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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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最も幸せな人は?このような人です!

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ11章33節)

 秋に社会福祉協議会が主催する「住民福祉ボランティアの集い」で、「歌とトークのプレゼント」を続けてきたヘブンリー・ドロップスが紹介されることになり、先日、社協と内容の打合せをさせていただきました。20分で活動の目的やチーム名の由来について話し、実演をするとなると、かなり知恵を要します。しかし、私たちの活動が更に広く認知される良い機会が備えられましたので、しっかり準備して、皆さんの期待にお応えしましょう。
 こうした活動の起こりは私たちが甘木へ赴任してきた後、一年ほど経った頃、甘木公園の野外ステージで始めたミニ讃美コンサートでした。そこは立派なステージで、心から主を賛美できたのですが、人が通りがかることは多くありませんでした。しかし、主はそこで捧げられた祈りと賛美を覚えていてくださり、この15年間に、次々と賛美による証の機会を開いていってくださったのです。「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6-6)という主の御約束のとおりでした。

 私たちが今学んでいる詩篇73篇には人の心に起こりがちな「妬み」が描かれています。アサフは頭では信仰者に対する神の祝福をわかっているのですが、現実の場面では、「誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見た」(3)とあるように、神に背を向けた生き方をしている人たちが栄えているように見えてしまったというのです。もし、信仰者が、このような板挟みで苦しむとしたら、それは痛ましいことと言わざるを得ません。
 私も瞬間的に人をうらやむことはあるでしょうが、イエス様を信じようとしない人たちをうらやんだことはありません。人の幸せの尺度の第一は、その人が神様に向って、「天のお父様!」と祈ることができるかどうかです。イエス様の十字架を見上げて、罪の赦しをいただいた者だけが、平安の中で、神に祈ることができます。

 パウロは、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」(ピリピ3-8)と告白しました。私も「アーメン!」と応えます。そして、同じように、罪と滅びの泥沼から救われて、真の神を誉め讃える人たちが、次々に起こされていくよう、主イエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 18:41:40 | トラックバック(0) | コメント(0)
「聞き分ける」ためには?

わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。(ヨハネ伝10章27節)
 先日、高校の野球部保護者会の役員決めがあり、参加しました。責任のあることで、負担も多いことですから、案の定、進んでしようとする方はありませんでした。そんな中、ある御夫妻だけは終始、「何でもします。」という姿勢を貫いておられました。「自分の息子はレギュラーではないが、チームのこどもたち皆がけがなく、楽しく野球ができるよう協力したい。」ということでした。その積極的な態度に促されて、他の方々も任を負ってくださることとなり、チームを支える新体制がスタートできました。私もチームの安全と成長のために祈り、行けるときには応援に出かけようと思わされました。
 イエス様は教会を立て上げ、人々を「永遠のいのち」の救いに導こうとしておられます。私たちは、この神のお働きが前進していくためにあの御夫妻が示したような積極的な協力の態度を取りたいものです。「できることを何でもさせていただきます。」という一言が、きっと不可能を可能にしていくことでしょう。
 イエス様は、「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。」と語られました。ただ音が聞こえているということと「聞き分ける」ということとはちがいます。それが確かにイエス様の導きであるかどうか、瞬時に判断し、正しい道を選び取っていくのです。
 「サタンさえ光の御使いに変装するのです。」(Ⅱコリント11-14)とあるように、今の時代、詐欺師があれやこれやと騙しの声を掛けて回っています。関わり合えば、大損はしないまでも、貴重な時間を浪費させられます。そのようなことにならないためには、御言葉の学びと祈りによって、正しい判断ができるようにしておかなければなりません。
 私たちは、「良い牧者」(ヨハネ10-11)である主イエス様に礼拝をお捧げしていくことによって、さまざまな世の誘惑から守られています。そして、せっかく与えられている貴重なときを、神のお役に立つように用いたいと願っています。これが、きっと「イエス様に「ついて行く」ということなのでしょう。賛美の歌を歌いつつ、主の導きに喜んで従ってまいりましょう。


