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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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「いじめ」の根っこは、ここにある!

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22章6節)

 大津市の事件をきっかけに、今また、「いじめ」が大きく取り上げられています。私たちの住む地域でも数年前、同様の事件があり、地域に立てられた教会として、心を痛めたことを思い出します。どんなに反省し、対策が講じられても、またしても、その醜悪な実態が表ざたになり、社会を陰鬱にしています。
 
先日、学期末の授業参観に中学校に行ってみました。「暑かった!」です。「子どもたちも頑張ってるなあ!」と思いました。参観が終わったら、外で部活を始めました。炎天下でも、教室の蒸し暑さよりは、ましでしょう。クタクタになって帰宅して、少しはゆったりできるのでしょうか。どこかでリラックスしないと、たまったストレスは、誰かを標的にしかねません。
 こんな懸念から、「ゆとり教育」が導入されたはずですが、また、学校は「詰め込み」の方向に舵を切ったようです。そんな状況下で、子どもたちの健やかな成長を助け、「いじめ」をなくしていく有効な手立てはあるのでしょうか。
 
聖書は人間の実像を、「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」(ローマ3-14)、あるいは、「彼らの道には破壊と悲惨がある。」(3-16)と表現しています。残念ながら、人は生まれながらに罪人であり、「いじめ」を楽しむような悪の性質を持っているのです。そして、その罪に傾いた性向は法律や教育で解決し切るものではありません。この問題は国会で論じたり、学校で対処されたりする以上に、教会で聴くべき「罪」の問題です。
 
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」(Ⅰテモテ3-15)という御言葉を、しっかりと心に留めるべきです。汚染された土地が除染を必要とするように、罪の性質はイエス様の十字架の血潮によってこそ清められます。そして、生まれ変わったその心には、「愛、喜び、平安」(ガラテヤ5-22)といった、麗しい果実が実っていきます。
 
聖書は、「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1-7)と教え、子どもたちの心に「神を敬い、恐れる」信仰の心を育てる必要を説いています。苦しみの中にある若者たちが、イエス様のもとに重荷を下ろし、魂の安らぎを得られるよう、神より委ねられた務めを果たしてまいりましょう。


無題 | 16:14:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦難が教えてくれるもの
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119篇71節)
 
 ここ数年、北部九州には台風も来ず、守られてきていましたが、今回の豪雨では、一転して甚大な被災地となってしまいました。先日、山の方にある施設に伺う機会があり、施設の無事を祈りながら出かけましたが、周囲の森は大雨で洗われて、緑も一段と輝き、皆さんも元気で迎えてくださったので、ホッとしました。近々、被害が甚大であった地区の施設をお訪ねする予定もありますが、復興作業が導かれて、皆さんと、神の守りを感謝できるよう祈っています。

 土砂崩れのために孤立している村落もあると聞きます。猛暑の中、復旧活動に当たる方々のためにも祈りましょう。東日本被災者の方々も祈っていてくださるのを感じます。そして、あの大災害と今なお闘っておられる方々の姿は、今回の被災者の皆さんの大きな励ましであるにちがいありません。

 今回被災された杷木地区は「ひまわり」で有名ですから、福島の除染のために、ひまわりの種を送りました。ひまわりにはセシウムを吸収する特性があるようです。また芸術の町でもあり、「こどもフェスタ」は優れた芸術鑑賞の機会を与えてくれています。同じ朝倉市民として、この災害の痛みをも共有させていただきましょう。

 詩人は、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。」と書き残しています。なぜ、災いとしか見えない出来事を、「幸せ」と受け止めることができたのでしょうか。彼はその苦難を経験することによって、「神のお定めになった法則があることを知った。」と告白しています。私は、この証しの言葉に重みを感じます。

 もちろん、大雨も、地震も、津波も、あってほしくないことばかりです。100%無益に思えます。しかし、こうした自然災害を通して初めて、私たちは己の無力さに気づかされ、謙遜にさせられるのです。それが、おそらく、「神のおきてを学ぶ」ということなのでしょう。

 もし、私たちが苦しみの中にありながらも神を褒め称え、互いに愛し合っているならば、そこにはイエス様のいのちが生きています。イエス様の光は「やみの中に輝いている。」(ヨハネ1-5)ものだからです。苦難を経験しておられる多くの人々に、私たちの貴重な救いの経験を証し、救い主を紹介させていただきましょう。


無題 | 20:49:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
「教会のメンバーになる」ということ
キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。(エペソ書4章16節)
 
 私たちは今朝、これまで客員(guest member)として交わりを続けてきた二人の姉妹たちを、教会員としてお迎えしようとしています。両姉妹とも、既にバプテスマを受けていますし、奉仕にも加わっていますが、当教会の信仰告白に同意し、教会員となることを望んでおられます。遠方の飯塚、福岡から集われる信仰姿勢に、バプテストの信仰を貫こうとする真実な証しを見ることができます。

 パウロは教会を「キリストのからだ」(Ⅰコリント12-27)に例えて、教会員「ひとりひとりは各器官」であると説明しています。器官が不足していては、からだは十分に機能しません。今回、お二人が授かっている霊の賜物が「キリストのからだ」に加えられることによって、教会の働きは、一層推進されていくことでしょう。

