FC2ブログ
 
■カウンター

■プロフィール

甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

■検索フォーム

■最新記事
■カレンダー

10 | 2012/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

■月別アーカイブ

■カテゴリ
■RSSリンクの表示
■QRコード

QR

衆院選挙に神の導きを祈ります!
すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。(第一テモテ2章1、2節)

 世界に大きな影響を持つアメリカや中国の新体制が選ばれ、次いで、日本も大事な国政選挙戦に入っています。聖書は国の政治体制について、「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13-1)と教えています。これは、逆に言うと、「神のみこころに適った人を選ぶ責任が国民にある。」ということです。多くの場合、新体制がスタートし、やがて困難に直面するようになると、世論の支持率が激減していきます。では、その人たちを選んだのは誰ですか?
 
私たちは教会に集まり、聖書を読み、キリストに礼拝を捧げています。それが公的な圧力によって妨げられた経験がありません。しかし、日本においても戦時中、弾圧を受けた牧師たちがいましたし、今でも世界には、キリスト信仰故に迫害を受けている多くのクリスチャンたちがいます。そして、今の日本においてさえ、キリスト教会の活動を妨げるような政体が立てられる可能性はあるわけです。
 人をお造りになった神は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6-5)とお命じになりました。世界のどこかに、この聖なる御命令を実行できない地があってよいでしょうか。ましてや、この日本において。ありえないことのようですが、そのような横暴な政体が立てられる可能性さえ、ないとは言えません。
 
また、聖書は、「すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して」(ピリピ2-11)と、救い主イエス様への信仰を促しています。私たちが暮らすこの日本の地において、イエス様の十字架と復活を信じ、褒め称え宣べ伝えることが、公の権力によって妨害されるような時代を、来たらしてはなりません。
 
箴言には、「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(14-34)とあります。日本の国が神の戒めを尊び、祝福の道を進めるよう祈りつつ、来る衆議院選挙に備えましょう。


無題 | 20:10:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
愛と親切の輪を拡げましょう!
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ書2章10節)

 先日、ボランティア連絡協議会の申し出で、「市長と語る」という場が設けられました。私たちはこれまで、「歌とトークのプレゼント」をしてきていますが、それはイエス様に学ぶ者としての愛の実践であって、行政との関わりを意識したことはほとんどありませんでした。しかし、中には、行政とタイアップしながら、新たな町づくりを推進しようと考えるグループもあります。どれもこれも意義ある働きです。それらの奉仕によって助かる人たちがいるのですから。
 
ただ私は、ボランティア活動は、あまり組織的に束ねない方が、気持ちよくできるような気がします。多くの人々の中に潜んでいる「小さな親切の心」を表現できる場がボランティア活動ではないでしょうか。だとすれば、行政とはどのような関係が望ましいのでしょうか。いずれにせよ、貴重な時間を割いて、誠実にお応えくださった市長さん、ありがとうございました。
 
ボランテャ活動と言えば、思い出すのが、イエス様が語られた「良きサマリヤ人」のたとえ話です。山道で強盗に襲われた人を助けたのは組織の長である祭司やレビ人ではありませんでした。彼らは組織の規則に縛られて、結局、目の前にいるけが人に手を貸せなかったのです。
 
それに引き換え、名もないサマリヤ人は、ただ、けがをして苦しんでいる「彼を見てかわいそうに思い」(ルカ10-33)、即座に救護活動をしました。彼にとっては、けが人が敵対するユダヤ人であるかどうかなどは、問題ではありませんでした。ただ、そこにいる助けを必要とする人に、素直に親切の手を差し伸べたのです。
 私たちも何かによって妨げられることなく、あのサマリヤ人のように、いつも聖霊の導きによって行動できる者でありたいです。限られた時間の中で、限られた賜物を、どのように活用することが神様をお喜ばせすることでしょうか。このクリスマス、闇の中をさまよう人々を救うため、世に来られたイエス様を、多くの人々に証させていただきましょう。


無題 | 21:46:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
人を生かす「ことば」
これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。(詩篇119篇50節)

 先日、福祉祭が開かれ、参加してきました。今回、講演者としてお迎えした佐野有美さん(22歳)は、四肢のほとんどが欠損した状態で生まれましたが、わずかに与えられた左足の3本の指を駆使して、字も書けば、お化粧もしてしまう、明るく、実にチャーミングな方でした。たくさん、好奇の目で見られたり、傷つく言葉を掛けられたりしたはずなのですが、そうした負の遺産は微塵も感じられませんでした。