無題 | 16:21:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
世に「でたらめ」がまかり通ってはなりません!
ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。(ヨハネ伝1章29節)
 梅雨の中休み、福祉館で「初夏の歌プレゼント」をさせていただきました。「ここにきておられる方々は、普段どのように暮らしておられるのかなあ?」、こうして、二か月に一回お会いできて、嬉しいなあ!」などと思いつつの、楽しい一時間でした。
 イエス様は、「あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。」マタイ5-15)と語られましたが、あの舞台からの私たちの証をも、主は祝福していてくださるにちがいありません。次は八月、「真夏の歌プレゼント」、また、皆さんに再会するのが楽しみです。
 その日、私たちの出番の前にテレビが北海道の自動車事故のニュースを報じていました。まだ全貌が明らかになっているわけではありませんが、どうやら、カーチェイスでもしていたらしい暴走車が、赤信号にもかかわらず交差点に突っ込んで、幸せな一家を死傷させてしまったというのです。大けがをした女子中学生だけが残されたそうです。こんなでたらめなことが起こる社会であることが残念でなりません。私たちは犠牲となられたその御一家に何と詫びたらよいのでしょうか。
 聖書はそのような人間の姿について、「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3-12)と人の中にある「罪」を明らかにしています。すべての人が自分たちの中にある勝手、わがまま、神への不敬を悔い改めなければならないのです。
 私もかつては善悪のわきまえもないような者でしたが、教会に導かれ、イエス様の愛によって見い出されたことを感謝します。その尊い出会いがなかったなら、どんなに無益な人生を送ったことでしょうか。私たちを生まれ変わらせてくださった主イエス様は、信じるすべての人に神を讃えて生きる、価値ある人生をくださいます。この危険に満ちた時代に、イエス様の確かな救いの道を証してまいりましょう。


無題 | 14:57:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
今なら「できる」、ときを活かして用いましょう!

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝5章16節)

 私たちは「歌とトークのプレゼント」をしていますから、先日行われた朝倉市合併10周年記念の「にぎわっ祭」のステージイベントにも参加させていただきました。今回はボランティア仲間の手話の会の皆さんとのコラボで、「世界に一つだけの花」を歌いました。あの歌を歌っていると、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)という神様のメッセージが聞こえてくるようです。
 手話の会の皆さんが、「こんな晴れやかな舞台に立ったのは初めてです!」と言ってくれました。御近所の方も見ておられたそうで、写真を届けてくれました。秋の「住民福祉ボランティアの集い」では、もっと多くの人たちと共に、「生かされていることのすばらしさ」を感謝したいと願っています。
 イエス様は漁師であったペテロとアンデレに向って、「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4-19)と招かれました。彼らはそれまで魚のいる海へ出かけていましたが、今度は、人中に立って、イエス様の救いを証する者となりました。ペテロの説教によって三千人が救われたとも書かれています。それに比するならば、私たちのしていることなどは、福音の証の前段階程度かもしれません。
 しかし、聖書は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8-28)と約束しています。「何もできなくて」と悲観する必要はありません。できることをするだけで十分です。神が、その奉仕を幾倍にも増して用いてくださるのです。
 岐阜BBCの牧師夫人であられた故市村直実姉が、「もっともっとイエス様に奉仕したい!」と願いながらも、時至って、天に召されて行ったと聞きました。私たちにはまだ、この地上で主を証できる時が与えられています。感謝しつつ、この大切な「とき」を用いさせていただきましょう。


無題 | 15:40:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
今なら「できる」、ときを活かして用いましょう!

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝5章16節)

 私たちは「歌とトークのプレゼント」をしていますから、先日行われた朝倉市合併10周年記念の「にぎわっ祭」のステージイベントにも参加させていただきました。今回はボランティア仲間の手話の会の皆さんとのコラボで、「世界に一つだけの花」を歌いました。あの歌を歌っていると、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)という神様のメッセージが聞こえてくるようです。
 手話の会の皆さんが、「こんな晴れやかな舞台に立ったのは初めてです!」と言ってくれました。御近所の方も見ておられたそうで、写真を届けてくれました。秋の「住民福祉ボランティアの集い」では、もっと多くの人たちと共に、「生かされていることのすばらしさ」を感謝したいと願っています。
 イエス様は漁師であったペテロとアンデレに向って、「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4-19)と招かれました。彼らはそれまで魚のいる海へ出かけていましたが、今度は、人中に立って、イエス様の救いを証する者となりました。ペテロの説教によって三千人が救われたとも書かれています。それに比するならば、私たちのしていることなどは、福音の証の前段階程度かもしれません。
 しかし、聖書は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8-28)と約束しています。「何もできなくて」と悲観する必要はありません。できることをするだけで十分です。神が、その奉仕を幾倍にも増して用いてくださるのです。
 岐阜BBCの牧師夫人であられた故市村直実姉が、「もっともっとイエス様に奉仕したい!」と願いながらも、時至って、天に召されて行ったと聞きました。私たちにはまだ、この地上で主を証できる時が与えられています。感謝しつつ、この大切な「とき」を用いさせていただきましょう。


無題 | 15:39:41 | トラックバック(0) | コメント(0)