とうとう堤防の決壊にまで及んでしまったとのことです。しかし、ソーラーパネルを設置するために、堤防を削ったことが、決壊の原因であるとする説もあります。「想定外の自然災害」という表現でかたづける前に、もっと人間の中にある「罪」に目を向けて、真の防災を実現していかなければなりません。
 明らかな人間の罪が招いた豪雨と言えば、ノアの時代の洪水が思い起こされます。聖書はその時代について、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。(創世6-5)と伝えています。そのはなはだしい悪行ぶりは、「主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(6)とあるほどでした。
 結局、神は、「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。」(7)と決断され、大洪水をもって、その不従順な時代を滅ぼしてしまわれました。つまり、ノアの時代の洪水に関するかぎり、それは人間の罪に対する、神の裁きであったということです。
 政治も、教育も、経済も、何もかも、人間が幸せに暮らしていくために行われているはずです。しかし、その実現を阻んでいるものは何でしょうか。それは人間の罪です。詐欺、殺人、テロなどに関するニュースを聞かない日はありません。「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3-18)という御言葉のとおりです。
 この人間を不幸にしている「罪」という問題についてパウロは、「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した」(ローマ8-2)と宣言しています。一人でも多くの方が、神に対する不敬を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じ、神にお仕えする者とされますよう、イエス様の十字架の愛を証してまいりましょう。


無題 | 17:40:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
「あわれみの心」を働かせましょう!

この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ伝10章36、37節)

 高校野球の応援の感動を短歌にして市報に応募したら採用されたので、調子に乗って、新聞にも応募しておきました。すると、7日の文芸欄に載っているではないですか。「これは良い表現の方法を見つけた!」と思っているところです。
 よく、「人は潜在能力の3%くらいしか使わずに、一勝を終える。」などと言われます。そうだとしたら、それは実にもったいないことです。「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」(ローマ12-1)という御言葉には、それぞれが授かっている能力を発掘し、磨きをかけて、「神の栄光のために用いていく」という意味合いが含まれています。まだまだ、主に用いていただけるものが、私たちの中に眠っているのではないでしょうか。
 そんな中で、「戦乱の祖国あきらめ難民は、生きんがために海へ漕ぎ出す」という短歌が生まれるほどに、シリアやイラクから大勢の移民、難民がヨーロッパへ逃げ場を求めて押し寄せています。イエス様が、「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9-36)とあるように、ドイツのメルケル首相をはじめ、諸国が寛容な受け入れ策に動き出しているようです。人間の中にある身勝手な罪が彼らを追い出したのですが、やはり、人の中にある「あわれみ」(マタイ5-7)の心が、彼らを迎えようとしてくれています。
 イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)と招かれました。そして、今の時代、教会がこの御言葉を掲げて、イエス様のお働きを継承しています。トラクトを配布し、ホームページで語りかけ、人が罪から救われて、「永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3-16)ために、証の務めを果たしていくのです。
 ペテロは障害によって束縛されていた人に向って、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」」(使徒3-6)と語りかけ、彼の手を取って立たせました。私たちも誰かに手助けできるよう、いつも祈って備えておきましょう。


無題 | 19:40:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
与えられた任務を果たせたら、カッコいいですね!

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、(マタイ伝28章19節)

 先ごろ、宇宙ステーションに物資を輸送するため打ち上げられた「こうのとり5号機」が、油井飛行士のロボットアームの捜査によって、無事ドッキングに成功したというニュースが流れました。「宇宙開発」と聞いても、あまり関心がなかったのですが、米露が相次いで打ち上げに失敗した後だっただけに、「なんとか成功してほしい!」と祈らされていました。そんなプレッシャーのかかっている中で、油井さんは託されたミッションを、立派に果たしてくれました。
 また、先日、A高野球部の練習試合で、めったに出場機会のなかった選手が代打で出て、タイムリー決勝打を打ったと聞きました。一年生にレギュラーを取られ、悔しい思いをしている中での、渾身の一打だったのでしょう。私は思わず、彼のお父さんにお祝いのメールを送りました。それに対して、「やっとチームに貢献できました!」と喜びの返信が返ってきました。期待に応え、役割を果たすのは並大抵のことでないし、それを果たせたときの喜びはひとしおです。
 イエス様はこの地に私たちを遣わし、福音の証のために立てていてくださいます。神は、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため」(ヨハネ3-16)に、私たちを、この地に導き、イエス様の救いを証させていてくださいます。それは、実に光栄な務めです。
 今日、私たちはタイに遣わされている泉宣教師をお迎えし、宣教報告を聴かせていただきます。多くの困難が立ちはだかるタイの地で「失われた人を捜して救う」(ルカ19-10)、主イエス様の使命を担い続けておられます。直接、現状をお聞かせいただくことによって、更に後方支援の祈りを熱くさせていただきましょう。
 先日行われた神学校の入学式に参加された先生が、その式の写真を送ってくれました。「共に原点に戻りましょう!」というメッセージが込められていたのかもしれません。この秋も、遣わされたこの地で、イエス様の福音を証してまいりましょう。


無題 | 15:30:17 | トラックバック(0) | コメント(0)