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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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心の目を上に向けると、そこには希望があります。
ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル書7章25節)
 
 先日、久しぶりに、心の弱さを持つ方々と、その支持者たちが営んでいる作業所をお訪ねし、歌のプレゼントをさせていただきました。昨年の福祉祭で皆さんに再開したとき、「また来てください。」と声をかけてもらっていましたので、楽しみに出かけました。作業の邪魔になるのではと気遣ったのですが、所長さんの、「もっと地域の人たちに関わってほしいんです。」という言葉を聞いて、「来てよかった!」と思いました。
 ある娘さんは、「 贈る言葉が最高でした!」と嬉しそうでした。また、あるお母さんは「アメージンググレース」に心を動かされたらしく、「郵便局の隣の教会ですよね。」と話しかけてくれました。作業所のホームページの話になったので、「教会のHPものぞいてみてください。」とお伝えしておきました。辛い症状と闘いながら作業所に通っておられる方々が、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)というイエス様の御言葉を聴くなら、きっと慰められることでしょう。

 「有意義な一年を過ごすために」というテーマのもとに、今年最初の地域集会も開くことができました。前回に続いてI様が集ってくださいましたので、「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(箴言3-6)から、「神様を意識する生活をしてみてはいかがでしょうか。」と語らせていただきました。散歩の途中見つける春の芽ぶきにも、神様の御力を認めるなら、そこにはもう一味ちがった感動が湧き上がるにちがいありません。

 やっと口蹄疫が終息したばかりだというのに、今度は鳥インフルエンザや火山灰と闘わなければならない宮崎の皆さんのご苦労は、いかばかりでしょうか。しかし、そのようなところにも、神の変わらぬ愛と見守りはあるのです。どのような困難に直面することがあっても、「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。」(詩篇42-5)と語りかけていてくださる神様の存在に気づきましょう。

 「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来る」(ヤコブ1-17)とあるのですから、心を上に向けて、神に期待しましょう。そして、年末に皆で、「有意義な一年だった!」と救い主イエス様を褒め称えたいものです。


無題 | 13:44:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
夢を実現するために必要なものは?
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ書4章6節)
 
 前日から降り出した雪のために、新年恒例の平塚川沿遺跡公園少年駅伝大会の開催が危ぶまれましたが、子どもたちの熱意が雪もとどめたのでしょう、寒風を突いて熱戦がくりひろげられました。と言っても、礼拝中でしたから、祈りの応援をしただけなのですが。どうなったかなあと帰りを待っていると、応援してくださったご近所の家族に送られて、息子が帰ってきました。9人抜きで、区間賞も受賞したので、そのご家族にお昼を御馳走になったのだそうです。チームは最後のデッドヒートで紙一重の差で、惜しくも準優勝に甘んじたとのことでした。

 あの凍りつくような寒気の中、抜きつ抜かれつのドラマを演じてくれた子どもたちに、明るい未来を感じます。どうして、彼らはあれほど頑張れるのでしょうか。それは仲間がいるからです。1人では絶対に走れません。あの寒さの中、布団に潜り込んでいるのが、せいぜいでしょう。しかし、良き仲間と一緒なら、雪道も恐れずに、超特急で走りぬくことができるのです。

 開催が危ぶまれたのは駅伝だけではありません。夜、吹雪の音を聞きながら、あの人も、あの人も、「礼拝に集えそうもないなあ。」という思いが心をよぎりました。けがをされてもいけないから、「お家で礼拝を捧げていただいた方が・・・。」と思ってしまったのです。ところが、心配した方々から電話はなく、足元の悪い中、皆さんが主への礼拝を尊んで集われました。兄姉たちの筋金入りの信仰に、勇気をいただいた朝でした。

 そして、その朝学んだのが、イスラエルの民の「つぶやき」についてでした。人がつぶやくとき、その人は神への信頼を失っています。「願っても、どうせ無駄だ。」というあきらめから、不平を垂れ流しているのが、つぶやきです。これでは、お先まっくらです。

 それに反し、祈りには信頼があります。神様は必ず「求める者には報いてくださる」(ヘブル11-6)と信じ、不動の気持ちで導きを願うのです。イエス様が38年も病床に伏せっていた男に、「よくなりたいか。」(ヨハネ5-6)とお尋ねになったのは、彼に十分な信仰があるかどうかを確かめるためだったのでしょう。

 私たちは「つぶやき」の敗北者でなく、「祈り」の勝利者として歩んでまいりましょう。イエス様は私たちに、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、」(ヨハネ11-40)と励ましていてくださるのです。


無題 | 16:31:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
収穫の日を信じて、働きに身を入れましょう!
あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5章16節)
 
 昨年末のクリスマスに、ある児童施設にランドセルのプレゼントが届けられたというニュースをきっかけに、善意の輪が拡がっています。閉塞感の漂う時代にあって、誰もが嬉しくなるような、明るい話題です。このような善行がますます波紋を広げ、人々の心底深く眠っている親切心を呼びさまし、住みよい社会にしていくことを期待します。

 これらの一連のプレゼントには人気マンガのヒーローの名前が使われているそうで、そのことが、善行の連鎖を助長しているのでしょう。では、果たして私たちの言動は、私たちを「やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方」(Ⅰペテロ2-9)の評判を高めているでしょうか。私たちが受けた神様の御愛を、周りの人たち、更に見知らぬ人々に分け与えているでしょうか。

