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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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励まし、励まされ、ついに一年のゴール!
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(第二テモテ4章7節)

 クリスマスを前に、息子の所属する中学校野球部が昨年に引き続き、今年も48kmの山越えマラソンに挑戦し、見事、全員が7時間ほどで完走しました。子どもたちの可能性を信じ、思い切った計画を断行してくださった先生方、出発点まで送り届け、途中を見守ってくださったお父さん方、暖かな豚汁を作って迎えてくださったお母さん方、皆さん、ありがとうございました!そして、何よりも、小雪のちらつく中、お互い励まし合いながら目的を達成した勇敢な中学生たちに、大拍手を贈ります!

おそらく、この寒中に、「独りで走れ。」と言われたら、誰もが「いやだ。」と言うことでしょう。しかし、一緒に走っている仲間がいるということが、無謀とも思えるようなチャレンジを成し遂げさせるカギなのでしょう。それは私たちの信仰の歩みについても言えることです。聖書は多くの信仰の勇者を上げて、「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、」(ヘブル12-1)と告げています。

 母マリヤに抱かれて礼拝に訪れた赤ちゃんイエス様を腕に抱いて、「私の目があなたの御救いを見た」(ルカ2-30)と神を褒め称えたシメオンさんも、「すべての人々に、この幼子のことを語った」(2-38)アンナさんも、清らかなキャロルを歌い継いできてくれた名もない信仰者たちも、天国への旅を闘い続ける私たちを応援してくれています。もちろん、今共に福音の宣教に勤しんでおられる書教会の便りからも大きな力をいただいています。
 
では、果たして、この一年、私たちは、どれだけ神と人にお仕えしてくることができたでしょうか。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、」(マタイ22-37)神を讃美し、祈り、証してこれたでしょうか。「あなたの隣人をあなた自身のように」(22-39)大切にし、傍らに立ち、支えてこれたでしょうか。
 
そう問うてみると、働きの乏しさのみが思い起こされますが、そのような者たちにさえ、イエス様は、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(マタイ25-21)と声を掛けてくださることでしょう。そして、更に、来る年の働きへと、弱い私たちを励ましていてくださいます。主に期待して、新たな年の幕明けを待とうではありませんか。


無題 | 19:44:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの心に訪れる「喜びのクリスマス!」、「希望のクリスマス!」
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ伝2章11節)

 先日、ある病院でクリスマス会が開かれ、「歌とトークのプレゼント」をさせていただきました。重い病苦と闘っておられる方々に、希望のキャロルをお届けできました。終わってからしばらく、1人の方の手を取ってお話ししました。かつて、その方のお宅に伺い、讃美歌を一緒に歌ったことがある方です。裏の畑で大根を掘って、持たせてくださったこともありました。もう言葉を発する力はありません。しかし、神様がしばらくぶりに会わせてくださり、手を取って話しかける機会をくださいました。
 
もう二人の患者さんの側らにも寄り添うことができました。「今日は楽しかった!」と明るい声で応えてくれました。もう起き上がれない方もベッドに横たわったままで聴いておられました。「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1-9)としてお生まれくださった救い主イエス様は、重い病苦に耐えておられる方々をも顧み、心和むクリスマスの恵みを味わわせてくださいました。
 先週の教会のクリスマス礼拝では、子どもたち向けに「世界で最初のクリスマス」の朗読劇をしました。二人の小学二年生が前に立って、声をそろえて羊飼いの役を演じてくれました。イエス様は、「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」(ルカ18-16)と語られたように、常に、子どもたちを招いておられます。
 
町の皆さんには、三浦綾子さんのトラクト「生かされてあるかぎり」に、クリスマスの案内を添えて配布させていただきましたし、ホームページからは牧師の挨拶を流してみました。神様は、「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、」(イザヤ55-11)と約束しておられますから、来会者が起こされる日を楽しみに待ちましょう。
 イエス様のお働きについてイザヤは、「ワンダフルカウンセラー」(9-2)と預言しました。そのとおり、イエス様は私たちの悩みを知り、良き道へと導いてくださる最高のカウンセラーです。この救い主を、多くの方々に証させていただきましょう。


無題 | 19:26:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦悩する心を新しくする「ワンダフルクリスマス」!
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ書2章6、7節)

 二か月に一度続けてきた、健康福祉館での「季節の歌プレゼント」の締めくくり、「クリスマス歌のプレゼント」をさせていただきました。凍りつくような朝の寒さでしたが、温泉館内はぽかぽか、フロアの反応も上々、チーム名「ヘブンリー ドロップス」の名にふさわしく、天使たちのキャロルが響き渡りました。普段、なかなか地域の皆さんに親しく語りかける機会がない者ですが、こうして皆さんと和やかなときを過ごせることに、至福の喜びを感じます。皆さん、また来年二月に、元気でお会いしましょう!
 
