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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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人を強くするもの
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネ伝15章16節)
 
 先日、中学生になった息子が待望のレギュラー背番号7をもらえたというので、応援に出かけました。その日は、まるで彼のためのノックであるかのように、強烈な打球が次々にレフトを襲いました。辛くも取れたもの、伸ばしたグラブの先を抜けて行ったもの、はるか頭上を越えられたもの、どれもこれも良い勉強になったことでしょう。バッティングでは初めて経験するカーブに二打席連続三振もしましたが、ライトオーバーの三塁打もあり、デビュー戦にしては、次に希望を繋げる活躍だったのではないでしょうか。

 野球は彼らにとっては、甘えのない仕事です。役割を果たせなければ、はずされます。信頼されなければ、ポジションはもらえません。マナーが悪かったり、勉強を疎かにしては、練習にさえ入れてもらえません。そんな彼に、私はいつも、聖書を音読することによって、精神力を養っていただくように促しています。「すべての完全な賜物は上から来る」(ヤコブ1-17)とあるように、神の恵みと祝福こそが、欠点だらけの私たちを成長へと導いてくださるからです。

 聖書は、もし、人が、「神を神としてあがめず、」(ローマ1-21)という態度を続けるなら、「その無知な心は暗く」、堕落の道を転げ落ちて行くと警告しています。万物の創造者を無視し、思いのままに振舞う者に、「神の怒り」(ローマ1-18)が下ることは、歴史を見れば明らかです。そうなる前に、私たちは己の道のまちがいに気づき、神のあわれみと赦しに立ち返らなければなりません。

 イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11-28)と、道に迷い、生き抜く力の衰えた私たちを招いておられますまた、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」」(ヨハネ4-14)と、クリスチャンの豊かな勝利の人生をも保証しています。

 そして、その招きに応じたクリスチャンたちが、各地で、「ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって」(Ⅰヨハネ3-18)、イエス様の愛を実践しています。朝に晩に神に感謝し、祈りつつ、与えられている奉仕に専心しているのです。このキリストの愛の実践を通して、イエス様が「道であり、真理であり、いのち」(ヨハネ14-6)であることが、周囲の人々に明らかにされていくのです。

 この秋、ひとりひとりが、「まことのぶどうの木」(ヨハネ15-1)であるイエス様に、しっかり結びつくことによって、教会全体として、良き実を結んでまいりましょう。生き甲斐を見失い、虚しい心で生きている人たちに、イエス様の福音をお届けする働きが、私たちに委ねられているのですから。


無題 | 14:24:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
9.11、憎しみは、どうしたら消えるのか?
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。(ルカ伝15章7節)
 
 先日、9月11日、あの同時多発テロから10年が経ったということで、追悼の行事が行われていました。あの日以来、「テロとの闘い」と称して、アフガニスタン、イラクへと、激しい戦火が拡がって行きましたが、ついに10年が過ぎ去ったことになります。果たして、武力による報復は、世界をどこへと導いたのでしょうか。払った犠牲は甚大でしたが、それによって、何か良きものがもたらされたでしょうか。

 同じく11日は東日本大震災から半年であり、被災地の現状がさまざまな形で報じられていました。最も深刻だったのは原発の爆発でしたが、半年間、放射能の危険の中に踏みとどまって事故処理と格闘してくださった方々があったおかげで、避難された方々の帰宅が話題に上るようにまでなりました。聖書は、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ5-3 4)と教えていますが、皆さん方の祈りと努力に応えて、神様が復興の希望を見せていてくださるように思えます。

 後者は自然災害でしたから、世界中からの同情と熱い祈りが注がれ、惨劇の中にも、心温まる感動のドラマが、今なお続いています。それに比して、人間の憎しみによって引き起こされたテロと、その報復の連鎖は、不信と残虐さを増すばかりで、泥沼化しているように見えます。私たちの周りでも、隣人との問題を暴力で解決しようとしたら、どうでしょうか。関係が悪化し、周囲をも不幸に巻き込んで行くばかりであるにちがいありません。

 聖書は神の御子イエス様が、この世に来てくださった目的を「罪を取り除くため」(Ⅰヨハネ3-5)であり、「悪魔のしわざを打ちこわすため」(3-8)であると伝えています。悪魔によって分断され、混乱させられた神と人との関係を、イエス様は再び回復するために、ご自身が私たちの罪の身代わりとなってくださったのです。

 私たちもかつてはトラブルメーカーであり、争いの種を蒔いていた者でしたが、今は神を褒め称え、周囲の救いを祈り、働く者へと変えられました。私たちはこの世界が痛んでいることを感じています。救い主を必要としているのです。この秋も、1人でも多くの人が滅びの道から救われ、「神の子ども」(Ⅰヨハネ3-1)とされるため、主への奉仕に励んでまいりましょう。


無題 | 17:41:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
「天にある永遠の家」とは?
私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(第二コリント5章1節)
 
