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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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有意義な訪問旅行でした!
幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」(使徒15章36節)
 
 私たちは久しぶりに千葉へ里帰りしてきました。主な目的は親戚訪問でしたが、図らずも三つの教会をお訪ねすることもできました。C教会では闘病中のM先生が息子のLと、同行した親戚の新高校生のために、祝福の祈りを捧げてくださいました。二人の記憶に残ることでしょう。
 N教会では教会神学校が開かれており、最初の卒業生DK先生が伝道師に就任されたそうです。更に、もう一人の神学生が学びの途上にあるとのこと、K先生に与えられている宣教のビジョンの広がりに驚かされました。
 新年度のJBBF理事長に就任されたW先生が牧会されるI教会の婦人集会にもお招きいただき、証と讃美の恵みをいただきました。開拓30年とのこと、祈りの課題である30名教会が実現されますよう、私たちも祈りの応援をさせていただきましょう。
 4軒の親戚の皆さんがたも温かく迎えてくださり、積もる話に花が咲きました。それぞれの御家庭に心優しい子どもたちが育っているのを見て、また尋ねるのが楽しみになりました。一方、年と共に病を抱えたり、体力の衰えを感じたりしている人たちもいますので、主の御名により、神の守りを祈らせていただきました。
 甘木に使わされて15年が経とうとしています。今回の証の旅から帰って、主がまた、「目を上げて畑を見なさい。」(ヨハネ4-35)と語りかけておられるように感じます。私たちの教会も、更に外へ一歩踏み出して、多くの人たちに主イエス様のすばらしい救いを証させていただきましょう。


無題 | 21:31:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦悩している「あなた」に、神の目が注がれています!
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカ伝19章10節)
 
 息子が朝高の入試の翌日、発熱し、翌明け方にインフルエンザに感染していることがわかりました。翌日が中学の卒業式でしたので、「こりゃ、あきらめるしかないかなあ。」と思い始めました。しかし、学校が、「一生に一度の大切な式だから、」という英断を下され、当日の朝、平熱に下がったこともあって、晴れて感動の卒業式出席ということになりました。
 それが一日前だったら、最悪のコンディションで受験ということだったでしょうし、一日遅れていたら、いくら温情をいただいたとしても、卒業式はあきらめざるを得なかったことでしょう。大切な二つの日のわずか二日の隙間にインフルエンザという「おまけ」まで付いて、忘れがたい一週間となりました。
 そんなわけで、特別な守りをいただいた県立朝倉高校の入試発表が18日にあり、晴れて入学が許可されました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8-28)、という御約束のとおり、きっと恵まれた高校生活を過ごさせていただくことでしょう。
 卒業証書の授与式で名前が呼ばれたとき、返事の聞けない何名かの生徒がいました。後で尋ねてみると、中には、しばらく登校できていなかった生徒たちもいたようです。イエス様が語られた「失われた人」(ルカ19-10)という表現を思い出しました。神様の呼びかけに返事のできない人たちがいるのです。
 そのような失われた人たちを「捜して救うために」、イエス様は来てくださいました。呼ばれても返事のできない人の弱さ、悲しみ、痛みを思うとき、その人に救い主が近づいてくださることは、なんという喜びの訪れ、希望でしょうか。イースター(復活祭)に向かって、一人でも多くの「失われた人たち」が、神が定められた本道に立ち返ることができるよう、主イエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 18:43:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
どうしたら祈りは通じるのでしょうか?
真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネ伝4章23節)
 
 あの東日本大震災から3年が経ちました。この間、被災者の方々が経験し続けてきた辛酸の数々を思い起こし、あらためて神の慰めと支えをお祈り申し上げます。復興の兆の見られる地域も増えているようですが、長く尾を引く原発事故の後処理のこともあり、まだまだ苦闘の日々が続くことでしょう。これからも、せめて被災地の現状に目を向け続け、大災害がもたらした苦難を共に担っていける者でありたいと思います。

 11日、大震災発生時、午後2時46分、世界中の人々が祈りの姿勢を取りました。しかし、当然ながら、祈りの対象は一様ではありません。では、人が祈りを捧ぐべきお方とは、どのようなお方でしょうか。
 まず、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世1-1)とあるように、私たちは、この天地万物をお造りになり、そこに住むすべての生き物、私たち人をも創造された、偉大な神を礼拝するのです。決して人が作った物や、人を礼拝しません。崇めるべきは、無から有を生み出された創造主なる神、そのお方です。

 次に、私たちが礼拝するお方は、「罪人を救うためにこの世に来られた。」(Ⅰテモテ1-15)イエス・キリスト様です。このお方は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)と宣言され、私たちの罪を、身代わりに負ってくださった救い主です。
 私たちは日曜礼拝はもちろんのこと、朝に夕に、この偉大な神を誉め讃え、祈りを捧げます。「おわしますかは知らねども」といった、当てにならない神観ではありません。「とこしえにほめたたえられる神」(ローマ9-5)に信頼して生きるのです。これからも、信仰の背筋をまっすぐにして、この生ける真の神に栄光を帰してまいりましょう。


無題 | 19:07:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
人はこうして、「愛の人」に生まれ変わることができます!
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(第一ヨハネ4章11節)
 
