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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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過ぎし一年の恵みを数えてみましょう!
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)
 
 2010年も最終の主日礼拝となりました。そこで、一年を顧みようと、年初の週報を開けてみました。そこには、「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。」(詩篇91篇4節)という御言葉が記されていました。うっかりして、このような約束が与えられていたことを忘れていたのですが、過ぎし一年の間、主が、たゆむことなく私たちを見守っていてくださったことに気づかされ、胸が熱くなりました。

 弱さを抱えた者たちの集いにもかかわらず、教会は「世の光」(ヨハネ8-12)なるイエス様を証し続けてくることができました。春秋の音楽祭での讃美、健康福祉館での6回の歌のプレゼント、ホームページでのメッセージや讃美の発信、いずれも主が祝福して、幾倍にも用いてくださったことと信じます。最近も、「いつもHP読ませていただいています。」とか、「音楽祭で見かけましたよ。」とか、「おばあちゃんがクリスマス会でお世話になりました。」などと、幾人かの方々に声をかけていただきました。教会が地域に浸透しつつあるようで、嬉しくなりました。
 また、皆さんがよく学び、よく祈りました。日曜学校の学びでも、聞きっぱなしでなく、質問に答えてみることによって、知識を信仰の力に育てていただいたのではないでしょうか。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6-12)とあるように、悪は巧妙に私たちを無力化しようと挑んできます。ですから、相当の覚悟で祈らなければ、勝利ある信仰生活は歩めません。

 家族のために熱い祈りを続けてこられた兄姉にも、主が少しづつ明るい部分を見せてくださったのではないでしょうか。シャイなL君が聖書を朗読してくれるようになりましたし、K君の祝福式も皆で祝うことができました。また、Y様が寒風を突いて自転車通勤しておられると聞き、皆が励まされました。これからも、次代を担う若者たちのために応援の祈りを続けてまいりましょう。

 一年間、忠実に清掃や録音、会食のお世話などの隠れたご奉仕を続けてくださった姉妹たち、ありがとうございました。兄姉の祈りとご協力により、教会は働きを続けてくることができました。神様の時は静かに流れ、まもなく私たちは2011年へと踏み入っていきます。主に期待し、希望をもって、来る年へと進んでまいりましょう。


無題 | 16:55:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
感動のクリスマス会でした!
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ伝2章11節)
 
 過ぎし週、高齢者のための健康クラブでクリスマス会を導かせていただきました。あっぱれな出来栄えだったのが、皆さんにも参加していただいた生誕劇でした。聖書朗読、天使の告知場面、ベツレヘムのヨセフとマリヤ、礼拝にやってきた羊飼いたちの場面を、私のナレーションの合間に、見事に演じてくれました。後で質問してみましたが、皆さん、「世界で最初のクリスマス」を、よく理解しておられました。

 次にライトを消し、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」(イザヤ9-2)をイメージするキャンドルサービスをしました。その間に歌われた「いつくしみ深き友なるイエスは」を聴きながら、皆さんしばし、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネ1-9)と記されたイエス・キリスト様について思いを巡らすことができたのではないでしょうか。

 あの世代の皆さんは戦争も体験されたでしょうし、何かとご苦労が多かったことでしょう。しかし今、車の迎えがあり、温泉付きのクラブで楽しいときを過ごすことができる、それは、「天から神様が見守っていてくださったからですよ。たくさん感謝しましょうね。」とお伝えしました。キャンドルが着いているから部屋が明るいように、私たちの心にイエス様をお迎えするなら、決して消えることのない「永遠のいのち」をいただくことができます。死は通過点にすぎないのです。

 今週は、家庭でクリスマスをされるお家がたくさんあることでしょう。そのとき、おはなしを聴いて帰られた皆さんが、お孫さんたちに救い主のお誕生について話してくださるのではないでしょうか。二千年前、羊飼いたちが言い広め始めたクリスマスの感動、それは今もなお、信じる人を生まれ変わらせる、力ある福音です。
 このような良き機会をくださったクラブの皆さん、ありがとうございました。これからも、イエス様の福音を、各地で証してまいりましょう。


無題 | 17:25:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
やみを脱して、光の中へ踏み出しましょう。
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ伝8章12節)
 