 東日本大震災から半年、防災意識が高まっているにもかかわらず、台風12号の通過により、また各地に甚大な被害が起こってしまいました。ある村の村長さんはご家族を失う惨劇に見舞われた中でも対策の先頭に立っておられました。河が氾濫し、濁流が村長さんの家を押し流してしまったのだそうです。避難した施設に大水が押し寄せたところもあったそうです。留まっても、避難しても、避けられないような規模の自然災害が増えています。こうした現実を見据えて、人間はどう生きたらよいのでしょうか。

 久しぶりに来会されたH姉が、孫のW君がイエス様を信じ、救われた証をしてくださいました。いきさつは、小一の彼がおばあちゃんの肩を揉んでくれていたので、「天国!天国!」と喜んでいたら、そこから、「どうしたら天国に行けるの?」という話に発展したのだそうです。そこで、イエス様の救いの話をしたところ、「僕、イエス様を信じる!」と言って、救われた喜びを家族に言って回ったそうです。この証を聞いて、イエス様が語られた、「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」(ルカ18-16)という御言葉を実感させられました。

 もちろん、これからも治水・防災対策が研究され、実践されて、災害の規模が最小にとどめられていかなければなりません。しかし、私たちは、「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」(ルカ12-20)と言われた金持ちのように、大切な備えを欠いた者であってはなりません。これほどにも、予期せぬ災害が多発する中で、神はすべての人が「天にある永遠の家」への切符を確保するよう、繰り返し求めておられます。

 この秋、私たちは横田早紀江さんが書かれた「私たちはいつも覚えられている」というトラクトを配布しています。このトラクトは震災被災地の皆さんへのメッセージとして用意されたそうですが、ぜひ、この地の皆さんにも読んでほしいと思い、取り寄せました。突如として娘さんが姿を消してしまうという出来事の渦中で、横田さんは聖書を読むように導かれ、次々に襲い来る災いの中でも、神を信じ続けるヨブの姿を通して、すべてを見守っておられる神のご存在に気づかされたそうです。

 突然の災害に遭った人たちは、「なぜ?」を繰り返し、その意味がわからないことによって苦しみ続けます。しかし、聖書は、その背後に隠れている真実の意味を明らかにしてくれます。あるいは、まちがった道を進んでいることに気づいた人は、正しい道へと方向転換もできます。

 苦しみ、犠牲なしに救いはありません。実にイエス様は私たちの罪を負って、十字架の苦しみを耐えてくださいました。この御愛によって、私たちは救われるのです。 この確かな救いの道を証してまいりましょう。


無題 | 17:02:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
天に故郷を持つ幸い
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ書3章20節)
 
 八月最後の礼拝に、甘木出身で神戸にお住まいのM姉が集ってくださり、信仰の証を聞かせてくださいました。神戸に就職後、結婚式は教会で挙げたものの、特に信者にまでなろうとは思っていなかったそうです。その後、三浦綾子さんの書物を紹介され、キリスト教への関心を深めるようになったそうです。そして、教会に集うようになり、イエス様の救いに与り、その後、オルガンの奉仕を続けておられるとのことです。今回初めて、ご実家の近くに教会があることを知り、集ってくださいました。

 今、姉のお母様はI兄の鍼治療に通っておられます。こうしたつながりを通して、ご実家の皆さんも、イエス様の救いに近づくことができるよう祈りましょう。姉も加わっての被災地激励の賛美が、ホームページで流れたことも、主にある良き交わりでした。またの帰郷の折の来会を楽しみにしましょう。

 さて、先日、巨峰の郷である田主丸に出かけたので、ブドウ園に立ち寄りました。丹精された一粒を賞味しながら考えたのは、被災地の皆さんのことでした。ここでは大地と日の恵みを受けて、豊かな実りがあり、にぎわっているのに、放射能汚染のために植え付けさえ許されない地があることを。その震災復興の責任を担って野田新内閣が船出したというニュースが流れました。誰が政治のリーダーになろうと、私たちの願いは、あの被災地にも、穏やかな日常が一日も早く戻ることです。

 今また、福島の浪江町出身の歌手が相馬の民謡を歌っていました。それを聴いていた浪江から避難している人たちが、「早く浪江に帰りたい!」と言っていました。その気持ちもわかりますが、私はイエス様が語られた、「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」(ヨハネ14-2)という御言葉を思い出していました。イエス様が十字架の愛をもって、私たちのために備えてくださった天の故郷のことをです。

 パウロは、「私たちの国籍は天にあります。」と書き記しています。私も、そう言えることを感謝します。生まれ故郷の山河以上に、イエス様が備えていてくださる天の御国は神の恵みの満ち満ちたところなのです。
 福島の原発事故の近くにあった教会の牧師が、ご自身が経験された被災生活を通して、トラクト(小冊子)を出版されたそうです。そこには、神の守りと恵みへの感謝があふれています。これらのトラクトが多くの被災者に届けられ、揺るぐことのない希望を見出す方々が起こされるよう祈りましょう。


無題 | 14:30:01 | トラックバック(0) | コメント(0)