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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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実り豊かな人生を生きるには?
主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。(詩篇31篇14節)
 
 若松の青年の家を会場に開かれた九州合同夏季聖会に参加させていただきました。少し遠いこともあって、教会の皆さんが集えなかったことは残念でしたが、参加の恵みに浴した4人で、甘木らしい賛美を捧げることもできました。聖会のテーマは「主に期待し、主と共に歩もう!」でしたが、説教者として立てられたS先生のお証を聴かせていただきながら、「先生はいつも、このテーマを掲げて歩んで来られたのでは?」と想像していました。特に、経済的な必要が生じたとき、教会が一致して祈り、「いつも必要を少し超えて叶えられてきた!」というお証には、大いに励まされました。

 先生は故郷の能登で、太鼓を叩きながらイエス様を讃美するクリスチャンたちに不思議な感動を覚えたり、大阪で、イエス様を信じ見事に生まれ変わった同級生に驚かされたりといったことがあったそうです。その後、聖書を読むようになり、唖然とさせられたイエス様の奇跡も、「イエス・キリストは神様である」と信じたとき、「私の主。私の神。」(ヨハネ20-28)と信仰を持つことができたそうです。先生は御自身のことを、しょっちゅう「ああ、どうしよう!」とパニックしていると、弱さをも吐露しておられました。それなのに、広島で教会を建て上げ、4人のお子様たちを立派に育て上げ、宣教委員長の重責を果たしておられます。それは先生と共におられ、宣教を導かれる主の栄光の現れにちがいありません。

 先生の御長男はカンボジア宣教のN先生ですが、一年後にはタイ国境に近いバッタンバンという町で開拓伝道をスタートする予定だそうです。そこは医療・教育環境などが整っておらず、三人の幼子たちを伴っての宣教には、幾多の心配事があります。イサクを捧げたアブラハムのように、S牧師の祈りの日々が続くことでしょう。私たちもN宣教師御家族の守りと、カンボジア宣教の成功を祈らせていただきましょう。

 イエス様は、「わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15-9)と教えておられます。これが祝福の秘訣です。昨今の日本を取り巻く諸外国の動きにも恐れを禁じ得ません。侵略の恫喝をさえ感じます。私たちはどこに安心を見出すことができるでしょうか。イエス様が語られた、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ6-37)という御約束こそ、どのようなときにも、私たちの希望です。

 身近な家族のこと、健康のこと、つぶされてしまうような重荷を負っているかもしれません。しかし、私たちは「まことのぶどうの木」(ヨハネ15-1)であるイエス様に、しっかりと留まり続けましょう。そうすることによって、私たちは聖霊の実を豊かに実らせながら、天国へ向って、勝利の旅を続けることができるのです。


無題 | 20:16:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
世界のあちこちから神を褒め称えましょう!

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。(マタイ伝6章9節)
 先週は佐藤宣教師をお迎えし、ウガンダにおける14年間の宣教報告を聞かせていただきました。特に、14年目は、それまでの働きの真価が問われるような試練が続いたそうです。ご夫妻は落胆も味わったそうですが、主は三人の現地青年の心に働きかけ、教会の次期リーダーとして立つように導いてくださいました。それはまさに、「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」(詩篇126-5)という御言葉の成就でした。
 夕刻くつろいでオリンピックのマラソンを観ていると、先生のお働きを象徴するかのように、ウガンダの選手が、なんとなんと、一気にトップに躍り出たのです。そして、そのまま快走を続け、ウガンダ国旗を掲げつつテープを切り、金メダルを獲得してしまいました。この世紀の快挙は佐藤先生ご家族のウガンダ宣教の追い風ともなることでしょう。
 山羊の皮の太鼓を叩きながら教えてくださったルニャンコレ語の讃美、「ヤムハチ」も心に残りました。「イエス様に何を捧げようか?私の全てを捧げます!」という意味だそうです。ウガンダでは、感謝のお捧げ物としてバナナや鶏が捧げられることもあります。元気のよい若者は大いに奉仕します。最近の暗唱聖句、「あなたがたのからだを、生きた供え物としてささげなさい。」(ローマ12-1)を覚えて、私たちも「ヤムハチョ、クムエバザ!」(私の全てを捧げます!)と心から讃美しましょう。
 日本で情報過多の生活をしているよりも、ウガンダの土色の大地に立って、満点の星空を見上げた方が、「全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。」(詩篇33-8)という信仰の心を持ちやすいのかもしれません。神のご存在が見えなくなるような形での、人の進歩というものはありません。イエス様が中心にいてくださる家庭は、最高に幸せな家庭です。その家庭からは感謝の言葉が聞かれ、祈りが捧げられます。
 Mちゃん、Oちゃんが旅先でいつも、「イエス様が一番!」と歌っていたそうです。イエス様の証人をしていたわけです。「あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。」(マタイ21-16)とあるとおりです。私たちも生活の全てを通して、主イエス様の救いのすばらしさを証してまいりましょう。


