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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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何が人を「寛大な心」に生まれ変わらせるのでしょうか?
ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。(第二コリント9章15節)

 早くから息子に、「英語を教えてあげよう。」と持ちかけていましたが、「いいです。」と断られ続けていました。しかし、あることがきっかけとなり、英語でイエス様のたとえ話を学び始めました。昨晩は、とうとうルカ伝15章の「いなくなった羊」、「なくした銀貨」、「放蕩息子」を一気に読み通すことができました。もちろん、まだまだ直さなければならないところは多くありますが、わずかの期間の成長に驚きましたし、本人も一つの達成感を味わったのではないでしょうか。こうした学びの機会が、彼の人格形成の一助となってくれることを期待しています。
 先週、私たちはエルサレムに立ち上がっていった初代教会について学びました。聖霊に満たされたペテロは、「この曲がった時代から救われなさい。」(使徒2-40)と、人々に罪の悔い改めを迫りましたが、その招きに応えて、三千人もの人々が信仰に入り、バプテスマを受け、教会へと加えられました。そして、彼らの生活ぶりは、がらりと一変したようです。
 
まず、彼らのそれまでの生活は人の持ち物を妬んだり、時には盗んだり、人が困っていても、平気で無視したりするようなものでしたが、教会に加えられた後は進んで、互いに分かち合い、与えあう、「愛の奉仕者」へと変えられていきました。何が彼らをそれほどまで見事に変えたのでしょうか。それはイエス様を信じることによって、彼らの心が変えられたからです。キリストの福音には、それほど見事に人を生まれ変わらせる力があるのです。
 
私たちとても、かつては同じ「曲がった時代」の貪欲な心を持っていた者です。しかし、神が私たち罪人の救いのために、ひとり子をさえお与えくださったことを知り、私たちの心は変えられました。私たちが与っている能力、時間、持ち物を、イエス様に用いていただきたいと願うようになりました。「けちんぼ」な心に代えて、「神と人のお役に立ちたい!」と願う、「寛容」の心を授かったのです。
 
イエス様について、「造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1-3)と紹介されています。その中から、私たちに能力、時間、持ち物などの賜物が預けられています。それらを宝の持ち腐れにしてよいでしょうか。そうではなく、余すところなく活用して、イエス様の栄光を現わさせていただこうではありませんか。


無題 | 20:06:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
「良き友・良き隣人」とは、どういう人でしょうか?
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ10章13節)
 
 ここ数日、祈りつつ、北朝鮮の動きを気にしています。韓国のクリスチャンたちは、どれほど真剣に、戦火に至らぬよう祈っていることでしょうか。それでなくても、地震だ津波だと、避け得ない災害が多発しているというのに、なぜ、更に人災を引き起こそうとするのでしょうか。幸い、今のところ、愚かな行動に踏み切っていないようですが、更に神の御介入を祈り続けましょう。
 
先週、私たちは寝たきりの病にある友を思いやって、イエス様のもとへと連れ来たった真実な友達について学びました。その友は不治の病のために、あらゆる可能性が絶えてしまったかのように見える状態にありました。しかし、4人の友は、彼の人生をあきらめませんでした。「イエス様なら、彼を癒してくださる!」という不動の信仰を持って、立ちはだかる障害を突破して前進したのです。
 
友を救わんがために、超常識の行動を取った彼らの不屈な信仰を、イエス様は高く評価されました。不思議なことに、聖書は本人の信仰については何も伝えていないのですが、私は彼自身がイエス様にお会いすることを切望していたからこそ、4人の友は、あそこまで真剣になれたのだと想像します。また、彼本人のひたむきな信仰を見たからこそ、イエス様は、「子よ。あなたの罪は赦されました。」(マルコ2-5)と罪からの救いを宣言してくださったにちがいありません。
 
イエス様を紹介しているトラクトを配布しながら、「教会へ行ってみよう!」という思いになる方が起こされることを期待しています。その「からし種ほどの信仰があったら」(マタイ17-20)、その人は万難を排して、イエス様の教会を訪ねるはずです。もし、何かの妨げがあったとしても、本人が切望すれば、協力者は必ず現れます。イエス様は苦悩している本人に、「「よくなりたいか。」(ヨハネ5-6)と尋ね、救われる信仰のありやなしやを見ておられるのです。
年初に、主のみもとに召されて行った同級の友のことが思い出されます。彼は私を教会へ連れて行ってくれました。そこには、私が救われるために祈ってくださった多くの信仰の友がいました。今度は、私が誰かをイエス様の救いに連れ行く番です。誰かが救われるために、私たちも「良き友、良き隣人」の役を果たさせていただきましょう。


