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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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今の時代を、どう生きたらよいのでしょうか?
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。(第二テモテ4章8節)
 
 先日、健康福祉館Hで、恒例の「爽やか歌のプレゼント」をさせていただきました。温泉でプチ避暑という方々もあったのでしょう、久しぶりに聴衆が多いように感じました。ちょうど一時間で終わり、ホッとして、皆でお茶を飲んでいるところへ、おなじみのファンのご婦人が入って来られ、「おしゃべりで、いい歌を邪魔する者がいたから、注意しましたよ」といささか興奮気味。「あんたたちの歌が一番いい」と館長にも話しているとのこと、主がこの奉仕を祝福しておられるのを感じました。「何か飲んでちょうだい」と言って、おひねりまでくださり、十月の再会を約して、お別れしました。

 終戦記念日の直後でもあったので、皆さんで「平和を祈りながら」と言って、「長崎の鐘」を歌わせていただきました。昨今耳にするニュースによれば、パキスタンでの洪水の被災者は1,700万人にも達しているとのこと、地震にしろ、水害にしろ、旱魃にしろ、自然災害が想像を絶する規模に巨大化しているのを感じます。人類は、こうした事態に英知を結集すべきであって、人同士が傷つけ合うような愚を、二度と繰り返してはならないのです。

 ヤコブは、「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(3-18)と伝えています。今、かろうじて平和が保たれているこのときに、私たちは真の平和を定着させる働きを加速しようではありませんか。かといって、浮足立ったことを考えるのではなく、キリスト者としての務めを黙々と続けてまいりましょう。私たちの念願する平和は、神のあわれみに依り頼むところにこそ達成されるものだからです。

 このところ何回かにわたって、私たちは「世の終わり」についての学びをさせていただきました。すべての人は、やがてイエス様の裁きの座に立つことになるのです。私たちは、そのことを、いつも念頭において生かせていただきましょう。皆が、イエス様から、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(マタイ25-21)と、お褒めの言葉を掛けていただけるような歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 13:45:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
天国の前味のような二日間でした!
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133篇1節)
 4年に一度開かれるJBBF夏季聖会に、今回は参加することができました。当日の朝のニュースにびっくり、台風の影響で新幹線ストップ。頭の中でグルグルと方策を巡らせているうちに、運転再開とのこと、安堵しました。後はきわめて順調、さすが準備万端、なつかしい兄姉たちとの再会、感動的な信仰の証、豊かな音楽の捧げ物、心に沁みるメッセージ、天国の前味の二日間でした。

 予め聖歌隊の募集がありましたので申し込んだのですが、久しぶりの大曲、ようやくバスのパートがなじんだ程度で、本番の練習に合流、譜面の修正あり、音の取りにくいところあり、四苦八苦しましたが、いよいよ入場、会場からは参加者700名の賛美が、向こうの山から聞こえてくる蝉の大合唱のように迫って来、「これはすごい!」と、また緊張!私としては、まだ身に着ききれなかった部分もありましたが、賛美に込められた信仰の証を一言一言かみしめて歌うことができました。宣教スピリットがリフレッシュされるような経験でした。

 病床のお父様を抱えながらも、最後まで参加を祈り続けたT姉に、主は慰めと励ましのときをくださいました。語られた御言葉によって、「鷲のように翼をかって「(イザヤ40-31)、信仰の大空を飛翔したいとの願いが与えられたそうです。私たちも皆、自分の非力さの中でバタバタするのでなく、聖霊の気流に乗って、悠々と大空を舞い賭けるような信仰生活をしてみたいものです。

 帰ってきて、行けなかった皆さんに恵みを分かとうとすると、I兄姉から、「インターネット放送で聴きましたよ。」とのこと、これまた驚きでした。参加者が味わった臨場感には及ばないものの、居ながらにして、集会の実況を楽しんでおられたとは、いやはや脱帽でした。願いつつも参加の叶わなかった方々のために、そこまで行き届いた配慮をしてくださった先生がた、緻密で、思いやりにあふれたおもてなしをくださった愛兄姉、本当にありがとうございました。

