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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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希望へ向って旅立ちましょう!
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル書2章18節)
 
 先週は創立23周年記念の礼拝、感謝会を持つことができました。開所式に出席された三人の兄姉が、今年も感謝の賛美をしてくれましたし、しばらくお休みしておられた姉妹も、熱いイエス様への信仰を祈りの中に表してくれました。「大雨の中、大型トラックにヒヤヒヤしながら運転して来ました。」と教会に受け入れられている喜びを証してくれた姉妹もありました。「煩雑な日常から離れて、心洗われるときを持てて感謝です。」と話してくださった方もありました。皆で持ち寄った料理はカメラにも、おなかにも、しっかり収まって、大満足のおいしさでした。今度はクリスマスのディナーを楽しみにしましょう。

 当日のお話の一つは「アブラムの旅立ち」でした。彼は75歳になって、住みなれた地を離れ、一族を率いて、神様が備えてくださった約束の地へ出発した信仰の人です。ウルは偶像礼拝がはびこっていた地であったとはいえ、アブラム一族はそこで、何不自由のない生活をしていたはずです。しかし、神様の召しの声を聞き、彼は迷わず従ったのです。彼の従順な信仰については後に、「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11-8)と書かれています。彼は神様が共にいてくださるところにこそ、繁栄と祝福が伴うと信じていたのです。

 今の時代、この町に、アブラムのような人は起こらないのでしょうか。この地の人々に神様は、もう御声を掛けていてくださらないのでしょうか。詩篇の作者は、「主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。」(145-9)と、神の愛が変わりないことを教えています。ですから、神の愛に応えて、信仰の旅立ちをしようとする人たちもいるはずなのです。

 今日、私たちは市民音楽祭のステージに立って、主と共に歩む者の幸を歌おうとしています。それは他の音楽とは一味違うはずです。なぜなら、イエス様を信じて生まれ変わった者たちの、「新しい歌、われらの神への賛美」(詩篇40-3)だからです。私たちの愛する主に、最高の捧げ物をする気持ちで歌ったら、聴かれる方々に、何か大切なメッセージを伝えることができるにちがいありません。

 うまく心のバランスが衡れず、過剰なストレスに苛まれている方々が増えていると聞きます。イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11-28)と、そのような人たちを救おうと招いておられます。主イエス様、どうぞ、私たちの賛美を用いて、聴かれる方々の心に語り掛け、悩める魂を救いに導いてください!


無題 | 20:33:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
神が味方である幸い
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ書8章31節)
 
 今年度は息子が六年生であることもあって、妻が地域の子供会の世話役をさせていただいています。初夏のソフトボール、秋の運動会、相撲大会を終え、親睦会が盛大に行われました。対抗戦では残念ながら入賞を果たせませんでしたが、監督さんたちの熱心なご指導の甲斐あって、子どもたちがたくましく成長できたのではないでしょうか。教会として、地域の子どもたちを迎える機会は少ないのですが、こうして一年間、子どもたちの健やかな成長のために、いささかの奉仕の機会が与えられていることを感謝します。三月まで、まだいくつかの行事が残っていますので、N姉のため、支えをお祈りください。

 さて、今日は教会の創立23周年を感謝する特別集会です。この甘木の地に、「一粒の麦」(ヨハネ12-24)のように、イエス様の福音を語る教会が立てられ、23年もの長きにわたって、働きを続けて来ることができました。しかし、イエス様がエルサレムの人々に向かって、「わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」(マタイ23-37)と嘆かれたごとく、この地の人々もまた、なかなかイエス様の愛の御翼の下へ帰ろうとはしません。イエス様なしでも、全く不自由がないようにさえ見受けます。

 しかし、本当に人々の足元は安定しているのでしょうか。お隣の中国では、過激な日本叩きが起こっています。北朝鮮の不気味さは言うに及ばずです。アメリカの後ろ盾は全く安泰でしょうか。こんなときに、子どもたちはマンガやゲームに貴重な時を費やし、大人は遊興を追い求めていて、いいのでしょうか。神様は今、日本人に向かって、「背信の子らよ。帰れ。」(エレミヤ3-14)と招いておられるのです。

 今回の案内のタイトルに「神が味方である幸い」と書きました。人は「苦しいときの神頼み」をします。しかし、神様とは、どのようなお方であるかを知りません。イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)と宣言され、ご自身を信じることが、まことに神を知ることであることを明らかにされました。
 この創立記念を機に、もう一度、イエス様の証人として立たせていただきましょう。イエス様は、「小さな群れよ。恐れることはありません。」(ルカ12-32)と励まし、私たちと共にあることを約束しておられるのです。


無題 | 17:14:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
穴倉から光へ救出された者たちは、ここにもいます!
私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。(詩篇40章1、2節)
 
 先日、健康福祉館Hで、「秋の爽やか歌のプレゼント」をさせていただきました。直前に、チリの落盤事故で閉じ込められていた鉱夫たちのうちの、最初の1人が救出されたという嬉しいニュースが流れ、皆で喜び合いました。この方々が地下700メートルの穴倉に閉じ込められたことがわかったとき、最初に欲したのは「祈りの場」だったそうです。彼らは閉ざされた、わずかな空間の中でも、神様への礼拝を聖別しようとしたのでしょう。このことを聞いて、「たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」(詩篇139-8)という御言葉が思い出されました。