無題 | 16:21:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
どうしたら、悪感情の縛りから開放されるでしょうか?
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ書3章18節)

 新入生たちが期待に胸弾ませて入学式を終えた午後、健康福祉館でくつろぐ皆さんに、「春の歌プレゼント」をさせていただきました。はじめは反応が「いまいち」かなあと思いましたが、やがて、バラが咲き、桜が咲き、最後にはフロアも手拍子ノリノリで、みんなで「幸せの種」をいっぱい蒔きました。「希望」、「恵み」、「平安」を証するコーラスも新鮮に響いたのではないでしょうか。次は六月、うっとうしい梅雨を吹き払う、さわやかな「音楽の贈りもの」を用意して、皆さんとの再会を楽しみにしましょう。掛け声、手拍子で盛り上げてくださった皆さん、ありがとうございました!
 
そんな平和な午後でしたが、出かけには、北朝鮮の恫喝が報道されていました。ミサイルが打ち込まれても不思議でない状況のようです。なぜ、あそこまで敵意を募らせるのでしょうか。お互いを尊重し合い、共存していく道はないのでしょうか。
 
私たちは、「キリストこそ私たちの平和であり、」、「敵意を廃棄された方です。」(エペソ2-14 15)という御言葉に望みを置いています。あれほど根深い憎悪であっても、イエス様の十字架の御愛は溶かし去ることができます。取りかえしのつかない戦乱の泥沼に陥ってしまう前に、神の御愛の介入を祈りましょう。
 
イエス様は私たちに、「あなたがたは互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13-34)と命じておられます。では、どうしたら、身近なところから始めて、愛を実践できるのでしょうか。そのカギは、「わたしがあなたがたを愛したように、」とあるように、まず私たち自身がイエス様の御愛を受け入れるところから始まります。愛されたことのない人は、人を赦し、愛することはできないからです。
 
私たちは驚くばかりのイエス様の十字架の愛によって、罪の泥沼から救い出された者です。今度は、私たちが隣人に、キリストの愛を実践する番です。弛まず、あきらめず、イエス様の救いのすばらしさを、多くの人々に証してまいりましょう。


無題 | 15:10:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
人生を一変する希望(the HOPE)
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(詩篇121篇7、8節)

 ここ甘木では、満開の桜に迎えられての入学式が一般的でしたが、昨今は温暖化の影響か、葉桜の新緑に迎えられての入学式が多くなりつつあるようです。ともあれ、四月は希望の月、スタートのときです。私たちも新たな気持ちで、信仰の歩みをスタートしてまいりましょう。
 
さて、先週の「希望の復活祭コンサート」には5名の新、再来会者もあり、今も生きて、私たちを導いておられる主イエス様を、身近に感じることができました。兄姉による「音楽の捧げもの」も一段と輝きを増したように感じました。HPにアップしていますので、お聴きになってみてください。
 
続いて行われたイースターランチョンもクリスマスにも優るとも劣らぬ大ごちそうで、新来会の皆さんの新鮮な話題に花が咲き、楽しいときとなりました。皆で音楽やお料理、お花を捧げて、主イエス様の御復活をお祝いすることができ、爽やかな喜びが心に残りました。これからも、イエス様のお働きに、ますます喜びをもって仕えてまいりましょう。
 
「死者がよみがえる」などということは、たとえ二千年前であっても、「たわごとと思われた」(ルカ24-11)のです。しかし、疑い深かったトマスでさえ、復活の主から「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20-27)と御声をかけられ、「私の主。私の神。」」(28)とイエス様を拝しました。
 姉妹たちがデュエットしてくださった讃美歌にも、「キリストが生きておられるから、私は明日に向かって生きることができる!」と歌われていました。「主が生きておられるから、人生は生き甲斐がある!」とも。イエス様を信じて生きることの力強さが証しされています。
 
私たちの身の回りにも、心配や悩みはきりなくあります。しかし、「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(Ⅰコリント15-57)と宣言するとき、それらは消え去っていきます。「イエスにある勝利」の道を進んでまいりましょう。


無題 | 16:18:05 | トラックバック(0) | コメント(0)