 帰りの新幹線の中で小六の息子に、「聖会が君の 故郷だと思って、どんなときでも参加したらいいよ。」と話しました。若者たちが生涯の祈りの友に出会う場だからです。また、大勢の信仰の先輩あり、先生がたありです。そして、何よりも、主イエス様に栄光が帰される場です。また、4年後を楽しみに、散らされた地で、イエス様の証人として生かしていただきましょう。


無題 | 20:44:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
心の変化は、行いの変化として表れてくる!
あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、(ヤコブ書2章22節)
 
 私たちが野球の応援を終えて、大阪から福岡へ飛び立とうとしているとき、携帯が鳴り、庭に止めていた車の窓ガラスが割れているとの連絡がありました。何事かと一瞬緊張しましたが、神様の守りに委ねて帰途に着きました。結局、事の次第は、空き地の草刈りをしている最中に石をはじいて、それが当たって割れたのかもしれないということでした。私が感心したのは、その作業をした方の潔さです。草刈りの場から車はかなり離れていたにもかかわらず、「石が飛んだのでしょう。私が弁償します。」とおっしゃり、修理の手配、台車の用意、おわびの品、息子に小遣いまでくれて、実にすがすがしい態度なのです。聞くところによると、長年、消防団長を務めた方だそうで、子どもたちの安全登校、町の美化運動などでも活躍しておられるとのことです。その徹底した謙遜な姿勢に、先ごろ学んだ「良きサマリヤ人」の話を思い出しました。

 日ごろ、人の道を説いている教師たちは、通りがかったけが人を見て、見ぬふりをして通り過ぎて行ったのですが、差別されていた民族の人が深い同情心から、行き届いたお世話をしてあげたという、イエス様のたとえ話です。留守中のことでしたので、ご近所の皆さんにもお世話になりました。何のために起こったのかわからないような出来事でしたが、暖かい思いやりの波動があったので、あれもまた必要な出来事だったのでしょう。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(ヤコブ2-8)という御言葉を、地域において実践していく責任を感じさせられました。

 折も折、私たちはちょうど、「信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2-17)という、御言葉を学んでいるところでした。神様が人を「正しい者」として認めてくださるのは、イエス様を信じる進行によるものであることは確かです。善行や努力によって、神の救いを買い取ることはできません。ただ、罪を悔いて、救い主を仰ぐ信仰によってのみ、人は罪を赦され、神の子どもとされるのです。この真理は、聖書のいたるところで明らかです。

 しかし、その信仰が行動の変化を起こしてこなければ、その救いについて、(?)してみる必要があります。イエス様を信じて救われた人が、イエス様に礼拝を捧げ、聖書を読もうとし、片言でも祈ろうとするのは自然な成長のプロセスだからです。その人の魂は神に属するようになったのですから、クリスチャンとしての行動を慕い求めるようになるはずです。

 私たちの周りにはイエス様の愛を必要としている方々が多くあります。その人のため祈るところから始めましょう。そうしているうちに、声をかけたり、話を聴いてあげたり、慰めてあげたり、ついには、イエス様をご紹介するチャンスまでが与えられていきます。イエス様の心に満たされて、良い行いを習慣とさせていただき、神様をお喜ばせする生活をしてまいりましょう。


無題 | 17:31:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
あきらめずに、良い種(?)を蒔きましょう。
そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ伝6章6節)
 
 私たちは市民農園の一区画を借りて、もっぱら生ごみの処理場として用いています。連日の猛暑や、各地の大水害などを経験しますと、せめて、ごみの減量化くらいには協力しようと思わされます。そんな畑に、きゅうりの苗を一本、オクラの種を数粒蒔きました。最近、ごみを埋けに行ってみると、巨大化したきゅうりとオクラが数本づつ、おまけに、ごみの中からカボチャが目を出し、身をつけているではありませんか。たとえ不格好なキュウリやオクラでも、「これは我が家の畑に生ったのだ。」と思うと、この夏を乗り切る力をもらえるようで、いとしさがこみ上げてきました。

