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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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あなたの帰りを待つお方がいる!
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。(ルカ伝15章20節)

 先日は博多の森陸上競技場において中体連新人陸上競技福岡県大会が開かれ、息子が400メートル走に出場しました。県大会の懸った野球大会も続いており、ぶっつけ本番に近かったのですが、56秒79という自己ベストタイムで、27走者中、14位の成績だったそうです。競技場の立派さに驚いたそうですが、そのような大舞台で、「L、ファイト!」の応援を受けて走れたことは、今後の成長に大きな励みとなることでしょう。
 
 ある先生に「親ばかの(つぶやき)です」とメールしたところ、共に喜んでくださり、お子様がたに対する「めろめろの愛情」あふれるお返事メールをいただきました。終わりに「親ばか万歳!」と記されていました。神様によって託された大切な子どもたちが、豊かな愛に包まれて育ち、たくましく成長していけるよう、すべての大人が心を尽くしたいものです。
 
 「親ばか中の親ばか」と言えるのが、イエス様の「放蕩息子のたとえ話」に出て来るお父さんではないでしょうか。わがままな財産分与を要求し、家出して行った弟息子を心配し、ひたすら帰りを待ち続ける父の姿、そこには何の打算も、駆け引きもありません。どんな姿になっていようと、すべてを赦して、わが子を迎えようとする父の姿です。
 
 とうとう、豚の餌で空腹を満たそうとするまで身を落としたとき、彼は恥も外聞もなく、父のもとへと帰り始めました。これを「回心」と言います。具体的には、心の向きを変えて礼拝に集い、聖書のメッセージを聴き、イエス様の十字架の愛を信じ、受け入れることです。そこには必ず、神の赦しがあり、罪からの救いがあります。
 
 今の時代、挫折して、自分の惨めさに気づいている人は多くいます。しかし、そこに留まったままです。向きを変えて、神の愛に向って歩み出そうとする人は少ないです。
 
 天の父はひとり子イエス様を十字架に架けるほどの愛で、心くじけた人たちの帰りを待っておられます。イエス様の十字架のもとには罪の赦しがあり、希望の人生が開けています。さあ、向きを変えて、あなたを待つ父なる神のもとへ帰ろうではありませんか。


無題 | 19:41:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
神を知るための「唯一の道」とは?
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(第一テモテ2章5節)

 先週は、タイに遣わされているI宣教師をお迎えし、ビデオを見ながら、タイ宣教20年の歩みを聴かせていただきました。タイのクリスチャン人口は0,5%程だそうですから、日本の状況に似て、さぞかし忍耐を要する20年の宣教だったことでしょう。6年前から、首都バンコクでラーム2バプテスト教会の開拓伝道を開始され、救われる魂が起こされ、バプテスマが施され、これからいよいよ、教会形成へ向おうというところだそうです。私たちも同じような段階ですから、互いに励まし合って、それぞれの地にイエス様の教会を建て上げてまいりましょう。
 
先生は一泊され、ホームページについてのアドバイスやパソコンのメンテナンスもしてくださいました。パソコンを活用することによって、教会も効率よく働けるにちがいありません。折に適った助けを送ってくださった主に感謝します!
 
先生はまた、ラーム2教会に集っておられる1人の婦人の証しをも残してくれました。それを読んで、タイの教会を身近に感じることができました。信仰故の迫害も経験され、今は単身で子育てをしながら、忠実に主に仕えておられる姉妹の証です。大半が異教徒のタイ社会の中で、毅然とイエス様への信仰を選び取っておられるイン姉の信仰姿勢には励まされます。
 
メッセージの中で、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2-4)という御言葉が開かれました。神が人に望んでおられることは第一に、神を正しく知ることです。イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14-6)と語られ、ご自身が「唯一の救いの道」であることを明らかにしておられます。
 
「人の心は何よりも陰険で、」(エレミヤ17-9)とあるように、心を低くして、イエス様の十字架を拝する人は、まれです。しかし、主はいつも、「わたしのところに来なさい」(マタイ11-28)と、そんな罪人に「赦し」と「永遠のいのち」を与えようと招いておられます。このイエス様によって立てられた教会の一つとして、この地域の人々に「救いの道」を伝えてまいりましょう。


無題 | 14:54:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
人は新しく生まれ変われます!
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒4章12節)
 
