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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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人間関係が祝福されるには?

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ伝6章33節)

 先週、I姉が帰国前に、証を聞かせてくれました。棚田で有名なルソン島の山岳地方で生まれ育った姉は13歳でバプテスマを受け、教会学校の先生をしたり、宣教チームで讃美伝道に加わったりしたそうです。介護し見習いとして甘木に来られた姉を、主が教会へ導いてくださり、ジョイフルクワイヤのメンバーとして、4度も音楽祭に出演し、その笑顔をもって、多くの人たちに主を証してくれました。一時帰国されますが、日本が大好きだそうですから、主が姉に最善の道を開いてくださるよう祈りましょう。
 さて、「人間」という字は「人の間」と書きます。さまざまな個性を持つ人との関わりは学びや訓練を要する芸術の一つと言えます。家庭、地域、職場にあって、祝福された人間関係を持つための五つのポイントを、箴言から学んでみましょう。
 1.いつも、周囲の人たちに善を行うことを心がけましょう。そのようにしていくとき、神が働いてくださり、「その人の敵をも、その人と和らがせる。」(16-7)とあるように、対立を取り除き、祝福された関係を育んでくださいます。
 2.毎日問題は起こってきますが、「理由もなく、人と争うな。」(3-30)とあるように、自分がトラブルの発生源にならないように心がけましょう。
 3.「昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑にはいり込んではならない。」(23-10)とあるように、周囲の人たちを尊敬し、その持ち物、能力を尊重しましょう。
 4.人の痛みに対して、繊細でありましょう。特に、傷ついている人が、どのような接し方を望んでいるか理解するよう心がけましょう。
 5.人に対して賢い言葉を使えるように心がけましょう。折に叶って、ふさわしい聖書の御言葉を用いることができるよう、普段から心に御言葉を蓄えておきましょう。
 イエス様を信じ、神様との正しい関係が回復されるとき、私たちの人間関係は良きものへと整えられていきます。神様に喜ばれる生き方をして、周囲の人たちとも幸いな関係を育んでいただきましょう。


無題 | 20:04:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
「本当の自由」が、ここにあります!

主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。(詩篇69篇13節)

 フィリピンから介護士の実習に来られていたI姉妹が帰国されることになり、今日が最後の教会出席となりました。日本語の讃美歌を一生懸命覚え、音楽祭にも参加して、共に主を証できたことは、良き思い出として、いつまでも心に残ることでしょう。大学で農業を学んだ姉は、大好きな日本で、今度は農場で働いてみたいという夢を持っています。最善の道が開かれますよう祈りましょう。
 先週、私たちはイエス様が語られた、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8--32)という御言葉について学びました。おそらく、すべての人が束縛や強制を嫌うでしょう。人の歴史は、この「自由」を求める闘いのれきしだったとさえ言えるのではないでしょうか。では、果たして、今の時代の人たちは、その自由を、どれだけ享受できているのでしょうか。
 「ネットいじめ」、「パワハラ」、「「DV」などという言葉をしばしば耳にするということは、今なお、自由に程遠い人たちが大勢いるのが現実のようです。では、イエス様は私たちに、どのような自由を約束してくださったのでしょうか。
 それは、イエス様の教えに従う者だけがしることのできる自由です。そう聞くと、ある人たちは、「それは束縛です。私は今の自由を失いたくありません。」と言うかもしれません。しかし、そのような人たちに向って聖書は、「人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。」(ローマ9-20)と問いかけています。神を神として礼拝することは束縛などではなく、人としての最高の喜びなのです。
 主イエス様は私たちを罪の奴隷状態から解放してくださった、私たちの救い主です。私たちの心には神に向って、「アバ、父。」(ローマ8-15)と呼びかける聖霊が住んでいてくださいます。私たちは神を誉め讃える自由、神に祈る自由を持っているのです。この特権を感謝して、主イエス様だけが与えうる「魂の自由」のすばらしさを証してまいりましょう。


無題 | 17:27:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
身に着けるべき「知恵の初め」とは何でしょうか?
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ書6章23節)