 先の日曜の午後、次々に子どもたちが集まってテレビを見て爆笑したり、ゲームをしたりしていました。あきてきた頃に、「君たちはクリスマスに来れなかったから、クリスマスの劇をしようか。」と言ってみました。しぶしぶではありましたが、役を決め、聖書を読みながら、降誕劇をすることができました。イエス様のお誕生が世紀を分けていることなどを知り、けっこう楽しんでくれたのではないでしょうか。

 今年も「歌のプレゼント」や地域集会も再開しましょう。「時が来ると実がなり、」(詩篇1-3)と約束されています。丹精込めた農夫の畑には、確かに立派な作物が育っています。私たちも与えられている奉仕に身を入れ、静かに収穫の日を待ちましょう。

 モーセを通して語られた、「しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」(で14-13)という御言葉は、私たちの信仰の背筋をピンとしてくれます。些細なことに動揺することなく、神の全能の御力に依り頼むのです。この一年、どのような状況に直面することがあっても、イエス様に期待し、忠実な奉仕を続けてまいりましょう。


無題 | 19:46:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
これで自己イメージをアップしましょう!
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(第一ペテロ2章9節)
 
雪で高速道路が普通になってしまったので、年始の熊本訪問は電車で行くことになりました。それでも、乗り継ぎが順調だったので、親族の皆さんにもご挨拶できました。話によると、三人の卒業生たちの就職先も決まり、めでたい年明けとなったそうです。L君も従兄たちと夜遅くまで、はしゃぐことができて、満足したことでしょう。

 三日の午後には義母が通っている施設で「新春歌のプレゼント」をさせていただきました。N姉が「早春賦を久しぶりに歌うので・・・。」と言うと、1人の利用者の方が出て来られ、声を張り上げてデュエットしてくださいました。この機会を用いて、讃美歌による証もでき、私たちの方こそ励まされて教会へ帰ることができました。皆さんのお祈りを感謝します。

 さて、神様は年頭に私たちの自己イメージを高める御言葉をくださいました。私たちに対して、「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(Ⅰペテロ2-9)と御声を掛けてくださったのです。日ごろ、己の足らなさにがっかりすることの多い者たちにとって、これらの呼び名は、ピンとこないほど、格調高いものではないでしょうか。「まさか、私のような者が・・・」と、顔を伏せたくなります。

 しかし、この呼び名を否定してしまうのでなく、この一年をかけて近づこうとする目標にしてみては、どうでしょうか。神様に選ばれた者であるというのなら、少しでも、それにふさわしい生き方を心がけてみるのです。それを続けていけば、やがて、「名は体を表す」者へと変えられていくことでしょう。

 「祭司」と呼びかけていてくださるのですから、へこむことなく、祈り続けましょう。「聖なる」と形容される者にふさわしい言動を心がけようではありませんか。「神の所有」とあるのですから、忠実なしもべとして奉仕の生き方を貫きたいものです。

 ペチャンコにさせられるようなとき、鏡の自分に向かって、この呼び名を何度か繰り返してあげましょう。それこそが、イエス様の励ましの御声なのですから。


無題 | 16:54:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
期待して新年をスタートしましょう!
あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。(詩篇81篇10節)
 
2011年、明けましておめでとうございます。新しいカレンダーを掛けると、期待が膨らみますね。一日一日に可能性がいっぱいです。貴重な毎日に、神様の祝福を、たっぷり詰め込んでいただきましょう。

 そのために、神様は私たちに、「口を大きく開けよ。」と求めておられます。小さな信仰の受け皿には、神様の豊かな恵みは乗り切りません。心を静めて、神様の変わらぬ御愛に信頼し、、きたる恵みを待ちましょう。

 では、神様に向かって「口を大きく開ける。」とは、具体的にどういうことでしょうか。それは第一に、礼拝の姿勢を指しています。イエス様はしばしば、「耳のある者は聞きなさい。」(マタイ11-15)と、人々に聴こうとする気が備わっているかを点検されました。そして、私たちにも気構えある聴き方を求めておられます。

 せっかくお母さんが栄養満点のお料理を用意しても、もし、駄菓子でおなかがいっぱいだったら、子どもは食卓に着こうとはしないでしょう。それと同じように、私たちは心を開いて、神の御言葉の満たしを待つのです。そうして御言葉に養われていくなら「時が来ると実がなり」(詩篇1-3)、「何をしても栄える」と言われるような信仰の人へと成長していきます。

 第二に、「イエス様に、どれだけ期待していますか?」と問われています。クリスマスに聞いた、「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1-37)という御約束を、この年頭にもう一度覚えましょう。期待して祈る者にこそ、神は応えてくださるのです。
 スタートしたこの一年、きっと思いがけない出来事に出っ食わすでしょうし、選択を迷うような場面にも直面することでしょう。そんなとき、礼拝で培われた的確な判断力によって、私たちは難を逃れ、光の照る道を進んで行くことができます。進んで捧げる礼拝を通して、いつもリフレッシュされて、動じない信仰の歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 22:19:36 | トラックバック(0) | コメント(0)