FC2ブログ
 
■カウンター

■プロフィール

甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

■検索フォーム

■最新記事
■カレンダー

11 | 2011/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

■月別アーカイブ

■カテゴリ
■RSSリンクの表示
■QRコード

QR

クリスマスは「あなたの救い、あなたの希望」!
それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。(ルカ伝2章17節)
 
 ある施設のクリスマス会で「歌のプレゼント」をしたとき、終わりに施設の方が、「わが家でも飾り付けをしたり、ケーキを食べたりしていたけれど、クリスマスの歌がなかったことに気がつきました。今年は子どもたちとクリスマスキャロルを歌ってみようかなあ。」とおっしゃいました。そのお宅のクリスマス会にも伺って、お子さんたちに「救い主のお誕生」としての、クリスマスのおはなしをしてあげたいと思いました。しかし、多くの人たちはプレゼントを配って回るサンタさんのクリスマスで満足しています。「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1-4)と紹介されているクリスマスの主人公イエス・キリスト様はそっちのけにされているかのようです。
 二千年前、ベツレヘムでイエス様がお生まれになったときも、そうでした。暗く、冷たい家畜小屋で生まれ、飼い葉おけの敷きわらに寝かされたイエス様を礼拝しようと駆けつけたのは、野にいた貧しい羊かいたちだけでした。しかし、彼らは、「この幼子について告げられたことを知らせた。」(ルカ2-17)とあるように、救い主のお誕生の貴重な目撃証人となって、この喜びの訪れを告げ広めたのです。

 また、先日は中学生たちの寒中駅伝の応援に行くことができました。選ばれた選手たちが一生懸命走って襷を繋ぐのです。その力走ぶりを見ながら、あの羊飼いたちから始まった嬉しいクリスマスのリレーは、いったいどれほどの数の人たちによって引き継がれ、私に届けられたのかと思わされました。そして、その福音のリレーの大役を果たしてきたのが教会だったのです。

 今まさに、私たちの教会も、「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2-11)という知らせを告げ回っているランナーです。イエス様の救いを伝える栄光のランナーです。たくさんのお家に福音トラクトを入れて回りましたし、多くの施設をお訪ねしてクリスマスのキャロルをプレゼントしました。別の人が、「クリスマスを満喫しました。なかなかクリスマスの歌を聞く機会はありませんからね。」と言うのを聞くこともできました。

 今年、大災害に見舞われた地でも、希望のクリスマスメッセージが語られ、主イエス様を称えるキャロルが響いていることでしょう。「力ある神、平和の君」(イザヤ9-6)である主イエス様は、永遠に私たちの救い主です。声を合わせて叫びましょう。「「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2-14)


無題 | 21:00:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦難は、どう受け止めたらよいのか?
そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。(ルカ伝1章78、79節)
 
 先日、健康福祉館で、「クリスマス歌のプレゼント」をさせていただきました。久しぶりのお顔もチラホラ、「メリークリスマス!」の声も飛び交って、楽しいときを過ごしました。二か月に一度、季節を感じる歌をお届けしてきましたが、気が付いたら、クリスマスキャロルを歌っていました。来年に向かって、この奉仕を通して、地域との「絆」が、更に深まっていくことを期待します。

 その少し前にあった嬉しい信仰の友の来訪についても書き残しておきましょう。会社の慰安旅行で長崎に来られたNCのT兄が、一時間半もレンタカーを飛ばして、甘木の礼拝に集ってくださいました。聞いてみると、機会をトラエテハ、いろいろな教会を訪ね、イエス様の恵みの証をしておられるとのことです。まもなく退職だそうですが、その親身な兄弟愛と、臨機応変な判断の良さに励まされました。

 さて、私たちはこのところ、ヨブの信仰について学びました。ヨブは聖書中でも最も古い時代の人ですが、実に今の時代にタイムリーなのです。彼は潔白な信仰の人であったみもかかわらず、突然の災害によって、子どもたちをはじめ、多くの財産を失いました。その悲惨とも言える経験が、今年の震災被災者の方々のことを思い起こさせてくれます。

 その苦難の泥沼の中でヨブの口から出た、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(1-21)という言葉は、とかく弱音を吐きがちな私たちの、信仰の背骨をシャンとしてくれます。果たして、そのような場面に遭遇したとき、この言葉を心から言えるかどうかは判りませんが、常に心に留めておきたいものです。

 おそらく、震災被災地にも、このヨブのように、潔白とも言えるような信仰の人々が大勢おられることでしょう。その方々が、どのような思いをしながら、この御言葉を自分に言い聞かせているかを思うのです。このクリスマス、苦難の中におられる方々のためにも祈りつつ、救い主のお誕生を祝わせていただきましょう。


