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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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神の恵みは大いなるかな!

万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。(詩篇84篇12節)

 KBBC主催の夏季合同キャンプに参加させていただきました。高校が始まるというので一泊で失礼したのですが、台風の襲来となり、結局は帰ってきて正解でした。再会した皆さんから、「頼父君、がんばりましたね!」と声を掛けていただきました。「ああ、こちらの皆さんも息子の野球部の、この夏の快進撃を応援していてくださったんだなあ!」と、もう一度、小郡球場の感動がよみがえってきました。
 昨年のキャンプで出産を間近にしておられた御夫妻が、10か月のお子さんをダッコして参加しておられたり、中学生のとき、初めてお会いした姉妹が、元気いっぱいの三人の子どもたちを連れて、御主人と共に参加しておられたりして、ほほえましい集いでした。フェイスブックで交友のあるW宣教師御家族にも会うことができました。
 また、KBBCが長年の祈りであった新会堂を取得されたとの報告をうかがい、また、その敷地が400坪以上もあり十分な駐車スペース、果樹園付きであるにもかかわらず、割安であったと聞き、、「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。」(詩篇92-5)と、主の大いなる備えを感謝しました。
 帰教して台風の進路を確認すると、「九州上陸!」とのこと、嵐に怯える弟子たちにイエス様が語られた、「「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」」(マタイ8-26)という御言葉が思い起こされ、自然をも支配しておられる主の守りを祈り続けました。すると、台風も早足で通り過ぎて行ったように感じました。
 主は、「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」」(詩篇50-15)と約束しておられます。ですから、私たちは、どんなに難しい状況に陥っても、その御言葉で嵐をも沈められた主イエス様の御力に信頼し続けましょう。この信仰に生きる者こそが、神の驚くべきみわざを観ることができるのです。


無題 | 21:59:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの「ポジション」はどこですか?

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。(第一コリント15章5、6節)

 先日、高校野球の応援に行ったとき、ベンチ入りできなかった選手たちで結成した応援団の声がよく聞こえる席に座りました。彼らも当然、グラウンドでポジションに就きたいのですが、太鼓を叩いたり、掛け声で選手を励ましたりしていました。私も持参したマラカスを鳴らしながら、彼らと一緒に楽しく応援ができました。
 野球部には大勢いても、ポジションに就けるのは9人だけです。そして、観客も彼らのプレーに目を注ぐのですが、実は、レギュラーに入れなかった選手たちにも、それぞれ勝敗を左右する大切な任務があります。三塁コーチャーの判断次第でサヨナラ勝ちすることもあれば、ゲームセットになる場合もあります。応援の側に回った選手たちのノリノリの応援によってスタンドが一つになり、相手をビビらせ、エラーを誘うこともあります。
 こうして、高校野球の応援に関わらせてもらって、教会やフェローシップの働きについて、勉強になることが多々あります。そのチームのメンバーの一人として、チームの目的達成のために「何をできるか?」ということを、常に念頭において行動する必要があるのです。

 教会は地域社会の一員でもあります。イエス様は、「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5-14)と語られました。「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1-9)である救い主イエス・キリスト様を、この地域に紹介していく務めが教会に与えられています。その目的のために、「わたし」の果たすべき役割は何でしょうか。
 秋から来年に向って準備していく、いくつかの音楽イベントがあります。そのような機会が与えられていることを感謝し、イエス様の福音の「実が残る」(ヨハネ15-16)ことを祈りつつ、一つ一つの働きの準備を初めてまいりましょう。


無題 | 14:30:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
人を癒す「言」とは?

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ書4章6節)

 記録的な猛暑が続きましたが、久しぶりに恵みの雨があり、気温が4、5度下がったのではと感じるような昼下がり、卑弥呼の湯で「納涼歌のプレゼント」をさせていただきました。先月末、地域を沸かせた「朝倉高校野球部の快進撃」の話題は、まだ皆さんの記憶に鮮やかだったようで、「甲子園惜しかったですよね!」という反応を聞くことができました。父母会の一員として、私も次の大会へ向かって応援していく責任を感じていますので、「行け行け朝倉」という応援歌を披露させていただきました。機運を盛り上げていくために、あちこちで歌ってみたいと思っています。今度の卑弥呼の出演は10月、また多くの地域の皆さんとお会いできるのを楽しみにしましょう。
 ところで、最近、朝倉市報の文芸欄の選者の方から連絡があり、私の短歌が載せていただけるとのことでした。私には歌詠みの 習慣などないのですが、朝高野球の感動で目覚めた朝、一つの短歌が心に浮かんだのです。すると、その後、次々に湧いてくるではありませんか。大急ぎで、それらをメモし、三首を送らせていただいたところ、そのうちの一首が採用になったというわけです。

