2010-12-05 Sun
このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(第一ペテロ1章21節)
今回、久しぶりに「揺るがない希望」というテーマで地域集会を開くことができました。子どもたちは非現実的とさえ思えるような夢を口にしますが、多くの人は歳と共に、でっかい夢を抱けなくなっていくのが常です。しかし、希望を持ち続けることの大切さは万人の認めるところでしょう。先日、棒高跳びのけがで頸から下、麻痺してしまった濱宮郷詞さんの講演を聴かせていただきましたが、やはり、そのメッセージが一番伝わってきました。医学的には、仕事をしたり、家庭を持ったりすることは不可能なほどの重い障害だったそうですが、希望を失わずに挑戦していくうちに、「ドンドン夢が実現していった。」と話してくれました。
聖書の中で、このことを見事に実証している人物の1人がヨセフです。彼は兄たちの妬みにより、エジプトへ売り飛ばされるという不遇を経験しますが、常に神に望みを持ち続けました。その結果、彼は主人の家の管理を任され、やがては王様にまで認められ、国中の穀物倉を取り仕切るまでに高く上げられたのです。それは、彼が逆境の中にあっても、神に望みをかけて、誠実な仕事を続けたからに他なりません。
私が特に感銘を受けるのは、「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(創世39-3)という記述です。いわば、ヨセフはオーラを発していたということでしょう。そして、そのオーラは、彼が常に礼拝していた神の栄光の反映でした。ですから、人々はヨセフと共におられる神を恐れたのです。
神様を知らず、天国の希望もなく歳をとっていくことは、確かに不安であり、さびしいことだろうと想像します。体力も衰え、人とも疎遠になりがちだからです。しかし、イエス様を信じ、永遠のいのちをいただいた者にとっては、死は通過点であり、むしろ、その後に「もたらされる恵」(Ⅰペテロ1-13)にこそ希望を置くのです。
初出席されたI様に、「すべての人にとって、神様を知ることが生きる目的です。」とお伝えしました。このクリスマス、イエス様を、「私の主。私の神。」(ヨハネ20-28)と告白し、本当のクリスマスを祝う方が起こされますよう、心を込めて主にお仕えさせていただきましょう。