先日、暑いくらいの秋晴れの午後、健康福祉館で「秋の爽やか歌プレゼント」をさせていただきました。歌い継がれている秋の名曲を、コーラスやフルートの演奏でお聞きいただきましたし、福島や四万十川への歌の旅もお楽しみいただきました。特に、プログラムの中ほどで歌った五人の讃美歌コーラスは、主イエス様と共に歩む幸を証することができたのではないでしょうか。あたたかい手拍子や掛け声で盛り上げてくださった皆さん、ありがとうございました!今度は年末、クリスマスにお会いしましょう。
 
さて、このところ、中国各地での反日暴動もあって、委縮がちな日本でしたが、山中伸弥先生のノーベル賞受賞のニュースで、パッと光明が射したように、沸き立っています。先生が発見したiPS細胞は、将来、難病で苦しむ人たちの新治療に道を開くものとして、期待されているとのことです。死んだも同然の組織が再生される可能性が出てきたというのですから、期待が高まるのは当然でしょう。
 
しかし、歴史を顧みるとき、原爆をはじめとして、偉大な科学技術の発見が誤用され、人類に大きな悲劇をもたらした例を見ることができます。では、iPS細胞は、どのような混乱を引き起こす恐れが想像できるでしょうか。たとえば、歳を重ねれば、病や障害は、遅かれ早かれ、すべての人に起こってきます。それを自然な老化として受け止めず、医療による再生だけを追い求めるようになったら、それでも、人は幸せになれたと言えるでしょうか。すばらしい可能性を秘めた大発見が、神のみこころに沿って、実用化されていくことを念願します。
 
先週、私たちは絶望して救いの道を尋ねたピリピの看守にパウロが伝えた、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16-31)という御言葉について学びました。そして、私たちも事実、救い主イエス・キリストを信じ、霊的に生まれ変わり、「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)をいただきました。この希望は、決して失望に終わることがありません。(ローマ5-5
 
私たち救われた者にとって、イエス様が語られた、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)という御言葉は、人生を一変する大発見でした。どんなに落胆している人も、決して絶望してはいけません。このイエス様に依り頼むなら、どんな失望の中からでも立ち上がることができます。この希望の福音を、1人でも多くの人にお伝えしてまいりましょう。


無題 | 19:04:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
良い活動の前には、良い「クールダウン」が必要です。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(第二テモテ4章7節)
 
先日、息子が中学校筑後地区陸上競技大会に出るというので、応援に出かけてきました。彼は野球部ですから、「陸上専門の選手たちには勝てないだろう。」と思っていましたが、一組目に走った彼は、なんとトップでゴールイン!しかし、2組目に強い選手が集まっていたようで、結局4位。それでも、5位以内ということで、県大会にまで行かせていただくことになりました。タイムも自己ベストを3秒近くも縮めましたから、よほど本人は力走したのでしょう。
彼は前夜、自分で詩篇23篇を選んで3回音読し、短いお祈りをしていました。スタートの前にもイエス様の助けを祈るように伝えておきましたが、そうしたかどうかは定かではありません。イエス様が、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6-33)と教えてくださったように、私たちは難しい場面に立たされれば立たされるほど、心を静めて神の助けを祈るべきなのです。
 
パウロは、キリストの救いを伝える自身の働きを、「目標を目ざして一心に走っている」(ピリピ3-14)と表現しました。小アジアからヨーロッパへと、ローマに至るまでも福音を伝えたパウロは、まさに「走り抜いた」宣教者でした。しかし、「あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」(エペソ1-16)とあるように、パウロはまた祈りの人であり、思索の人でもありました。
 
私は競技会を観ていて、スタート前の選手たちが、どのように気持ちを整えていくかに興味を感じました。誰と話すこともできません。独り、そのプレッシャーを負うのです。相撲で言えば「仕切り」です。聖書には、「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3-15)という御言葉があります。私たちは、日々直面する闘いの中で、「キリストの平和」を持って、事に当たれているでしょうか。
 
教会の働きは準備のときを終えて、三浦綾子さんの証しを載せた「生かされてあるかぎり」というトラクトの配布を始めています。今度は活動期ですから、ひたむきに走る番です。主の祝福によって、みことばの種が芽を出すときを楽しみに、各自が置かれた場で、イエス様にお仕えしてまいりましょう。


無題 | 16:04:45 | トラックバック(0) | コメント(0)