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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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自分の役割を果たしましょう!
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ3章18節)
 
 先日、小学校最後の授業参観がありました。何をするのか知らされていなかったのでとにかく、六年間観続けてきたのだから、「最後も聴かせてもらおうか。」程度の軽い気持ちで出かけました。内容は谷川俊太郎の詩の群読でした。生まれた時から、どれほどの愛情を受けてきたかを数え上げ、親に心からの感謝を伝えるものでした。「こんなに大きくなりました。」とか、声を合わせての「ありがとう!」の連呼などを聞きながら、「私はあなたに感謝します。」(詩篇118-21)という思いがこみ上げてきました。その後、息子が手作りしたプレゼントに手紙を添えて届けに来てくれました。学校側の演出の巧みさもあって、いつまでも心に残りそうなひとときとなりました。

 子どもたちがあれほど力を込めて「ありがとう!」を叫ぶのを引いて、「幸せな子どもたちだなあ!」と思いました。中には、本当は文句の一つも言いたいような子もいたかもしれません。しかし、みんなで「ありがとう!」を叫んでいるうちに、不満はすっかり吹き飛んで、満面の笑顔の子たちになっていたことでしょう。美しい言葉を響き合わせる仲間のいる幸いを見せていただきました。

 こうした平和な場面に引き換え、世界各地で怒りの大爆発が起こっています。人々は決死の覚悟でデモに加わっています。かつてエジプトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民の「労役の叫びは神に届いた。」(出2-23)とありますが、今回の政変の背後にも、歴史を導く神の「見えざる御手」が動いているにちがいありません。

 私たちは震災の地へ救助に行くこともできませんし、流血の惨事も傍観しているしかないのでしょうか。そうではありません。あの抗議のシュプレヒコールが政府をさえ倒したように、私たちの祈りは「働くと、大きな力が」(ヤコブ5-16)あるのです。渦中に飛び込んでいく方々の働きはもちろん尊いのですが、神がそのような混乱の中で、「礼拝者として求めておられる」(ヨハネ4-23)者たちもいるのです。

 みことばは、「その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。」(Ⅰペテロ2-16)と教えています。私たちは与えられている貴重なときを浪費することなく、私たちの救いのためにご自身のいのちさえ惜しまず捧げてくださった、主イエス様の栄光のために用いさせていただきましょう。


無題 | 16:02:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
この模範に倣って、善を心がけましょう!
主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。(第一ペテロ3章12節)
 
 エジプトで民衆の求めが勝ち、30年間、独裁体勢を敷いてきたムバラク大統領が退陣に追い込まれ、長年の圧政から解放された市民たちの歓喜する様子が放映されていました。ちょうど出エジプト記を学んできていたところだったので、奴隷状態から解放されたイスラエルの民の喜び様と重なって、貴重な歴史の一場面に立ち合ったような気がしました。エジプトを出たイスラエルの民は、「わしの翼に載せ、」(出19-14)とあるように、神様の保護の中、約束の地へと進んで行きました。さて今、喜びに湧いているあのエジプトの民衆を、今度は誰が導いていくことになるのでしょうか。

 イラクを独裁的に支配してきたフセイン体制を倒しても、その破壊の跡から良きものが生まれてきたかといえば、未だ道遠しと言わざるを得ませんし、アフガニスタンにおいても、依然として混沌状態が続いています。ここ日本においても政権交代は大きな期待を集めたのですが、迷走を続け、今や民主党政権の支持率は低下の一途をたどっています。

 しかし、このような政治の変遷も、少しでも良き社会をと願う人々の、あくなき追求の過程なのでしょう。壊すことが目的であってはならないし、命を懸けて、立て上げるため、努力していかなければなりません。感謝なことに、私たちには主イエス様が残してくださった、最高の生き方の模範があります。それは、人の魂の救いのために仕える生き方です。

 先日ラジオで耳にしたアフガニスタン出身の医師の話に感銘を受けました。日本の過疎地で往診をして回っておられるそうです。日本人の医者も赴かないような地で、あの戦火のアフガン出身のお医者さんが、患者さんの痛みに熱心に耳を傾けておられるのです。ひょっとして、イエス様のお弟子ではと思わされました。

 イエス様は「ガリラヤ全土を巡って」(マタイ4-23)、「御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」と記されています。そして、ついには私たちの罪を負って、そのいのちまで捧げてくださったのです。その「キリストの打ち傷のゆえに」(Ⅰペテロ2-24)、私たちまでもが魂の生まれ変わりをいただいたのです。