 先日、中二の息子たちは職場体験をさせていただきました。彼は友達とコンビニで、「いらっしゃいませ!」や「ありがとうございました!」の挨拶をしたり、お弁当を温めたり、レジに立ったりしたそうです。また、cleanliness(清潔)という言葉も習い、心を込めてトイレを磨いたそうです。お客様を迎えるにあたって、表に見えない仕事も、とても大切であることを教わったようです。

 では、教会員はお客様でしょうか?それとも、各自が持ち場で責任を果たす奉仕者でしょうか?明らかに、私たちはポジションに着いているレギュラーなのです。各メンバーが聖霊の求めに敏感に応じていかなければ、イエス様の光が、やみを照らすことはできません。

 まもなく始まるオリンピックで、体の各部がフルに働くとき、どれほどの妙技を演じることができるかを、選手たちが見せてくれることでしょう。それと同様に、召されたメンバーたちが自覚してイエス様に奉仕するとき、教会は「地の塩」(マタイ5-13)として、世の腐れを防ぐ働きができます。お互いに支え合いつつ高め合って、淀むことなく、主イエス様にお仕えしてまいりましょう。


無題 | 15:14:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
聖霊は今も働いておられる!
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ書2章13節)
 
 今年も梅雨末期の豪雨が各地に被害をもたらしています。半年ぶりに「歌のプレゼント」をさせていただく予定だった施設から、「道路が冠水してしまい、休業にしました。」との連絡があり、夕方には、その地域が海のようになっている様子が報道されていました。朝倉市の名前も出てきたので、何人かの方々が心配して電話やメールをしてくださいました。K兄の日田のご実家の周囲にも、深刻な状況が起こったとのことです。各地が更なる災害を免れることができますようお祈り申し上げます。

国政においては、政権交代以来、派手なバラマキが為されてきましたが、当然の結果、増税せざるを得ない状況に陥ったようです。しかし、他に何か妙案があるのかないのか、政権政党は分裂し、政局は、ますます混沌としてきました。抗し難い自然災害が多い時代に、更なる人災を引き起こしてはなりません。私たち1人1人が、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ」(ローマ12-2)、選挙を通しても、正しい選択をしていくことが求められています。

 私たちは今、「聖霊の働き」について学んでいます。イエス様を信じたすべての人の内に、聖霊なる神様が住んでいてくださるのです。これは驚くべき事実です。そして、その聖霊は私たち1人1人に賜物(能力)を分け与えていてくださいます。私たちは、その賜物をフルに活用して神に奉仕するのです。

 ここまで書いたところで、国際飢餓対策機構のスタッフから、水害や土砂崩れを心配する電話が入りました。何かの援助行動を起こす前の情報収集をしておられるようでした。その真剣な声を聞きながら、「この働きもまた、聖霊が指揮しておられる!」と感じました。そして、為すべき具体的な働きがはっきりし次第、迅速に次のステップに踏み出して行かれるのでしょう。

 この一本の電話によって、私たちも聖霊の導きに敏速に従うべきことを教えられました。イザヤのように、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(6-8)とお応えしましょう。イエス様のお働きに参加するためにこそ、私たちは救われているのですから。


無題 | 16:07:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
頼もしい「ヘルパー」を知っていますか?
聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)
 
 2012年も今日から後半に入ります。上半期には、神様が多くの新しい魂を導いてくださり、教会から喜びの讃美が湧き上がったような気がします。特に、子どもたちや若者たちがイエス様を褒め称えるのを聞いて、希望の虹が立ったように感じました。秋の創立記念、音楽祭参加、クリスマスへと、神様は、どんな驚くべき恵みを用意して、私たちを楽しませてくださることでしょうか。

 そんな時期に、今、多くの日本人が心配しているのが夏の「電力不足」です。予期せぬ自然災害によったとはいえ、オール電化が普及しつつあった中での節電要請ですから、不安を持つのは当然でしょう。それだけ、私たちの生活は電気の恩恵に、どっぷり依存しています。

 では、私たちは神様の恵みを十分に活用して生きていると言えるでしょうか。神様の豊かな恩恵に背を向けて、停電に耐えているような、無気力な人生を送ってはいないでしょうか。イエス様が語られた、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」(ヨハネ15-5)という御言葉の中に、祝福の源に結びつくことの大切さが、わかりやすく描かれています。

 高齢者や障害者の生活をサポートする「ヘルパー」という人たちがいます。力強い味方です。イエス様を信じる全ての人にも、「助け主」(ヨハネ14-16)と呼ばれる聖霊が与えられます。私たちと共にいてくださる、この神様は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22; 23という麗しい九つの身を実らせてくださると約束されています。また、イエス様の福音が世界中に宣べ伝えられるのを指揮されたのも、この聖霊なる神様です。

 この世に向かってイエス様の福音の光を輝かせようとする教会を、聖霊は助けてくださいます。主をお喜ばせするまっすぐな信仰をもって、聖霊の推進力を受けて進みましょう。今日から始まる年の後半の歩みにおいても、「失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19-10)と語られたイエス様の御意志を継承し、祈りと奉仕の歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 17:24:50 | トラックバック(0) | コメント(0)