 健康福祉館での今年6回目の「歌のプレゼント」をすることができました。新顔のご夫婦連れも幾組かあったようで、皆さんくつろいで音楽をお楽しみくださったようです。「グローリア」の賛美は、さながら羊飼いたち(聴衆)の前に現れた天使たち「私たち」のようだったのではないでしょうか。最後には、会場の皆さんと共に「きよしこの夜」を合唱し、クリスマスの恵みを感謝しました。

 これで三年連続で奉仕させていただきました。「石の上にも三年」ということわざもありますが、よく門戸が開かれ続けてきたものです。早々に、来年二月の奉仕も決まりましたので、祈りつつ、ますます地域にお仕えさせていただきましょう。

 最近のニュースで人気役者が暴行を受け、大けがをしたことが報じられていました。彼は「暴行されているときも、逃げているときも、死ぬかと思った」と、その恐怖を語っていました。北朝鮮の砲撃も恐ろしいですが、すぐ身近にも、命を奪われかねないような罪の世界があるのです。認めたくないかもしれませんが、聖書が伝えている、「善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3-12)という御言葉を、すべての人が心に留める必要があります。

 一見華やかなように見えても、今の時代、聖書が言うように、多くの人々が「やみの中」(イザヤ9-2)を歩んでいます。それは、クリスマスの日は来ても、人々の心にクリスマスが来ないからです。多くの人々が教会に来て、「平和の君」なるイエス様のお誕生を祝うことができたなら、どんなにか神に栄光が帰されることでしょうか。
 聖書は私たちについて、「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。」)エペソ5-8)と教えています。イエス様を心にお迎えしたとき、この奇跡が事実となりました。ですから、このクリスマス、「光の子どもらしく」、まだ闇の中を歩んでいる多くの人たちに、救い主のお生まれを証させていただきましょう。


無題 | 16:31:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
希望を持ち続ける人は○○を見ます!
このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(第一ペテロ1章21節)
 
 今回、久しぶりに「揺るがない希望」というテーマで地域集会を開くことができました。子どもたちは非現実的とさえ思えるような夢を口にしますが、多くの人は歳と共に、でっかい夢を抱けなくなっていくのが常です。しかし、希望を持ち続けることの大切さは万人の認めるところでしょう。先日、棒高跳びのけがで頸から下、麻痺してしまった濱宮郷詞さんの講演を聴かせていただきましたが、やはり、そのメッセージが一番伝わってきました。医学的には、仕事をしたり、家庭を持ったりすることは不可能なほどの重い障害だったそうですが、希望を失わずに挑戦していくうちに、「ドンドン夢が実現していった。」と話してくれました。

 聖書の中で、このことを見事に実証している人物の1人がヨセフです。彼は兄たちの妬みにより、エジプトへ売り飛ばされるという不遇を経験しますが、常に神に望みを持ち続けました。その結果、彼は主人の家の管理を任され、やがては王様にまで認められ、国中の穀物倉を取り仕切るまでに高く上げられたのです。それは、彼が逆境の中にあっても、神に望みをかけて、誠実な仕事を続けたからに他なりません。

 私が特に感銘を受けるのは、「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(創世39-3)という記述です。いわば、ヨセフはオーラを発していたということでしょう。そして、そのオーラは、彼が常に礼拝していた神の栄光の反映でした。ですから、人々はヨセフと共におられる神を恐れたのです。

 神様を知らず、天国の希望もなく歳をとっていくことは、確かに不安であり、さびしいことだろうと想像します。体力も衰え、人とも疎遠になりがちだからです。しかし、イエス様を信じ、永遠のいのちをいただいた者にとっては、死は通過点であり、むしろ、その後に「もたらされる恵」(Ⅰペテロ1-13)にこそ希望を置くのです。

 初出席されたI様に、「すべての人にとって、神様を知ることが生きる目的です。」とお伝えしました。このクリスマス、イエス様を、「私の主。私の神。」(ヨハネ20-28)と告白し、本当のクリスマスを祝う方が起こされますよう、心を込めて主にお仕えさせていただきましょう。


無題 | 19:42:13 | トラックバック(0) | コメント(0)