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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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「神が味方である」幸い

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ記29章11節)
 
 福島の原発事故に伴う汚染水が、今なお海へ流れ出ている恐れがあるとの発表がありました。この暑さの中、防護服に身を固めて、懸命に作業を続けていてくださる方々の労にもかかわらず、終息への道は遠いようです。英知を尽くした対策をもってしても、事態好転の兆しは見えてきません。だからと言って、彼らはその働きを投げ出して、逃げて行くでしょうか。そうせずに、今このときも、汗だくになって作業を続けていてくださる関係者の皆さんの守りを祈らずにおられません。

 風に流されて中国の大気汚染物質が日本に漂着しているようですが、日本発の放射性物質もまた、近隣国にまで迷惑をかけかねません。このような環境汚染は源をたどると、神への「不従順」(ローマ5-19)に至ります。つまり、人間を取り巻く難問の数々は、神のみこころに逆らい続けている、人間の罪が引き起こしていると悟るべきなのです。

 大気汚染、放射能汚染を除去する決定的な方法はないようですが、人間の罪を取り除く方法は明らかに示されています。ヨハネが、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1-29)と指し示したように、イエス様への信仰は、「罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめ」(Ⅰヨハネ1-9)てくださるのです。

 人間の心を罪深いままに放置して、いくら厳しい法律を作って取り締まっても、暮らしやすい社会は期待できません。逆に、聖い神を恐れ、隣人を愛する人が増えたなら、法律の出番のないほどに、安心な社会となっていくことでしょう。「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1-7)とあります。ボタンの掛けちがえを直して、神への礼拝を第一として、再スタートしましょう。

 「神が私たちの味方であるなら、」(ローマ8-31)私たちには、いつも次の瞬間への期待があります。「神様は、どんな素晴らしいことをしてくださるだろうか!」とワクワクするのです。信仰をもって、おくすることなく神の御前に進み出ましょう。神はあなたの人生を豊かに祝そうと、待っておられるからです。


無題 | 19:04:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
ピンチの中にも守りがある!

主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。(詩篇121篇7節)
 
 パソコンの反応が遅くなっていたり、たまにエラーがあったりで、そろそろ買い替えの時期かと思っていたところ、13日の朝、起動不能に陥ってしまいました。試行錯誤してみたものの事態は好転せず、信頼するFさんに来ていただくことになりました。結局、買い替えということになったのですが、心配なのはデータのこと、「ハードディスクが壊れていたら?」という不安が心をよぎりました。
 
 しかし、イエスさまが語られた、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24-35)という御言葉が思い出され、とこしえに変わることのない神に信頼し、平安を取り戻すことができました。結局、データはすべて守られ、イエス様の復活のように、三日目の朝には、それまで以上に便利に作業できるようになりました。「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」(詩篇139-14)という主への讃美が溢れてきました。
 
 「主の山の上には備えがある。」(創世22-14)とあるように、主がFさんのような方を備えて、教会の働きを支えていてくださいます。いつも天使のように現れて、天使のように物静かに作業してくださるFさん、ありがとうございます!御本人は気づいておられないかもしれませんが、Fさんはイエス様に良き奉仕を捧げておられるのです。
 
 一方、私たちが先週学んだバビロンのベルシャツァル王は、全く逆の人でした。真の神に奉仕するどころか、聖なる器で酒を飲み交わし、神をぼうとくしたのです。その高ぶりのゆえに、彼の命は取り去られ、国は滅ぼされました。預言者ダニエルは、「あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。」(ダニエル5-23)と彼の不敬の罪を糾弾しました。
 
 イエス様の救いをいただき、信仰の歩みを始めた私たちに、御言葉は、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(へぶる10-39)と信仰による前進を促しています。ますます、共に救い主を誉め讃えつつ、「いのちの道」を歩み続けてまいりましょう。


無題 | 20:15:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの生命が尊い理由を知っていますか?
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1章27節)
 
 最近、ローマ書から、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。」(13-1)と学んだことを機に、日本国憲法を読んでみました。戦後の深い反省に立ち、「武力による紛争解決を永久に放棄する。」といった条項を掲げた日本が、戦後60余年、その悲痛な願いを保ち続けて来れたことを、神に感謝しました。改憲論の高まりもある中での参院選挙を前に、もう少し、ていねいに憲法の目ざす理念を噛みしめてみたいです。憲法が宣言する「上に立つ権威」は、私たちの投じる一票が決めていくものだからです。
 
 特に、個人の人権の尊重に関する条項に、強い決意を感じます。ダビデがその詩篇において、「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(139-13)と宣言しているように、すべての人の生命は神の創造であり、それ自体が聖く、尊いものです。神は決して、粗末にされるべき人など、1人としてお造りになってはおられません。
 
ダビデは続けて、「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」(14)と詠っています。何かにつけて、足らないものに不平を言い、ないものねだりをしがちですが、「今、ここに自分が存在し得ている、驚くべき事実を感謝すべきです。そうするとき、あなたを取り巻くすべての事象が、輝いて見えるようになります。
 
 また、ダビデはこの詩篇を、「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」24)という祈りで締めくくっています。自らの業績を上げて、自分を誇ろうとしていません。今日一日を、真実な信仰をもって生きようとしているのです。
 
 聖書は、「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13-1)と宣言しています。神をないがしろにした権威など、「風が吹き飛ばすもみがらのよう」(詩篇1-4)なものです。イエス様の十字架と復活に堅く立ち、神に栄光を帰す歩みを続けてまいりましょう。
 


無題 | 19:00:53 | トラックバック(0) | コメント(0)
神に従って歩む幸い
すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。(ヨハネ伝6章68節)

 主を褒め称えつつ歩んできた上半期が過ぎ去り、2013年も、後半戦に入りました。これまでに蒔いた福音の種が芽を出し、収穫に至ることを期待し、一歩一歩、着実な信仰の歩みを進めてまいりましょう。「私たちの「足のともしび」、私たちの「道の光」(詩篇119-5)なる主の御言葉を学び続けることによって、私たちは日ごとに、「光の子どもらしく」(エペソ5-8)変えられていきます。
 先週、私たちは「神の永遠性」について学びました。私たちには生まれた時、世を去る時があり、限られた期間だけ、世に生きることが許されています。一方、神のお名前は「わたしはある。」(出3-14)と呼ばれるお方であり、「とこしえからとこしえまであなたは神です。」(詩篇90-2)と称えられています。
 
また、私たちはお互いに助け合い、支え合いつつ生きる者ですが、「「わたしはある。」と名乗られる神は、何者の助けをも必要とされない永遠の御存在です。そして、私たちは、しばらくの間、この「神の中に生き、動き、また存在」(使徒17-28)させていただく、つかの間の桐生者なのです。
 そうであるにもかかわらず、この偉大な神について知ろうとする人が少ないことは、どうしたことでしょうか。世において、神について話すことはタブーとされているかのようです。このような不敬の罪が、いつまでも許されていてよいでしょうか。私たちはサムエルのような素直な信仰の姿勢で、「お話しください。しもべは聞いております。」(1サム3-10)と応え、神の御教えに従って生きるべきです。
 イエス様は、「真理によって彼らを聖め別ってください。」(ヨハネ17-17)と祈られ、私たちを救うために十字架の苦難をさえ耐えてくださいました。ですから、私たちは世の誘惑に惑わされることなく、喜んでキリストに附く生き方を選び取っていきます。たとえ、つまづくことがあっても、何度でも立ち上がって。


無題 | 18:09:42 | トラックバック(0) | コメント(0)