無題 | 14:11:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
どうして災いをも感謝できるのか?
私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1章21節)
 
 先日、私が学生だった頃、初めて訪れた教会のF宣教師が、数十年ぶりに訪ねてくださり、なつかしい再会のときを楽しみました。実際、共に教会生活をした期間は一年ほどだったにもかかわらず、この数十年間、私のために祈っていてくださったそうで、その真実な信仰に感動しました。より具体的に祈るために、どういう働きをしているのか、自分の眼で確かめようと、訪ねてくださったとのことです。
 パウロが、「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」(使徒15-36)と言って、宣教旅行に出発した場面を思い出しました。何の役にも立ちそうもなかったような1人の若者が、主の福音を宣べ伝えているのを見て、「神をあがめ、賛美しながら」(ルカ2-20)帰途に着かれたことでしょう。

 さて、先の礼拝で、私たちはヨブの信仰姿勢を学びました。ヨブは10人の子宝にも恵まれ、財産は増え、家庭円満であり、神の前に敬虔な信仰の生活を送っていました。ところが突如、彼の家族に次々と災難が襲い掛かり、子どもたちをも財産をも失ってしまったのです。潔白な信仰を貫いていたヨブに、愛の神がどうして、そのような災いを許されたのでしょうか。

 私はまず、すべてにおける祝福の中で、ヨブが謙遜に神への従順を貫けたことに驚きます。何一つ欠けるところがなければ、とかく祈りが上っ面になってしまうのが、人間の弱さです。しかし、ヨブは子どもたちの隠れた罪にまで及んで、神のあわれみを祈る信仰の人でした。決して、彼は高ぶりの罪に陥らなかったのです。

 それどころか、持ち物と子どもたちを失うという逆境の中にあっても、「主の御名はほむべきかな。」との彼の讃美の信仰姿勢は変わりませんでした。裕福であろうと貧しかろうと、恵まれていようと災難に遭おうと、その状況いっさいを感謝して受け入れたのです。聖書に登場する人物の中で、最も古い時代の人であるヨブの信仰から、私たちは多くを学ぶことができます。

 今年、日本も「これでもか」と言わんばかりに、相次ぐ災害に見舞われましたが、ヨブの口から出た言葉が、復興に向かってのカギを示してくれているように思えます。私たちもこのクリスマス、救い主が私たちを救うために、お生まれくださったことを感謝しようではありませんか。


無題 | 17:17:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
最高のクリスマスプレゼント!
しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。(イザヤ書9章1節)
 
 3月11日の震災発生以来、最も危険な場で闘い続けてくださった福島発電所のY所長が、ご病気のために原発を去られるとの報道がありました。この事故の結果は、最近でも米からセシウムが検出されたりと、深刻な影響を引きづり続けています。しかし、この所長さんの命がけの陣頭指揮がなかったなら、あの事故による災害は、どれほどだったことでしょうか。私はこの所長さんから、人それぞれに課せられている任務の重さを知らされました。これからも、後を引き継いで、あの難局と闘い続ける方々のために、とりなしの祈りを続けたいと思います。

 そんな大災害の年も、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」(イザヤ9-2)という、クリスマスの御言葉を拝読する頃となりました。この「大きな光」こそ、クリスマスの主人公イエス・キリスト様です。このイエス様は、「光はやみの中に輝いている。」(ヨハネ1-5)と紹介されました。

 ここ数年、派手なイルミネーションがクリスマスの風物になっていましたが、今年は節電が呼び掛けられ、控え目になるのではないでしょうか。その分、人々の目が「まことの光」(ヨハネ1-9)に向けられることを期待します。どんなに町を明るくしても、人々の心が闇に覆われたままでは、本当のクリスマスではないからです。
 また、お店はたくさんのプレゼントを用意して、人々を招いています。果たして、それらの中に最高のプレゼントを見つけることができるでしょうか。それはお店で買えるものではありません。私たち罪人を救うために、家畜小屋にまで下り、私たちの罪を負って十字架に架かってくださった救い主、イエス様こそ「最高のクリスマスプレゼント」です。

 私たち自身がかつては「やみの中を歩んでいた民」であり、「死の陰の地に住んでいた者たち」でした。しかし、今は心にまことのクリスマスが訪れ、罪許されて「永遠のいのち」をいただく身となりました。このクリスマス、「民みな喜べ!主は来ませり!」と歌って、最高のクリスマスプレゼント、イエス様の救いを、多くの人々に証させていただきましょう。


無題 | 15:31:48 | トラックバック(0) | コメント(0)