さて、世界で最初のクリスマスに登場する人たちと言えば、どんな人たちがいますか?そう、野原で羊の番をしていた羊飼いたちですね。当時の社会では最下層に置かれていた人たちに光が照り、天使の軍勢が現れて、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(ルカ2-11)と告げたのです。今でいえば、「セルブ」と呼ばれるような人たちにではなく、朝から晩まで汗だくで働く人たちに、喜びの知らせが届けられたのです。それは、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」という、750年前の預言者イザヤのお告げの成就でした。
 
この救い主のお生まれについて、ザカリヤという祭司は歓喜し、「日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」(ルカ1-78 79)と歌い上げました。この「日の出」とは、あの晩、ベツレヘムの家畜小屋でお生まれくださったイエス・キリスト様を指しています。神の御子が飼い葉おけの敷わらをベッドとされたとは、なんという謙遜でしょうか。
 
もし、イエス様が王宮に生まれ、黄金の飾りのついたベッドの羽毛布団に寝かされたとしたら、どうでしょうか。私たちの心は、そういう救い主を迎える場所にふさわしいでしょうか。そうではなく、私たちの心は痛んでいます。悲しみで濡れています。怒りで歪んでいるかもしれません。家畜小屋の飼い葉おけに寝かされたイエス様だからこそ、そのような私たちの痛みや悲しみをも癒すことがおできになるのです。
 今日、明らかになる政治の新体制に期待します。しかし、心のやみを照らすことまで当てにすべきではありません。クリスマスの主イエス・キリストだけが、私たちの心に「いのちの光」(ヨハネ8-12)をもたらすことのできる救い主です。あなたの心にも、この真のクリスマスが訪れますように。


無題 | 16:56:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
教会に集って、真のクリスマスを祝いましょう!
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章6節)

 先日、夕暮れ時に、駅前でキャロルを歌いながら、クリスマスの案内を手渡させていただきました。「まだ、ちょっと早いんじゃないの。」と言われた方もありましたが、何人かの方々が受け取ってくれました。声のご案内を録音して、ホームページにもアップしました。イエス様は、「聞く耳のある者は聞きなさい。」(ルカ8-8)と叫ばれたそうですが、クリスマスの招きが、どなたかの心に届きますよう祈っています。
 
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」(イザヤ9-2)という御言葉は、私の身にも起こった事実です。教会に行き、クリスマスの主人公イエス・キリストを知って、恐れと不安に沈んでいた私の上に、祝福の光が輝きました。そして、私はすぐに、聖書が伝える「神」こそ、「生ける真の神である。」と信じました。このクリスマス、あの日、私の身に起こったと同じ、驚くべき救いの御業が、どなたかに起こることを期待しています。
 
また、時々電話でカウンセリングさせていただく方から、久しぶりの電話がありました。その話の中で、「心の中で祈って」という言葉がありましたので、「どうして、言葉にして祈らないのですか?」と問うてみました。ちょうど礼拝で「神への恐れと尊敬」という学びをした後でしたので、神に祈る者の姿勢を伝える責任を感じて、そう尋ねてみたわけです。
 人が弱さを口実に形を整えることをサボり始めると、ズルズルと怠惰な方向にながれていきます。私たちは言葉にして祈り、歌をもって神を褒め称えるべきです。いつも私たちを見守っていてくださる神様が、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6-5)と命じられているのですから、ふさわしい態度で神の御前に出たいものです。

 二千年前、救い主のお誕生は、まず、貧しい羊飼いたちに告げられました。彼らはベツレヘムへと急ぎ、飼い葉おけにねておられる神の御子を礼拝したのです。それが世界で最初のクリスマスでした。この「みどりご」こそ、「世の罪を取り除く」(ヨハネ1-29)ために来てくださった救い主イエス・キリスト様です。
 私たちもあの羊飼いたちのように、喜び勇んでクリスマス礼拝に集い合いましょう。そして、罪の赦しをいただき、「光の子ども」(エペソ5-8)とされている恵みを、心から感謝しようではありませんか。


無題 | 16:14:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたの「心」にクリスマスが訪れますように!
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ伝1章14節)

 教会はアドベント(待降節)に入り、主の御降誕を祝うキャロルを歌い始めています。施設慰問でも、「十二月の楽しみな行事は何ですか?」と尋ねると、「クリスマス!」と応えてくれます。そこで、手話を付けて「もろびとこぞりて」を歌いますが、あまりクリスマスキャロルに馴染みのない高齢者の皆さんの心にも、パッと明りが灯るような気がします。
 
私たちは先週、「神にならう者となりなさい。」(エペソ5-1)という御言葉を聞きました。子どもに向かって、「親を手本としなさい。」と言えるお父さんやお母さんがいたら、それは立派です。また、「私の手本は両親です。」と言える子がいたら、それもまた幸せな人です。しかし、多くの場合、似てほしくないようなところだけが似てしまうのが、普通の親子ではないでしょうか。では、すべての人が安心して習うことのできるお方は、どなたでしょうか。
 
そのお方こそ、「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1-9)と紹介されている、クリスマスの主イエス・キリスト様です。私たちは善悪の基準をわきまえない者でしたが、この救い主を信じることによって、神を愛する信仰と、人に仕える愛を教えていただきました。と言うよりも、心の罪が取り除かれて、代わりに、「イエス様の聖霊が住み始めてくださった。」と言った方が正しいでしょう。
 
今年もこれから、数えきれないほど「クリスマス」と称するお楽しみ会が開かれることでしょう。でも、あるキャロルには、「君の心にイエス様なければ、クリスマスでも本当のクリスマスじゃない。」と歌われています。どんなにイルミネーションが華やかに飾りつけられても、やみが多くの人たちの心を閉ざしていたら、虚しいことです。
 
今年は久しぶりに駅前で、キャロルを歌いながら教会のクリスマスの案内を配布してみたいと願っています。これまでの家庭への案内とはちがい、仕事帰りの方々や学生たちに手渡せるかもしれません。イエス様は、「神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、」(ルカ8-1)とあります。私たちも、この町の皆さんに、救い主のご降誕を伝える天使の役を果たさせていただきましょう。


無題 | 19:37:00 | トラックバック(0) | コメント(0)