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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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人はどうして、「いけない」とわかっていることを、してしまうのか?
だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。(第一ヨハネ3章9節)
 
 ラジオから、夏休み恒例の「子ども科学電話相談」が聞こえてきました。ある女の子が、「なぜ、人は{してはいけない。}と言われていることを、してしまうのですか?」と質問していました。小学生にしては珍しい質問なので、聞き耳を立てました。回答者の先生は、「人はついつい、{いけない}と言われたことに気を取られ過ぎて、気がつくと、それをしてしまっているということがあるものだ。」というような答え方をしていました。つまり、「悪い言葉を使ってはいけない。」と聞かされることによって、「その悪い言葉を使ってみたい。」という誘惑が強くなり、結果的に、それまで以上に頻繁に使うようになってしまうということがあると言いたかったのでしょう。

 普段ならば、小学生らしく、昆虫や星に関する質問が多い中で、これは人間の本性に関わる、極めて深い内容の質問だったと感じました。なぜなら、それはパウロが苦悩した人間の罪の問題だからです。パウロは、「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(ローマ7-19)と告白しているのです。

 最近でも、日本中を感動させた野球チームの選手が自ら、飲酒体験をネットに書き込んで、停学処分を受けたというニュースが流れていました。周りで大人ががぶがぶ飲んでいるのを見て、「未成年は飲酒をしてはいけない。」と言われても、「飲んでみたい。」という誘惑が募るのは当然ではないでしょうか。その結果、チーム全体が責任を負い、長年の夢を断たれてしまうとしたら、真剣に練習に取り組んできた選手たちは、その悔しさをどこにぶつけたらよいのでしょうか。

 ある著名な作家が、「私は人は罪人だと思うのです。だから、その人間が親切をするのを見ると感動します。」と語っていました。聖書も人間の本性を、「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」(エペソ2-3)と表現しています。ですから、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」(Ⅰテモテ1-15)という事実は、まさに神の恵みなのです。

 人は罪の性質を持って生まれてきますが、救い主イエス・キリストを信じることにより、「神の子ども」Ⅰヨハネ(3-1)として生まれ変わることができるのです。この救いを体験した人たちの証言集が讃美歌です。私たちも同じ体験をした者として、イエス様の救いを証してまいりましょう。


無題 | 15:22:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
「天国人」として、どう生きるか?
自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。(マタイ伝6章20節)
 
 九州ファミリーキャンプが開かれ、教会からは7名が参加しました。他教会からの参加者も幼児から高齢者まで幅広く、しかも国際色豊かな集いでした。講師のE先生の4回の説教を通して、天国人とされた私たちクリスチャンが、どのような生き方をすべきか、具体的に教えていただきました。

 特に、先生が10時間もトラックを運転して、被災地での炊き出しや泥かきをされた体験から、主の足跡に倣う生き方の実例を示していただきました。イエス様について語ること以上に、イエス様を生きることは、はるかに説得力をもったメッセージを伝えてくれます。先生は神様からお預かりしたすべての能力を、「ただ神の栄光を現わすために」(Ⅰコリント10-31)、フルに活用しておられます。参加した若者たちに、特に良き影響を残すメッセージだったにちがいありません。

 また、礼拝をお捧げした後、雨ぶりの長距離ドライブも守られて、人吉のN姉の御家族を訪ねることができました。今回も義母が通うデーサービスで、「歌のプレゼント」もさせていただきました。グループホームの方々も加わって、わらべ歌を一緒に歌ったり、讃美かを聴いていただいたりしました。クリスチャンになられたという、N姉の旧友も会いに来てくださり、お互いに救いの証をし合う機会まで与えられました。いつもながら、突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくださる施設の皆さんに感謝します。

 別れ際に義母の手を取って、イエス様の見守りを祈ったとき、今回もはっきりと「アーメン」の応答を聞くことができました。記憶の定かでないところも多くなっていますが、「イエス様、アーメン!」を忘れていないのは、「からし種ほどの信仰」(マタイ17-20)を、主が守っていてくださる証拠です。小さき魂をも顧みたもう主のあわれみを感謝します。