無題 | 14:12:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
あちらでも、こちらでも、神様からのプレゼントが届けられています!
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(マタイ伝9章37、38節)
今回はタイミングよくお里帰りされたH姉も加わってくださり、6名で、卑弥呼の湯の「さわやか歌のプレゼント」をさせていただきました。涼を求めてお昼寝に来られていた方々も多かったようですが、歌が始まると、皆さん次第に起き上って、耳を傾けてくださいました。フィナーレには皆さんと北アルプスへの模擬登山を楽しみ、「山小屋の灯火」に合わせて、会場に「ヤッホー!」がこだましました。讃美歌コーラスは皆さんの心に、どう響いたでしょうか。
 近隣の地域にも、水害被災地もあります。川や海での水難も毎日のように報じられています。熱射病で命を落とす方々もあります。こうしたニュースを耳にする度に、人の命のはかなさを感じます。でも、私たちは、「救い主イエスの手にある身は、いとも安し!」(聖歌472番)と、キリストの救いを証ししました。讃美歌を聴いて、「私も、あの人たちが持っている確信が欲しい!」と願う方々が起こされるのを期待し、また10月の奉仕に備えましょう。
 さて、今朝、私たちはアフリカのウガンダへ派遣されている佐藤宣教師をお迎えし、直接、彼の地での宣教の報告をお聞かせいただきます。私たちはこれまで、何度のウガンダにおける目覚ましい聖霊の働きについて聞き、神を褒め称えてきました。宣教開始後、間もないにもかかわらず、会堂を手作りしたり、牧師を志願する若者たちが起こされたりと、日本における福音の伝播とは異なった、ダイナミックな「福音のうねり」のようなものを感じてきました。
 しかし、また、マラリヤやエイズの蔓延により、ウガンダの人々の平均寿命は極めて短いとも聞いています。イエス様を信じた若者たちが、次に教会を建て上げていくには、どのような援助が必要なのでしょうか。そうした問題点を聞かせていただき、的を射た祈りの応援を続けることができればと願います。
 宣教者パウロは、「すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(Ⅰコリント9-22)と語り、福音のために自分自身を捧げ切りました。佐藤先生も同じような思いを抱き続けてこられたことでしょう。そして、先生は次にウガンダへ帰って、どのような宣教の計画をお持ちでしょうか。祈りをもって後方支援させていただくことにより、私たちもウガンダ宣教に参加させていただきましょう。


無題 | 16:39:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
神はあなたを見ておられる!
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。"(ピリピ書2章14節)
 
 中学校の野球チームも世代交代し、息子たちの学年が中心になる時代がきたようです。息子は内野をしたいようですが、チームメイトから、「足が速いから外野を守ってほしい。」と言われるそうです。私も彼の気持ちを叶えてやりたいとも思いますが、最終的には監督が決めたポジションを、「「ここが僕の守備位置だ!」と受け止めて、そこで最高のプレーのできる、心の豊かな選手になってほしいと願っています。

 今回引退した先輩チームに、ひときわ大きな声で応援する選手がいました。彼はポジションに着くことは、めったにありませんでしたが、ひがんだような態度はみじんも見せず、ひたすらチームメイトを鼓舞し続けました。彼こそ正真正銘のレギュラーでした。

 県大会進出のかかった大事な試合で、監督は彼をピンチヒッターに起用しました。そのとき、めったに声を出すことのない父母の応援席から、次々に彼の名前が連呼されたのです。そして、彼の当たりは強烈なセンターライナー!結果的にはファインプレーに阻まれましたが、応援席からは「ナイスバッティング!」の歓声と大きな拍手が起こりました。その一打席は彼が三年間、裏方で続けた真摯な働きに対する、「最高殊勲選手」のタイトルの授与のような場面でした。

 私たちのチーム「教会」の大監督はイエス様であり、めいめいに守るべき場、果たすべき務めが与えられています。もちろん、全員がレギュラーです。補欠はいません。ひとりひとりのメンバーが自らの義務と責任を果たしてこそ、教会は大切な「神の灯台」となれます。

 世の中には、けんけんがくがく、議論を戦わせて道を定めていく場合もあるでしょう。しかし、論じるのではなく、ただ信じて従うべき、神がお定めになっておられる道があります。それが聖書です。この聖書の御言葉に聴き従おうとしている教会の姿は、世の人々の眼には、いぶかしいものとして映るかもしれません。

 しかし、私たちは決して幻惑されることなく、イエス様にお仕えするキリスト者の歩みを全うしてまいりましょう。天において、主から、「良い忠実なしもべだ。」(マタイ25-21)と声を掛けていただき、「目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」(黙示21-4)という日も近いのですから。


無題 | 20:30:42 | トラックバック(0) | コメント(0)