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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ伝22章32節)

 激しい戦火の下にあるシリアやイラクを逃れた難民たちを乗せた船が地中海で難破し、何千という人たちが命を落としていると報じられています。愛する祖国の将来に絶望し、何もかも棄てて航海に出るのでしょうが、新天地への旅程は容易なものではありません。こうした差し迫った状況から、地中海で事故に遭う船が例年の30倍にも及んでいるとのことです。

 戦火に巻き込まれて命を落とす人々、それを逃れようとしても叶わない人々、これほど犠牲者を出し続けながらも、戦いを止めようという気配は、いっこうに見えてきません。こうしたニュースを聞いて、今、私たちにできることは、そうした苦難の中にある人々がいることを忘れず、その地に平和が来たらんことを祈り続けるだけです。
 ある律法の専門家がイエス様に、「では、私の隣人とは、だれのことですか。」(ルカ10-29)と尋ねたときイエス様は、強盗に襲われ、瀕死状態に陥った人を助けた「良きサマリア人の例え」を話されました。先にその場を通りかかった二人の宗教家たちは、関わりになることを嫌い、通り過ぎていったのですが、縁もゆかりもないはずのサマリア人が「彼を見てかわいそうに思い」(ルカ10-33)、親切なもてなしで、その負傷者を助けたのです。この例えの結論としてイエス様は、「あなたも行って同じようにしなさい。」(37)と語られました。

 心の視野が狭くなると、とかく不満が多くなりがちです。しかし、今このとき、地球上のどこかで命からがら逃げ惑っている人たちがいると知るとき、どんなに自分たちが恵まれた境遇にあるかに、ハッと気付かされます。そうすると、「こんなことで愚痴を言っていては申し訳ない!」という気持ちになります。
 私たちが困難の中にある人たちのために祈るとき、いつも、ていねいに祈ろうとする必要はありません。それよりも、その人のことが頭に浮かんだとき、短くでいいですから、名前を上げて祈ってあげましょう。祈りはその人に対する愛の表れであり、応援のメッセージです。私たちも置かれた場にありながら、多くの人たちを支える「祈りの奉仕者」に加えていただきましょう。


無題 | 17:48:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
「災いを転じて福と成す」には?

主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル書2章18節)

 雨上がりの午後、健康福祉館で「春の歌プレゼント」をさせていただきました。テープを忘れてハラハラしたり、間奏で飛び出したり、小さなハプニングはいくつかあったのですが、結果オーライ、お集まりの皆さんと共に、名曲の数々を仲立ちに、楽しく交流させていただきました。お馴染みさんはもちろん、ちらほら新顔もお見かけできたようです。六月にも出演させていただくことになりましたので、梅雨時のうっとうしさを吹き払うような爽やかな音楽のプレゼントを用意して、また皆さんと再開しましょう。

 私たちは先週、弟子たちが発した、「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」(ヨハネ9-2)という質問に対し、イエス様が応えられた、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」(3)という御言葉について学ばせていただきました。人権意識が高まってきた今日でこそ、あからさまにこのような質問をするのを聞くことはほとんどありませんが、当時は病気や障害などを、その人、あるいは、その先祖が侵した罪と結び付けて考えることは、極めて普通のことでした。 
 ですから、イエス様のお応えが、いかに衝撃的であったか、容易に想像できるのではないでしょうか。「この人は罪の罰を受けている。」と決めつけられている人が、何か努力してみる気になるでしょうか。当然、「どうせ、おれなんか。」と自暴自棄になるのがせいぜいでしょう。
 しかし、イエス様は、「神のわざがこの人に現われるため」と宣言されたのです。その人は勇気凛凛、イエス様の指示どおり、シロアムの池へと歩き出しました。彼の中に生まれたイエス様への信仰は彼の眼を開くのみならず、「永遠のいのち」の救いをももたらす結果となったのです。
 私たちにも、「このことが不幸の原因だ。」と思っているようなことがあるかもしれません。イエス様は、そのことに対しても、「神のわざがこの人に現われるためです。」と語っておられるのです。さあ、私たちも立ち上がって、イエス様の救いへと、信仰の歩みを踏み出してまいりましょう。


無題 | 16:23:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
「永遠のいのち」の希望を感謝します!

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ伝5章10節)

 先週のイースターにはK様、O様、K様が再来会され、「イエス様の十字架と復活」の朗読劇にも加わってくださいました。キリスト信仰の核心的な場面の再現であるにもかかわらず、お三方が自然体で参加しておられる御様子に、10年を超す教会との関わりの実を見る思いがしました。ランチョンにも残ってくださり、姉妹たちが持ち寄ってくださった4種類のサンドイッチと2種類のゼリーをいただきながら、楽しい語らいのひとときを持つことができました。
 御主人の病のため集えなかったJ姉や、お仕事で集えなかったR姉と二人のMちゃんたちのためにも、復活の主の守りを祈りました。やむを得ず礼拝に集い合えないような事情に置かれても、「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(箴言3-6)とあるように、姉妹たちが試練の中にあっても、キリスト者としての姿勢を貫けますよう祈りましょう。
 受難週、ケニヤの学生寮で朝の祈りを捧げていた学生たちをテロリストが襲撃するという、決してあってはならない惨劇が起こってしまいました。二千年前、イエス様が十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23-34)と祈ってくださったのは、あのような暴徒たちのためでもあったのでしょうか。
 一方、神にお仕えする祈りの最中に命を奪われた学生たちに向かっては、冒頭に掲げた、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」という約束が与えられていることは慰めであり、希望です。パウロも、「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8-38 39)と、キリストに付く者の勝利を宣言しています。
 主イエス様は、「わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」(マタイ24-9)とクリスチャンに対する迫害について予言されました。しかし、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28-20)とも約束しておられます。ですから、私たちも、「堅く立って、動かされることなく」(Ⅰコリント15-58)、主イエス様の救いのすばらしさを証してまいりましょう。


無題 | 20:08:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
失望を希望に変えるもの!

それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ伝20章27節)

 「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。」(マタイ21-9)と人々に歓呼され、エルサレムへ入場されたイエス様は、やがて、弟子たちに裏切られ、不当な裁判によって、十字架刑に処せられました。その受難の過程は福音書に克明に記され、二千年後の今でも、その場にいたかのような感動をもって読むことができます。

 特に、十字架上での、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23-34)と祈られた、イエス様の祈りが胸に迫ってきます。「親の心、子知らず」とありますが、神のみこころを知らずに、我欲の追求に明け暮れている今日の人たちのためにも、主は今なお祈り続けていてくださるのです。
 そして、更に大きな感動をもって、今朝、私たちは主イエス様の勝利の復活をお祝いします。深い悲しみの中で墓を訪れた女たちに、「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。(ルカ24-5 6)という喜びの知らせが告げられました。事実、主は弟子たちの真ん中に立たれ、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20-19)と祈られたのです。

 ですから、弟子たちはどんな迫害に遭っても、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2-32)と主張し、恐れることなく、イエス様の復活の事実を証しました。パウロも、「キリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリント15-20)とクリスチャンの希望が主の復活にあることを伝えています。
 満開の桜を見上げると、人の気持ちは明るくなります。イエス様の十字架を見上げると、そこには「赦し」があります。主のよみがえりは、信じる者に「永遠のいのち」を与えます。このイースター、死を打ち破られた救い主イエス様を、あなたの心の王座にお迎えしましょう。


無題 | 19:25:07 | トラックバック(0) | コメント(0)