 日本で就労するために中国から来ておられるC姉が、礼拝に集っておられます。夜勤をされて、眠いでしょうが、そのような様子も見せず、集いを和ませてくれています。「おはようございます」や「春夏秋冬」を中国語で教えてもらいましたが、今は、もう言えません。御本人は少しづつ日本語がわかってきておられ、洗礼を受けておられることなどを話してくれました。滞在中に、更に信仰の成長をいただけますよう祈りましょう。
 先週、私たちは「他者を受け入れる」ということについて学びました。ガマリエルという学者のもとで厳格な律法教育を受けたサウロは、「教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」(使徒8-3)とあるように、恐るべき教会の迫害者でした。今、私たちが讃美し、祈っているところへ、異なった信仰を持つ人が入り込んできて、礼拝を妨害するなどという事態を想像できますか?誤った確信に基づいて、そのようなクリスチャン迫害を続けていたのがサウロでした。
 しかし、復活の主イエス様が彼に現れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9-4)と暴走を続けるサウロを止められました。ここで、彼は自らの過ちに気付き、向きを変えて、キリストの宣教者として歩み始めたのです。
 いま、彼はキリストの世界宣教の礎を築いた大宣教者パウロとして知られています。どんなに硬い心の人でも、主イエス様は「愛の心」を持つ人に生まれ変わらせることがおできになります。人を差別して見下げたり、妬んだりする罪人の心を、主イエス様の十字架の血潮は一新してくださいます。
 
 私たちもかつては自分勝手な冷たい心の持ち主でしたが、今は主イエス様の聖霊を宿す者とされています。これは、すばらしい生まれ変わりではありませんか。イエス様が人を愛し、受け入れてくださったように、私たちも人の魂の救いを祈る、愛の人として歩ませ


無題 | 19:43:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
人はこうして、「愛の人」に生まれ変わることができます!
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(第一ヨハネ4章11節)
 
 日本で就労するために中国から来ておられるC姉が、礼拝に集っておられます。お惣菜の会社で夜勤をされて、眠いでしょうが、そのような様子も見せず、集いを和ませてくれています。「おはようございます」や「春夏秋冬」を中国語で教えてもらいましたが、今は、もう言えません。御本人は少しづつ日本語がわかってきておられ、中国で洗礼を受けておられることなどを話してくれました。滞在中に、更に信仰の成長をいただけますよう祈りましょう。
 先週、私たちは「他者を受け入れる」ということについて学びました。ガマリエルという学者のもとで厳格な律法教育を受けたサウロは、「教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」(使徒8-3)とあるように、恐るべき教会の迫害者でした。今、私たちが讃美し、祈っているところへ、異なった信仰を持つ人が入り込んできて、礼拝を妨害するなどという事態を想像できますか?誤った確信に基づいて、そのようなクリスチャン迫害を続けていたのがサウロでした。

 しかし、復活の主イエス様が彼に現れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9-4)と暴走を続けるサウロを止められました。ここで、彼は自らの過ちに気付き、向きを変えて、キリストの宣教者として歩み始めたのです。
 いま、彼はキリストの世界宣教の礎を築いた大宣教者パウロとして知られています。どんなに硬い心の人でも、主イエス様は「愛の心」を持つ人に生まれ変わらせることがおできになります。人を差別して見下げたり、妬んだりする罪人の心を、主イエス様の十字架の血潮は一新してくださいます。
 
 私たちもかつては自分勝手な冷たい心の持ち主でしたが、今は主イエス様の聖霊を宿す者とされています。これは、すばらしい生まれ変わりではありませんか。イエス様が人を愛し、受け入れてくださったように、私たちも人の魂の救いを祈る、愛の人として歩ませ


無題 | 19:42:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
命からがら逃げ込みなさい!
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ書12章2節)
 
 先日、ぽかぽか日よりだったので、朝倉町にトラクト配布に出かけました。小川に鯉が泳いでいたり、紅白の梅がほころんでいたり、小鳥たちがチュんチュンさえずっていたり、里にはしっかり春がきていました。道端に菜の花が咲いていたので、積んで帰り、さっそく茹でて、春を味わいました。配布した森友里さんの福音トラクト「心のきずをとおして」も、どなたかの心にとどまって、信仰の芽を出してほしいものです。

 先週、私たちは、この世で名声を得ることでなく、イエス様に似る者となるべきことを学びました。伯父アブラハムに付いて祝福の地に着いたロトが選んだ地は、滅びの町ソドムの傍でした。やがて、その歓楽に引かれたのか、町の中へと居を移し、その地の名士となり、ついには、通商を仕切る座を占めるにまで至りました。

 彼はソドムで名声を得ましたが、そこは不道徳の蔓延った町で、神の怒りが、まさに下ろうとしていたのです。御使いたちは、「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」(創世19-17)とロトの家族を促しました。彼らがそこで築いた財や名声は、一瞬にして滅ぼされていく「泡」のようなものだったのです。

 温暖化が叫ばれて久しかったのですが、今年は各地が寒波・大雪に襲われました。多角的な防災を実行しなければならない時代に入ったようです。それと同時に、いや、それ以上に、前人類は、「この曲がった時代から救われなさい」(使徒2-40)と、イエス様の十字架の蔭に逃れるべく促されています。

 私たちはこの世に生きていますが、この世の基準の更に上にある、神の御言葉の基準に則って生きる者です。「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて」(ヘブル12-1),主イエス様の十字架の贖いを讃えつつ、天に宝を積む歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 20:47:51 | トラックバック(0) | コメント(0)