 キャンプでは甘木の讃美の質の高さを褒めていただきましたが、その他の面は、どうでしょうか。礼拝に向かう態度、福音を証するスピリット、お互いのための祈りなど、どの面においても、良き聞こえのある教会を目ざしてまいりましょう。純粋なイエス様の福音に生きる教会にこそ、主は新しい仲間をも加えてくださると信じます。


無題 | 17:32:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
終戦記念日に、共に祈りましょう。
キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル書7章25節)
 
 被災地を代表して甲子園に出場した球児たちが善戦の結果、「被災地に勝利を贈りたかったけれども・・・」と涙をこらえながら話していました。震災後は野球そっちのけでボランティア作業に励んだとのことです。自らも大小の傷を負ったであろう若者たちが、難儀している故郷の人々の励ましになろうと、力以上のプレーをくりひろげてくれました。あのように優しい心根の、たくましい若者たちが育っているかぎり、東北は心温まる絆で結ばれた地域として再生していくことでしょう。

 一方、広島、長崎では66回目の原爆の日、平和祈念式典が開かれました。今、福島では原発事故が進行中であり、環境汚染の暗雲が東日本全域を覆っています。しかし、66年前の広島と長崎の惨状は、それどころではなかったことでしょう。焦土と化したそれらの町が再生するなどと、誰が想像し得たでしょうか。

 しかし、「すべての営みには時がある。」(伝道3-1)とあるように、かつての「死の町」は、世界に平和のメッセージを発信する国際都市として、立派に再生したのです。この身近な実例に励まされて、福島のため祈り続けましょう。福島を悲劇の町で終わらせてはなりません。そこから何か、全く新しい希望が生まれ出ようとしているのだと信じます。

 明日は終戦記念日です。よく、戦後の日本が焼け野原だったと聞きます。きっと、そこにたたずんで神のあわれみを祈ったクリスチャンたちがいたにちがいありません。彼らは神の恵みを求めて、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」(ルカ18-13)と胸を叩きながら、日本の復興のため祈り続けたのでしょう。

 私たちは神様を、「情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」(ヨエル2-13)お方として知っています。そして、私たちは、「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7-7)と絶えず祈ることを勧められているのです。

 私たちはイエス様への信仰により、「神の子ども」(Ⅰヨハネ3-1)の身分をいただいた者たちです。この尊い立場に恥じぬよう、身近な人たちから始めて、苦難の中を通っておられる多くの人たちのため、とりなしの祈りを捧げさせていただきましょう。


無題 | 21:03:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
神が味方であるなら・・・
神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。(出エジプト記3章12節)
 
 息子が中学校の新人野球大会にメンバー登録されたということで、何かと気遣いをしています。特に、良い結果が出ないときに、ダウンしようとする気持ちを押し上げてやれるような言葉かけを心がけています。それは私に限らず、親という立場にあれば、当然のことでしょう。なぜなら、親は子どもの最も近い味方であるからです。

 では、私自身に言葉かけをしてくれるのは、どなたでしょうか?それは神の御言葉、聖書です。これまでも、そして今も、私は聖書の御言葉によって励まされ続けてきました。特に、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8-31)という御言葉は、私の平安の基盤です。この御言葉が頭に浮かぶと、勇気百倍になります。

 その逆に、もし誰かが、「いつも神様と争っている。」としたら、どうでしょうか。毎日、全能の神様を相手に闘っているとしたら。その人は、たちまちくたくたに疲れ果ててしまうにちがいありません。どれほど精神や体を鍛え上げても、神様が定められた祝福の道を変えることはできないからです。

 であるならば、誰もが神様を味方に付けたいと思うはずです。事実、このような試みは人の歴史に常に伴なっていたし、昨今では風水や占い、スピリチュアルと言われるものの中に、「運気を上げたい」、災いを避けたい」などの願望として、内在しているのではないでしょうか。

 では、神様は、どのような人の味方であると伝えているでしょうか。「御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3-36)とあります。私たちの業績の故ではなく、私たちに代わって罪を負ってくださったキリスト様の故に、神様は私たちの味方となってくださったのです。

 すべての人を「神の子ども」(Ⅰヨハネ3-1)として救おうとする神の愛は、なんと強く深いことでしょうか。神を敵とするような生き方を変え、救い主を心の王座にお迎えしませんか。そのとき、全能の神が、あなたの味方の弁護者となってくださるのです。


無題 | 21:05:52 | トラックバック(0) | コメント(0)