 島根の純朴な環境で育ったであろう少年が、都会に引っ越して間もなく、不良少年グループに関わるようになり、ついには惨殺される結果となってしまいました。比較的、治安が良いとされる日本社会にも、底深い闇の領域が広がっていることを痛感させられる事件でした。事件現場に花を手向けながら、多くの心ある人たちが、「守ってやれなくて、ごめんね!」と言っていました。それを聞きながら、教会に託されている使命の重さを再認識しました。
聖書は、「主を恐れることは知恵の初め、」(箴言9-10)と教えています。人が人となっていくために、まず第一に知らなければならないことは、「神を畏れ敬うことであり、罪を侵す者に対し、厳正な裁きを下されるお方が天におられることを知ることです。この知識は何にも先んじて、こどもたちに身に着けさせておかなければならないのに、真剣に取り上げられていないのが現実です。これは実に残念なことであり、大いなる損失です。

安部首相の主導する教育改革で、「道徳」が正式な科目に加わると聞きました。果たして、どのようにして、こどもたちに善悪の基準を身に着けさせていこうとするのでしょうか。戦時中に教育勅語があったように、今の時代に合った、新たな基準を造り出そうというのでしょうか。
私たちは朝、息子が起きて来ると、いの一番に「主の祈り」を唱えます。主イエス様が弟子たちに、「こう祈りなさい。」(マタイ6-9)と教えられた、あの尊い祈りです。短いその祈りの中に、人の心を育てる、あらゆる要素が祈り込まれていることに驚かされます。
一か月後のイースターの前、数週、私たちの罪を負うために十字架へと歩み行かれたイエス様を思うときを過ごします。案内を配布しながら、この地に住む人々に、人を新しく生まれ変わらせてくださるイエス様を証させていただきましょう。聖書が、「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1-5)とキリストに付く者の確かな希望を約束しているのですから。


無題 | 20:36:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
最高のガイドが共に歩んでくださる!

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。(詩篇23篇3、4節)

 先日、大野城市の中途失明者の会が主催する音楽会が開かれ、参加してきました。大正琴のアンサンブルを楽しんだ後、I夫妻と私たちで、「日々主はそばにいまし」、「上を向いて歩こう希望バージョン」、「明日を司る方を私は知っている」の三曲をコーラスさせていただきました。「このような歌を歌ってみたい方がありましたら、お知らせください。」と付け加えておきましたら、コンサート終了後、一人の御婦人が来られ、「「私も、あのような歌が歌いたいです!」と申されました。やはり、出かけて行くと、出会いが備えられているものですね。中途失明という苦境を経験しておられる皆さんに、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8-12)と語られたイエス様を証する機会が与えられたことを感謝します。
少し、周辺におられた方々と挨拶を交わすことができたのですが、皆さん、そうした集いで仲間になることによって、力を得ている御様子でした。ある方などは「大堀公園を走ろう会」に参加しておられるそうです。視覚障害者を助けて走ろうとする伴走者の方が多くおられ、ノビノビと走れるのだそうです。私も、いつか参加してみようかと思わされました。

私たちは先週、「心を尽くして主に拠り頼め。」(箴言3-5)という御言葉を学んだのですが、ちょうど、それは視覚障害のある方が伴走者を信頼し、安心して走るようなものです。開放感を感じて走れるだけでなく、きっと周りの情景なども解説してもらいながら、楽しく走るのでしょう。
しかし、今の時代、残念ながら子供たちが犠牲になり、高齢者が詐欺に遭うような悲劇が頻発しています。メディアも、こぞって、うかつに人を信用しないように勧めています。では、果たして、「信じる」ことなしに、人は幸せになれるのでしょうか。
イエス様は、「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6-29)と語られました。このお方は、私たちを救うために、私たちの罪を代わりに負ってくださった救い主です。これからも、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ6-37)と約束していてくださる、私たちの救い主イエス様を、多くの方々に証してまいりましょう。



無題 | 15:56:05 | トラックバック(0) | コメント(0)