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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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本気で願っているでしょうか?
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5章17節)
 息子のチームがA校で試合をするというので、応援に出かけてきました。息子は二度出塁し、いずれも盗塁を決めて、ホームへ帰って来、チームも勝つことができました。何人かの保護者の方々とも親しくなることができ、楽しい一日でした。
 その中で、あるお母さんが息子さんの話をしてくれました。エース候補として入部し、寮生活をしながら野球に打ち込んだのですが、ベンチ入りもできないまま、この夏で卒部したとのことでした。A高チームでも、同じように練習を続けていても、試合にでられない控え選手がいます。
 その話を聞きながら、38年もの間、病の癒しを待ち続けた男に、イエス様が、「よくなりたいか。」(ヨハネ5-6)とお声を掛けられた場面を思い出しました。人は何事においても、容易に「出来ない」理由を持ち出して、あきらめムードに入りがちです。イエス様のこのギクッとするような質問は、とかく挑戦心を失いがちな私たちに、本気の度合いを確かめようとしているかのように響いてきます。
 私たちは今、イエス様から「よくなりたいか。」と問われて、即座に「○○してほしいです。」と応えることができるでしょうか。一応、願望、祈りはあるにしても、半ばあきらめムードに陥ってはいないでしょうか。信仰は突然の軌跡を期待するというよりも、一歩着実に前進、向上するために必要なのです。
 この挫折続きの男の病を癒すのみならず、彼に魂の救いを与えてくださったのはイエス・キリスト様でした。私を絶望の淵から救い出してくださったのも、同じイエス様です。そして、今もなお、悩みに沈む人の傍らに立って、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)とその人を、「永遠のいのち」の救いへと招いていてくださるのです。


無題 | 21:53:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
祝福された男女の交際、結婚について
結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。(ヘブル書13章4節)
 
 先日、練習試合に行っていた息子が、「ホームラン打ったよ!」と言って帰ってきました。「100メートルぐらい飛んだらしいよ。」ということでした。「何本ぐらい打ったら、ドラフトで指名されるかねえ?」と、かまをかけてみました。ますます、やる気が増したところ、今度は肘へデッドボール、よほど痛かったようですが、骨に影響はなかったようで、感謝しました。
 先週、私たちは若者たちの「異性との交際」について学びました。この極めて大切な問題は、「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世1-27)という、人の創造から始まっています。神は男と女が出会い、結婚し、次の世代を生み出していくように定められたのです。
 「あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。」(詩篇128-3)は、家庭に注がれる神の祝福の豊かさを描いています。若者たちがどのように出会い、交際していったら、このような幸いな家庭を築いていけるのでしょうか。その第一条件は、同じ神を仰ぎ見る男女が出会い、御言葉によって養われ、結婚へと導かれていくということです。
 ですから、神を礼拝する場が、祝福された男女の出会いの場ともなっていくことは、神が望んでおられることです。また、既に交際を始めているカップルが共に聖書を開き、将来の結婚に備えていくためにも、教会は任を託されています。チャペルでの結婚式は増えているのですから、そこに至るまでの交際においても、教会が活用されていかなければなりません。
 正しい導きのないままに深まった男女の交際が、どれほど不幸な結果に至るかは、しばしばニュースでも耳にすることです。今の時代、若者たちにとって、「どう感じるか?」が基準であって、聖書が示す結婚の原理などは古臭いこととされがちかもしれません。しかし、結婚に関する祝福の原理は変わることはないのですから、これからも、この大切な真理を証してまいりましょう。


無題 | 20:15:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
神を認め、敬う人の人生は祝福されます!
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネ伝17章17節)
 
 10年ほど前に来教されたアメリカの宣教チームの一人、ケヴィンさんからメールをいただきました。「今でも、九州への宣教旅行の話をしてますよ。」と書いてありました。風船アートで子どもたちを楽しませてくれたケヴィンさんですが、今は中学校の教師をしておられるそうです。「甘木教会のために祈っていますよ。」という言葉に励まされました。
 さて、先週、私たちは「今の時代に、どう聖書の真理を証していくか」ということを学びました。最近聞いたことでは、自動的に車間距離を取ったり、障害物を検知したりしながら、安全運転をしてくれる車が実用化されつつあるとか。そんな車が増えれば、事故が減って大いに助かります。自分の細胞から新しい細胞を造って病気を治せるような実験も進んでいるようです。このように、科学技術が日進月歩の時代に生きる人たちは聖書の真理や、主権者なる神の存在に敬意を払おうとするでしょうか。
 聖書は、「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(箴言19-21)と審判者なる神の存在を明らかにしています。パウロもまた、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(Ⅰコリント1-25)と神に信頼する賢い生き方を勧めています。
 人間の浅知恵の典型のようなニュースを耳にしました。自分の事業を引き継がせるために、外国で代理妻を雇い、12人の子どもをもうけた若い実業家がいるとかいないとか。「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1-7)という聖書の戒めに立ち返らなければ、人の倫理観は、どこまで麻痺してしまうのかと、唖然とさせられました。
 この秋、私たちは二つの音楽祭で、讃美歌コーラスによって、主イエス様の救いを証する機会が与えられています。果たして、どれだけ、そのすばらしさをお伝えできるでしょうか。「あの人たちが持っている「あの希望」を、私も持ちたい!」と思う人たちが起こされるような讃美をさせていただきたいものです。私たちの表情、ハーモニーを通して、主イエス様の栄光が現れ、教会へ導かれる魂が起こされますよう祈りましょう。


無題 | 18:33:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
「死」への最善の備え
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(第一テサロニケ4章16、17節)
 
 高校野球秋の大会が始まり、息子が出るかもしれないというので、応援に出かけました。到着したときはランナーコーチャーをしていましたが、最終回、代打で登場、四球を選んで、それがダメ押し点に繋がり、朝高が初戦を突破しました。どんなプレッシャーのかかる場面においても、「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。」(詩篇56-3)と告白し、チームに勇気を与えることのできる選手に成長していってほしいものです。
 さて、先週、私たちは「死」について学びました。愛する肉親や親しい友との死別を経験した人であれば、死がどんなに残酷で、深い悲しみを伴うものであるかを知っているはずです。ところが、イエス様は、「わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせる」(ヨハネ伝6-39)と、キリスト信者の復活を約束してくださいました。また、その確かな保証として、御自身が死を打ち破って、よみがえられたのです。

 その結果、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)を授かっている私たちキリスト者にとって、死は輝かしい栄光への通過点にすぎなくなりました。その線を越える瞬間、私たちの魂は、その与え主なる神の懐へと帰って行くのです。
 私たちに委ねられている課題は、その死を迎えるまで、どう生きるかということです。聖書は、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9-27)と教えています。つまり、私たちはやがて主の御前で、地上に置かれている間、どう主にお仕えしたかを報告するときがきます。

 私たちの周りの人たちは、どこへ向かって生きているでしょうか。彼らが「永遠の滅び」に至ることのないように、私たちは救い主を紹介しなければなりません。まずは、その人たちの名前を上げて、祈るところから始めましょう。その人たちを、神は特に覚えてくださるからです。この秋も、与えられている一日一日を大切にして、主の「忠実なしもべ」(マタイ25-21)として歩んでまいりましょう。


無題 | 19:55:37 | トラックバック(0) | コメント(0)