先日学んだみことばに、「善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。」(Ⅰペテロ3-11)とあります。私たちは今週、どのような善をすることができるでしょうか。また、平和な社会を作り出すために、具体的に何をすることができるでしょうか。主のお役に立つことを願いながら歩んでみましょう。


無題 | 16:16:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
新しい働きを準備しましょう!
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカ伝19章10節)
 
 先日、健康福祉館で「早春の歌のプレゼント」をさせていただきました。いつもより若干、聴衆が少なめかなと感じましたが、新顔の方々も幾人かお見かけしたようです。春を呼ぶ希望の歌を、たくさんプレゼントできました。最後に館長さんが、「皆さん、穏やかな気持ちになったのではないでしょうか。」と挨拶してくださいました。今度はイースターの頃、大勢の皆さんにお会いできるよう期待しましょう。

 さて、私は2月の目標を「新しい教会案内を作る」と決め、さっそく取り掛かっています。一昨年に作った「心を養う三つのカギ」を、ようやく配り終えようとしているからです。これは季節を問わずに、長い期間用いる案内ですから、どの世代の人が、どの季節に読んでも、「一度、教会ってところへ行ってみようか。」と思っていただけるようなものでなければなりません。

 それと同時に、配る者たち自身がワクワクするような期待をもって出かけていけるような内容をとも願います。教会案内はイエス様が語られた「種蒔きの種」だと思います。配布する案内の一枚でも、二枚でも、「種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」(マタイ13-8)と表現されたような、身を残してほしいのです。

 黙示録に、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。」(3-20)というみことばがありますが、これを読む度に、人の心の扉をノックして回るイエス様のことを想像します。しかし、開けていただけない扉が多いのです。そして、その奥に住む人のために、そっと置いていくのが、今作ろうとしている教会案内です。「手にして、読んでくださいね。」と祈りを込めて残していくのです。

 今回もまた、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)というイエス様の招きのみことばを入れようと思っています。この御言葉には、私自身がいつも慰められるからです。他にも、重荷を下ろす場を捜している人が、きっと多くいるにちがいありません。そのような方の心に届く案内に仕上がるよう祈りましょう。

 今回も歌った「恵みの高き峰」(聖歌589番」にあるように、私たちの日々の営みは天国へと上っていく道です。イエス様の十字架の血潮によって罪赦され、神の奉仕に立てられているのです。毎日、神と人にお仕えする生き方を心がけてまいりましょう。


無題 | 19:45:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
この模範に倣って歩んでいきます!
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
                                                                                                     (Ⅱテモテ4-8)
 先日、小学校の寒中持久走大会があり、応援に出かけてきました。毎冬、甘木公園の池の周りで熱いドラマを演じてくれましたが、いよいよ、L君にとっては最後の大会となりました。距離も一年生で走ったときの3倍近く、2,1kmとのこと、グラウンドを2周した後、池の周りを更に2周です。昨年は故障で悔しい思いをした子が、今回は他を寄せ付けない、成長した走りで一位でゴールイン。「今年こそは」と、期するところがあったのでしょう。

 気合のこもった応援に押され、どの子も力を振り絞って走り抜きました。大きく後れながらも、懸命にゴールを目ざす少年たちにも、「がんばれ!」コールが掛けられていました。L君は5着でしたが、自己ベストを10秒も更新する力走ができたとのこと、また一つ良い思い出を残せたのではないでしょうか。

 子どもたちのひたむきな挑戦に感激しながら帰る途中、パウロが描いた信仰の持久走について考えました。彼は、「神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている」(ピリピ3-14)と、その覚悟を表現しています。あの子どもたちも、それぞれに目当てを立てて、大会に臨んだことでしょう。では、私たちの二月の目標は何でしょうか。

 あの子どもたちが目当てを達成しようと全力を尽くしたように、私たちも日々、具体的な目標を心に留めて歩んでみましょう。そうすることによって、ただ時が流れて行くことなく、その日その日に、進んで自分の足跡を残していくことができるからです。

 先日、久しぶりに入所中のM兄をお訪ねすることができました。寝たきりではありましたが、しばらくの語らいの時を持てました。おそらく、兄は最後の力を振り絞って、一息一息しておられることでしょう。イエス様から「義の栄冠」を授かるときへと、緩やかな歩を進めておられます。応援の祈りを熱くさせていただきましょう。

 私たちの前にはイエス様が歩まれた良き模範の足跡(Ⅰペテロ2-21)があります。それは全人類の罪を負って、いのちを投げ出すほどの自己犠牲の歩みでした。私たちは日々、この主に倣って、他者に仕える歩みを努めてまいりましょう。
 


無題 | 16:25:54 | トラックバック(0) | コメント(0)