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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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天に故郷を持つ幸い
イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。(ヨハネ伝20章21節)
 
 去る3月20日に天に召された故M兄の納骨式を、お身内の方々と共に執り行わせていただきました。M兄を生まれ変わらせてくださったイエス様の十字架を思う受難週の二日目でした。イエス様は、「あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14-3)と約束してくださったとおり、M兄の魂を御許へ引き上げられました。ご遺骨だけが残りましたので、お身内の手によって、丁重にお墓に安置していただきました。

 私たちはM兄が天の御国へ移されたことを知っていますから、天の御国で再会する希望を歌いました。すべての人がそうであるように、M兄の生涯にも、恥ずべきところもあったかもしれません。しかし、聖書は、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5-20)と、キリスト信仰による全き赦しを約束しています。更に、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」(エペソ2-8)との確信も与えられています。

 今朝、私たちはイエス様の「希望の復活祭(イースター)」を祝うために集っています。そして、あの途方に暮れていた女たちに告げられた、「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24-5;6)という喜びの知らせを聴くことができます。私たちは墓の中に慰めを求める必要はないのです。「キリストはいつも生きていて」(ヘブル7-25)とあるように、キリストに附く私たちもまた、既に「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)に移されているのです。

 今回の大津波で多くの若い消防士たちが殉職されました。彼らは他者を救うために、津波が迫る危険の中で働き続けたのです。子どもたちを誘導し、高齢者を背負って助け出しました。その尊い働きの中で、自らは波に飲まれてしまったのです。

 私たちの住む地には、幸い地震や津波はありません。しかし、多くの人々が世の波に放浪され、神のみこころから遠く離れて漂っています。教会は彼らに救いの道を伝えるために立てられているのです。あの消防士たちが人命救助の任に忠実であったように、私たちも死を打ち破って復活された主イエス様を証する、希望の使者として働きましょう。主は、「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28-20)と約束していてくださるのですから。


無題 | 21:07:45 | トラックバック(0) | コメント(0)
被災地へ届けよう!励ましの歌プレゼント!
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ伝7章7節)
 
 東日本大震災の発生から一カ月、健康福祉館で「被災地へ届けよう歌のプレゼント」をさせていただきました。ちょうど東北地方へサクラ前線が北上したという日の、のどかな昼下がりでした。本当は被災された方々をお訪ねしたいのですが、それは叶いませんので、この地から祈りを込めて、励ましの歌を贈らせていただきました。神様にとって距離の隔たりはありません。今、世界各地から、祈りと思いやりが被災者の皆さんに注がれ、屈しない忍耐力を与えているのを感じます。

 歌った讃美歌の中に、「いかに恐るべきこと、ありとも」とあります。彼の地には、ひっきりなしに大きな余震が続いています。どれほどの不安と恐怖の毎日でしょうか。しかし、歌は、「みつばさの陰は安らかなり。」と慰めてくれます。「骨折り疲れて沈むときも」とあります。突然の大津波から、着の身着のままの避難生活、どれほど疲れておられることでしょうか。しかし、聖歌は、「頼るなが身保護したまわん。」と励ましてくれています。

 聖書に、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12-15)とあります。どんなに深い悲しみも、分かち合う友が多ければ多いほど、荷は軽くなります。イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)と十字架の愛をもって、すべての人を救いに招いておられるのです。

 福島の原発事故を含め、今回の震災が、どう推移していくか、誰にも確実な予想はできません。私は、暴風に向って、「黙れ、静まれ。」(マルコ4-39)と命じられたイエス様に、自身をも静めてくださるよう祈っています。しかし、イエス様は、「方々にききんと地震が起こります。」(マタイ24-7)とも予言しておられます。ですから、私たちは神のあわれみを求めつつも、最終的には、その深いみこころにお委ねすべきです。

 今回も皆さんが手拍子や掛け声で参加してくださいました。被災地への義捐金に協力してくださった方々もあったことでしょう。ますます、この歌のプレゼントを通して、地域の人々にイエス様の愛と恵みを証してまいりましょう。


無題 | 14:53:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
「安全な場所」を持つ幸い
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マタイ伝24章35節)
 
 大震災で避難生活をしておられる方々のことを思うと、普通に寝起きのできることの有難さを感じます。それ以上に、何不自由なく暮らしていることに、申し訳なささえ感じるほどです。地球が生きているからこそ、火山の噴火も自身も、これまで繰り返し起こってきました。しかし、聞くところによると、マグニチュード9などという巨大地震は近年に集中しているとのことです。ギネスブックに載るような防波堤も易々と越えて平穏な暮らしを破壊してしまうような大津波が起こるのであれば、果たして人は、それに比例した堅固な防災策を実行し続けていけるでしょうか。

 日本においては16年前の阪神大震災以来、本腰を入れた防災訓練が各地で行われてきました。しかし、残念ながら、今回の災害の威力は、そうした訓練をあざ笑うかの如くに巨大でした。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。」(Ⅰペテロ1-24)とあるように、人間の築き上げた文明が一瞬のうちに丸呑みにされてしまいました。そんなことが己の身に起こったとすれば、果たしてどのように受け止めることができるでしょうか。

 ヨブは愛する家族を失い、財産も無くすような災害に見舞われた後で、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(1-21)と言うことができました。彼が経験した悲しみはどれほど深かったことでしょうか。また、答のない苦悩が、どれほど彼の心を苛んだことでしょうか。それでも、彼は決して不平を言わず、神を褒め称えたのです。

 北国に春を告げるというコブシの花のように、日本各地はもちろんのこと、世界中から思いやりの行為が被災地に届けられ、美しい花を咲かせています。何もかも無くした被災者の方々のために、瓦礫をかき分けて思い出の品を捜しているというボランティアが紹介されていました。子供たちに運動会で頑張った写真が返るかもしれません。楽しかったいも煮会の写真も届けられることでしょう。傷心が癒えるには長い時間を要することでしょうが、こうした優しい行為が実践されていくかぎり、被災者の皆さんは必ずや、困難を克服していかれることでしょう。

 先ごろ、学びのためにニュージランドに行かれた方々が被災したばかりです。今度の被災者の中には外国からの方々もおられます。「万物の終わりが近づきました。」(Ⅰペテロ4-7)とあるように、どこにいても全く安全な所はないのです。しかし、私たちには、イエス様が備えていてくださる「天にある永遠の家」(Ⅱコリント5-1)があります。不安の時代に向かって、この確かな救いの道を指し示してまいりましょう。


無題 | 19:33:55 | トラックバック(0) | コメント(0)