 この不思議な経験を通して、私たちが愛唱させていただいている讃美歌が生み出された経緯を想像することができました。おそらく、ペンと紙を持って、「さあ、作ろう。」と思って、できたものではないでしょう。神の恵みへの感動が心に留まり続けて、あるとき、ワッと詞やメロディーとなって溢れてきたにちがいありません。
 とは言っても、普段から言葉や音楽に親しんでいなければ、湧き上がってくる感動を表現する道具がありません。ましてや、病む人を癒すほどの言葉など語れるわけがありません。しもべが病に陥ったとき、百人隊長はイエス様に、「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」(マタイ8-8)と懇願しました。イエス様によって語られる御言葉には、「病む人を癒す力がある。」と信じていたのです。
 日々、聖書の御言葉を心に蓄え、神に祈りを捧げていくとき、私たちの「ことば力」は確実にアップしていきます。言葉に騙されたり、傷ついたりすることの多いこの時代、人を生かす「永遠のいのちのことば」(ヨハネ6-68)を、多くの人たちに証させていただきましょう。


無題 | 20:47:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
原爆の日、平和の礎は、ここにある!

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ書1章20節)

 先日お訪ねした施設で、「どなたか、御家族が戦地に赴いた方はありますか?」と尋ねてみると、「父がフィリピンで戦死しました。」という方がいました。「ああ、ここにも戦後70年を耐えてこられた方がいるんだなあ。」と思わされました。8月は広島、長崎への原爆投下をはじめ、日本が経験した戦争の悲劇の数々に思いを向けさせられるときです。
 おりしも、集団的自衛権の解釈のことで、民意が二分し、各地で「戦争反対!」のデモが行われています。それは、被爆者の方々をはじめ、戦争の残酷さ、悲惨さ、愚かさを、命を賭けて語り次いでいる方々がおられるからです。また、この時代にも、シリアやイラクのように、一千万人を超えるほどの人々が、戦争の故に難民となっている、悲惨な実態が報じられています。そうした証言や報道があればこそ、私たちは真剣に、「平和をつくる者」(マタイ5-9)にならなければと思わされるのです。
 最近の報道によれば、福島の原発事故の敷地内にたまり続けていた汚染水が取り除かれたとか、誰がそれをしてくださったのでしょうか。この猛暑の中で、懸命に廃炉作業を続けていてくださる方々です。誰もが避けて通りたい危険な仕事を、黙々としていてくださる方々があるのです。私はそうした、「縁の下の力持ち」になっていてくださる方々に、心から「ありがとうございます!」と申し上げたいです。

 私たちの心にも罪の汚染水が溜まり続けていたのですが、罪のない神の御子イエス様が、私たちの身代わりとなって十字架の罰を負い、私たちの罪の汚れをきよめてくださいました。私たちはこの御愛の事実を感謝をもって信じたとき、まったき救いをいただいたのです。
 戦後70年を記念する行事が行われる中で、私たちはもう一度、「神との平和」(ローマ5-1)を証させていただきましょう。誰がこの務めを果たせるでしょうか。それは、イエス様の御愛によって救われた私たちを外にして、誰もありません。一人でも多くの方が滅びの道から救われて、永遠のいのち(Ⅰヨハネ1-2)に入ることができますよう、教会に託された尊い証の働きを続けてまいりましょう。


無題 | 17:58:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
信じる者に祝福がある!

イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(ヨハネ伝11章40節)

 一週間経った今でも、あの小郡球場の感動が、多くの朝倉市民の心に残っているのではないでしょうか。結局、朝倉高校が9回表、土俵際まで3―0と追い詰めた九国大附属高が二年連続甲子園出場ということになりました。「悲願の一勝を!」と始まった大会でしたが、朝高野球部が甲子園へ行けたかもしれないような実力を付けていたとは、高校生たちの底力に、頬をぴしゃりと叩かれたような思いです。
 息子が先制点に繋がる二塁打を打った場面のビデオを何度も観ていました。将来、どんな苦境に立つことがあっても、あの場面を観れば、勇気と力が湧いてくることでしょう。聖書は、「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」(ヤコブ1-17)と教えています。誰もが素直な「信仰の人」となって、神様からの贈り物を、たくさん受け取ってほしいと願います。
 ダビデは、「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。」(詩篇90-10)と人生の短さを言い表しています。では、この限られたときを、どう賢く用いたらよいのでしょうか。イエス様は、「神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14-1)と語られました。私たちに与えられている「とき」は、まず第一に、キリストを信じ、「神の子ども」(ローマ8-14)となるために用いられなければなりません。
 次にダビデは、「どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。」(詩篇90-14)と祈っています。確かに、神の恵みの豊かさには圧倒されます。野球などとは、およそ縁のなかった私どもの長男が、あのような大観衆を湧き立たせるようなチームの一員として活躍するなどという、夢のようなことが現実に起こるのですから驚きです。
 今はむしろ苦境の中を通っている人がいますか?その人は主の約束の御言葉を信じて、祈り続けましょう。その試練の向こうに、神の栄光が表れ出ようとしています。どんな場面に立ち至っても、「主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、」(詩篇100-5)と大いなる神を誉め讃え続けましょう。


無題 | 17:39:26 | トラックバック(0) | コメント(0)