 そんな有美さんを作り上げたのは「言葉」だと、ご本人は話していました。御両親はとてもほめ上手で、「有美、すごいね!」と、いつも挑戦を後押ししてくれたし、お友達は、「ごめんね。」を連発する有美さんに、「それって、(ありがとう!)じゃないの?」と、生き方を前向きに切り替えてくれたそうです。また、そうした言葉を素直に受け入れて、前へ前へとチャレンジし続けた有美さんにも、もちろん大拍手でした。
 
聖書には、イエス様と出会い、御言葉を掛けていただき、生まれ変わった人たちが出てきます。後ろ指を指されるような生き方をしていた女性が、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4-14)と聞き、イエス様を信じて、多くの人々を救いに導くキリストの証人となりました。
 
また、金持ちにはなったものの、人からは嫌われ、さびしい毎日を送っていた取税人は、「「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」」(ルカ19-5)とイエス様に声を掛けていただき、喜びの人生に変えられました。私は、イエス様が語られた「いなくなった一匹の羊を捜す羊飼い」の例え(ルカ15章4-7)を聴いて、不安から解放され、希望の人生をスタートできました。
 
今の時代、人の言葉に傷ついて、気持ちが萎えてしまっている人たちが多くいます。私はそういう人たちに是非、イエス・キリストのお言葉を聴いてほしいのです。イエス様は信じる人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(マタイ9-2)と「神の救い」を宣言できるお方です。
 
このクリスマス、誰か失意の中にある人に、勇気を与える言葉を掛けてあげましょう。イエス様がこの世に来てくださった目的は、「失われた人を捜して救うため」(ルカ19-10)だったのですから。


無題 | 19:19:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
光を高く掲げましょう!
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。(詩篇40篇3節)

 今年も朝倉音楽祭において、教会のジョイフルクワイヤが5曲の賛美をさせていただきました。中学生たちの太鼓や事の演奏で始まり、ブラスバンドで終わった三時間のコンサートでしたが、中ほどで10分間の讃美歌メドレーが響き渡ったことは、プログラムにバラエティーを与えたのではないでしょうか。閉会後、責任者の方から、「立派な演奏でしたよ。」という言葉もいただきました。また、六月に礼拝に集われたKご夫妻も聴きに来てくださり、主にある兄姉との嬉しい再会のときともなりました。背後で細やかな気遣いで運営に当たってくださった実行委員の皆さん、ご奉仕、ありがとうございました!
 
私は今回も、歌の内容を豊かに表現したいと思い、手話を付けてみました。「愛」には、頭を「よしよし」と撫でるような形、「喜び」には「胸が躍る」ような形を使いました。「称えよ」には、手を打ち鳴らして歌うポーズをしてみました。にわか仕立てで、手話などと言えるようなものではないのですが、歌われている詩の内容を、よりリアルに感じることができたような気がします。一応、指揮者という立場ですから、聴衆の皆さんから見ると、「おもしろい指揮の仕方があるものだ。」と思われたかもしれません。
 
また、この機会にと、5曲の造られた時代を調べてみました。そのうちの一曲は300年前に造られたクリスマスキャロルでした。他3曲は100年前、残りの1曲は50年前の作品でした。いつ頃に、どこの国の宣教師が日本に紹介したのでしょうか。こうした讃美歌の歴史や背景を知ることができたら、もっと深い感動をもって讃美できそうな気がします。
 
もう一つ、先週は一年ぶりにMの杜の「バイブルの集い」を再開できたことも記しておきます。さまざまなサークル活動が盛んな地域で、聖書の学び会の参加者を得ていくことは多難ですが、今回のテーマに掲げたように、「心の重荷を下ろす場所」になれるよう、「志を一つにして」(ピリピ2-2)、この奉仕にも取り組んでまいりましょう。
 
人は、どうもがいても、なかなか自分を変えることはできません。しかし、私たちの主イエス様は、「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18-27)と語られました。誰でもキリストを信じるなら、その人は新しく生まれ変わることができます。このクリスマス、やみから光へ移される人が起こされるよう期待して、祝いの準備を始めてまいりましょう。


無題 | 16:51:29 | トラックバック(0) | コメント(0)