 チリ国民はもちろんのこと、世界中が彼らのために祈りました。救出用の穴を掘り続けてくださった皆さん、ご苦労様でした。穴倉での生活は二カ月にも及んだのですが、これまでに救出された方々の健康状態は良好と伝えられています。それは、彼らが祈りに支えられ、豊かな愛に包まれていたからにちがいありません。人は祈られ、愛されているとき、相当の困苦をも耐えることができるのです。

 そのような明るいニュースと共に始まったせいか、会場からの反応もよかったような気がします。ご近所の方々も聴かれたようで、おほめの言葉をかけてくださったそうです。また、わざわざお礼に楽屋を訪ねてくださった方もありました。あのように和やかな雰囲気で、地域の皆さんとお近づきになる機会が与えられていることを感謝します。

 ヤコブ書の学びが終局を迎えました。そこには、「真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻す」(5-19)とか、「罪人を迷いの道から引き戻す」といった表現が使われています。死に瀕する人を、総力を結集して救い出す働きが、いかに尊いものであるかは、チリでの救出劇を見れば明らかです。そして、私たちの身近にも、穴倉に閉じ込められたような状態で、救出を待っている人たちがいるにちがいありません。

 彼らを救うために、私たちに何ができるでしょうか。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(Ⅰテモテ1-15)という事実を伝えることができます。この秋、「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11-25)と語られた救い主を、多くの方々に紹介させていただきましょう。


無題 | 17:53:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
危機に面して、一国民として、どうしますか?
危機に面して、一国民として、どうしますか?

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ書3章18節)
 
 イチロー選手が野球の本場アメリカで、10年連続200本安打の偉業を達成しました。並々ならぬ精進の積み重ねの結果でしょう。ところが、その直後、今度はアメリカ人のマートン選手が、イチローが持っていたシーズン最多ヒットの日本記録を破ったということです。いったい、どういう人かなあと思っていると、彼はクリスチャンであって、「All for God's glory!(すべては神の栄光のために)」をモットーにしている選手だと聞き、嬉しくなりました。試合中でも多くのファンの応援を受けてはいますが、彼が最も意識しているのは、彼を見守っていてくださる「神様の目」だそうです。神様に最高のパフォーマンスを見ていただくことこそ、この上もない彼の喜びなのでしょう。
 そうした、マートン選手の証を載せたトラクトが完成したそうです。サッカーの名選手たちの中にも、同じようなスピリットをもってプレーしている選手たちがいることを聞いています。「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(Ⅰコリント10-31)という御言葉の実践ですから、すばらしいではありませんか。きっと大きな反響があり、日本の若者たちの中にも、イエス様を知りたいと思う人たちが起こされていくにちがいありません。

 こうしたアスリートたちの明るい話題とは逆に、にわかに雲雪の怪しくなるような事件も起こりました。戦後65年、日本は平和と繁栄を享受してきたために、私たちは平和であることを当たり前と思うようになっていたようです。そんな中での、昨今の隣国の言動には、多くの国民が少なからず脅威を感じたのではないでしょうか。北方領土、尖閣列島、竹島のいずれも、隣国が領土権を主張しており、難しい政治の舵取りが求められています。
 今学んでいるヤコブ書には、「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」(4-10)とあります。私たちの務めは静まって、国を導く人たちのために祈ることです。誰でも脅威を感じれば身がまえます。日本でも、そうした議論が高まる可能性があります。そうしたときに、私たちクリスチャンには、国のリーダーたちが愚かな道を進むことのないよう、祈る責任があります。この秋、身近なことから、世界の平和に至るまで、ますます祈りを熱くしてまいりましょう。


無題 | 20:33:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
万事が益となりました!
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ書4章25節)
 
 雨に降られることの多かった小学校の運動会でしたが、今年は快晴に恵まれました。遠く人吉からお年寄りがたが観にきてくださるというので心配しましたが、この機会に故F様のために記念会をさせていただこうという思いに導かれました。11年前、私たちが着任した際、F様は、いの一番にお手伝いに駆けつけてくださったし、新会堂の工事中にも、心遣いをくださいました。そのご好意に、主は豊かに報いてくださると信じています。

 私たちが持っている天国での再会の希望についても語らせていただきました。ご遺族は故人に向かって語りかけることが多いようですが、この記念会が、信仰の眼をイエス様に向ける、きっかけとなってくれれば幸いです。イエス様は、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12-24)と語られました。愛する者を突然失ったご一家の悲しみは深いですが、後に、どのような「豊かな実」を結ぶか、主に期待しつつ、証を続けてまいりましょう。

 F様たちは、お互いを大切にし合っていた家族でした。それであっても、いざ別離となると、「ああすれば、よかったのでは?」とか、「なぜ、こうしなかったのだろう!」と、悔やまれることが多いのではと想像します。私自身も、かつて、そのような思いに捕らわれたことがあります。しかし、私たちが自らを責めて苦しみ続けることは、神の御旨ではありません。私たちは、私たちの罪を負って十字架に架かってくださった救い主を仰ぐべきなのです。そして、イエス様の、「わたしもあなたを罪に定めない。」(ヨハネ8-11)という、赦しの御言葉を聴いてほしいのです。

 運動会では、L君が弁当を食べる間もないほど、走ったり、踊ったり、応援旗を振り回したり、騎馬戦で戦ったりして、観に来てくれた皆さんを楽しませてくれました。お年寄りがたも時の過ぎるのを忘れたようです。どうしたものか心配しましたが、神様が万事を導き、祝福してくださいました。こうして、私たちはいつも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道3-11)と、神を褒め称えることができるのです。


無題 | 20:24:52 | トラックバック(0) | コメント(0)