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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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心配するより、感謝しましょう!讃美しましょう!喜びましょう!
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。(ピリピ書4章4、5節)
 
 10月19日に「飛び出せ!小郡音楽祭」という催しがあると聞き、市の文化協会の推薦をいただいて、ジョイフルクワイヤの出演申し込みをしてみました。数ある音楽グループの中から10チームということだったので、選ばれる可能性は低いのではと思っていました。ところがビックリ!わずかな人数の讃美歌コーラスに出演通知が届きました。
 讃美歌は「世界遺産」にもふさわしいほどの信仰文化の遺産です。もちろん、第一には、礼拝で神に捧げられる音楽ですが、それだけでは、もったいないです。讃美歌には人の心を和らげる「癒しの力」があります。来る秋にもう一つ、このような機会が与えられたことを感謝して、主イエス様の救いを証する信仰の歌を準備させていただきましょう。
 先週、私たちは「心配事に、どう対処するか?」について学びました。おそらく、心配事のない人はいないはずです。自分の責任を真剣に果たそうとすれば、そのことで心がいっぱいになりますし、その状態が継続すれば、「思い煩い」に発展してしまうこともあります。では、人の気持ちを憂鬱にする、このストレスに、どう打ち勝つことができるでしょうか。
 ここでは特に、目先の心配事に「心を奪われてはならない」ことを強調しておきます。イエス様は、「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14-3)と約束されました。信仰は私たちを、この希望に立たせてくれます。主イエス様に救われている喜びを思うとき、心配事は一つ一つ消えていくのです。
 イエス様はまた、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6-27)とも 問うています。そして、繰り返し、「信じる」ことの大切さを説かれました。思い煩って憂いに沈んでいるのではなく、神を信じて「喜んでいる」生き方を選び取ってまいりましょう。


無題 | 15:58:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
この「良い習慣」を身に付けましょう!
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。(箴言3章7、8節)
 
 遠くにに住む親せきの一人が、心身の不調で苦しんでいます。老いた両親や子どもたちがいても、家族のお世話どころではない病状のようです。「祈っていてくださいね。」と言われました。長年、週報を送り続けているので、イエス様の神様に対する信仰が芽生えているのかもしれません。今後、事態がどう推移していくのか恐れを感じますが、「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。」(ルカ4-40)という御言葉に信頼して、イエス様の癒しを祈り続けます。

 先週、私たちは「悪い習慣を止めて、良い習慣を身に付ける。」ということについて学びました。その人の人柄は、毎日の生活の連続によって形作られていきます。一足飛びに「思いやりのある」人ができるのではなく、日ごろから思いやりのある言葉掛け、親切な手助けを実践していくうちに、いつもまにか、それがその人の人柄となっていくのです。
 最近、脱法ハーブや飲酒の影響による事故が多発しています。悪い習慣に迷い込んだ結果です。「自分の好みだから」と言って済むことでしょうか。私たちは、悲惨な結果を刈り取ることになるような、多くの悪い誘惑に囲まれていることを恐れ、そのような罪から離れなければなりません。

 聖書は、あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道12-1)と勧めています。そして、「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。」とも。良い習慣の第一は、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛」(マタイ22-37)する、つまり、「真の神」への礼拝です。
 この祝福に満ちた「礼拝」の習慣を身に付けることによって、私たちの「内なる人」(Ⅱコリント4-16)は養われ、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22)の美質を実らす者へと変えられていきます。ますます神中心の生活を選び取ってまいりましょう。


無題 | 15:28:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
危機の中でも、揺るがされない「人生の土台」は?
主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。(出エジプト記15章2節)
 
 何十年に一度の大災害を引き起こす恐れのある台風が、これから九州に近づこうとしています。昨夜は北海道で震度5弱の地震もありました。また、今朝のニュースによれば、北朝鮮が日本海に向けて、ミサイルを撃ち込んだそうです。中国の露骨な日本叩きもエスカレートしています。そんな不安の中にあって思い出されるのが、「風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。」(マタイ8-26)というイエス様の軌跡の場面です。
 また、聖歌の作者は、「疑い、恐れに囲まるるとき、仰げ!主を!」(538番)と、直面する難問に眼を奪われることなく、主イエス様に眼を注ぐべきことを教えてくれています。もちろん、「神に信頼する」ということは、「祈っていさえすれば良い!」という、「あなた任せ」の態度ではありません。神の知恵をいただきつつ、あらゆる状況に対処すべく、入念な備えをする」ということです。
 山手にある施設へ「歌のプレゼント」にうかがうことになっていたのですが、「とうてい行けまい。」と決め込んでいました。ところが、予想以上に台風の足踏みが長く、無事に務めを果たしてくることができました。帰宅すると、高校からメールが入り、明日(10日)は休校とのこと、ますます主イエス様の権威ある御名によって、守りを祈らねばと思っているところです。
 イエス様は嵐に怯えてパニックに陥った弟子たちに、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」と語られました。おそらく、今の私たちも、とかく弱音を吐きがちな者に過ぎません。でも、それでいいのではないでしょうか。そんな弱い者でありながらも、なお主の御名を呼び続ける者こそ「真の信仰者」と見なしていただけるのではないでしょうか。
 四面楚歌の中で神の軌跡を見たモーセとその一行は、「「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。」(出エジプト15-1)と神を褒めたたえて歌い、踊りました。私たちも主の御業を見、歌い、踊って、主の偉大さを褒めたたえる者とさせていただきましょう。


無題 | 15:56:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
平和をつくるために、どう武装しますか?
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(エペソ書2章14、15節)
 
 私たちが学校で日本国憲法について学んだとき、9条の「戦争放棄・平和主義」を最も大切な条項として教えられたのではないでしょうか。そのおかげでか、戦後69年、私たちは戦争に巻き込まれることなく、平和を享受してくることができました。それがここにきて、9条の解釈を変更するという結論に至ったようです。つまり、いくつかの状況が発生した場合には、国民の生命と財産を守るために、軍事力を行使することが容認されたということです。このような重大な解釈の変更までしなければならないほど、日本が安穏としていられる状況ではないということでしょう。
 現実に、イラクやシリアをはじめ、多くの国々で戦火が拡大し、多くの民衆が命からがら逃げ惑うような悲惨な状況が起こっています。平和な国づくりのために皆が力を合わせることができたなら、豊かで幸せな生活が約束されているのに、それができないのです。暴力は憎しみの連鎖を増し、何一つ良い結果を生み出し得ないことがわかっていても、その愚かな手段を行使し続けているのです。
 どうやら、平和憲法の解釈は変更されることに落着したようですが、神の御言葉の解釈は変えられてはなりません。パウロは、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」(エペソ6-10)と、私たちに聖なる武装を促しています。私たちの武装は、「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。」(14 15)と表現されています。聖書の御言葉と、聖霊に導かれた祈りこそ私たちが身に付けるべき武具です。
 先日うかがった施設の職員の方が、いつも痛いところを捜しているような人には、「『ありがとう!っていってみたら』と言うんですよ。」と言っておられました。それが有効かどうかはわかりませんが、主イエス様のお名前を通して「父なる神」に祈ることは正しい祈りの方法であり、大きな祝福をもたらす道です。
 私たちは2014年後半の歩みを始めました。聖書は、「しっかりと立ちなさい。」と私たちを励ましてくれています。聖書の真理に堅く立ち、正しい祈りによって、「神との平和」(ローマ5-1)を、世に証してまいりましょう。


無題 | 17:40:18 | トラックバック(0) | コメント(0)