 今の時代も、雑草の生い茂った畑のようで、神の御言葉が根を張る余地などないように見えます。それであきらめてしまえば、世は悪に満ち、争いだらけの世界になってしまいます。しかし、畑の実りが教えてくれたように、良い種を蒔き、良い苗を植え続けるなら、必ずや、イエス様の救いに心を向ける人たちが起こされ、真の平和の礎が築かれていくことと信じます。

 そのためには、ヤコブが強調したように、「私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」(2-18)と言えるほどに、私たちの生活を通して、イエス様が証しされていく必要があるのかもしれません。行いの伴った信仰とは、それほど大変なことでしょうか。それどころか、聖霊に逆らった行いをしていくことの方が、骨が折れるのではないでしょうか。イエス様の心をいただいた者にとって、聖書に親しみ、賛美歌を歌い、祈りの輪に加わる生活は自然なのではないでしょうか。

 来週はJBBF全国聖会が浜松で開かれ、教会からも4名が参加します。遠いことと、帰省ラッシュ時であることから、皆さんを強くお誘いしませんでした。なぜなら、主は私たちを用いて、教会を建て上げようとしておられるのであり、遣わされた地域で主にお仕えしていくことこそ、私たちの召された目的だからです。

 イエス様は、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18-20)と語られ、地方の小さな信仰の群と共にあることを約束しておられます。主がお遣わしくださったこの地で、誠実に主イエス様を証してまいりましょう。


無題 | 14:40:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
夢は実現し、祈りは叶えられます!
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。(第一コリント10章31節)
 
 我が町の甘木ゴールデンフェニックスは世界遺産の地、高野山で行われた第15回学童球大会の開会式で、地元高校生たちのブラスバンド演奏に乗って堂々の行進をしました。一年生の一学期から、チームに入れていただいた息子が、六年生になって、あのような大舞台に立つようになろうとは、思いも及ばぬ快挙でした。第一戦でいきなり三塁打を放ち、先取点を叩き出したときには、恥ずかしながら、指から血が出るほど、タンバリンを打ち鳴らしてしまいました。主の御力により、守られて紅海を渡ったとき、モーセの姉ミリヤムが「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」(出エジ15-21)と、タンバリンを手に、踊りながら主を褒め称えた、あの場面が思い出されました。

 こうして、念願だった初戦突破をコールド勝ちで果たしたのですが、翌朝行われた第二戦では、まだ目が覚めないうちにゲームセットとなってしまい、勝ち進むことはできませんでした。福岡県代表として大勢の皆さんの応援で送り出していただきましたが、10勝にも値する試合内容で初戦を飾った選手たちは、またひと回り成長した姿で帰ってきました。息子はいつも、「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1-9)を読んで試合に出かけますが、ますます、主の栄光を現わす者として成長していってほしいと願っています。

 イエス様は、「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。」(ヨハネ15-8)と勧めておられますから、今回、私は子どもたちの活躍ぶりをビデオ撮影してくださる奉仕者を求めてみました。そして、主は約束どおり三名の親切な方々を備えていてくださいました。はつらつとした入場行進から、宿でくつろぐ子どもたち、目標の大会で白球を追う選手たち、懸命に声援を送る保護者たち、惜敗後、反省会で更なる飛躍を誓い合うチームを、彼らのおじいちゃんのような優しい目が追い続けてくれました。完成したDVDは子どもたちにとって、一生の宝となることでしょう。

 私たちは余念なくボールを追っていた、あの少年たちに教えられるところが多くあります。少し歳はとっていますが、あの少年たちのような純粋さで、イエス様にお仕えさせていただきましょう。なかなか勝利とはいかなくても、粘り強く祈り続けるのです。イエス様は、「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16-33)と、いつも私たちを励ましていてくださるからです。


無題 | 14:34:47 | トラックバック(0) | コメント(0)