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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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偏見と差別の壁を砕くもの
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ伝23章34節)
 
 いよいよ今週末、息子のチームが高野山旗軟式学童野球選手権大会のグラウンドに立とうとしています。親として何かしてあげれることはないかと思っているとき、ビデオ撮りのことが頭に浮かびました。活躍の記録が残っていたら、さぞかし将来、励ましになるのではないかと考えたからです。かといって、自分ではできないことなので、現地のボランティアを求めてみました。すると、私の願いどおりの奉仕をしてくださる方々が備えられていたのです。イエス様が、「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7-7)と語られた御言葉のとおりでした。あとは、選手たち自身が、渾身のプレーの数々を見せてくれることを期待しています。

 さて、私たちは、ヤコブ書において、えこひいきや偏見、差別が罪であることを学びました。先に記したように、進んで無私の奉仕を続けている方々も大勢おられるのですが、陰湿な偏見や差別の実態に愕然とさせられることも、残念ながら、あるものです。そして、多くの場合、それらは伝統として保護される立場に置かれ、廃絶すべき罪であると見なされることは少ないです。しかし、ヤコブは、「人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、(2-9)と、その有罪性を示しています。

 イエス様は当時の宗教者たちの極端な偏見に基づく差別を、「忌わしいものだ。」(マタイ23-13)と強く糾弾されました。確かにイエス様は間違った偏見や差別に怒られたのです。そして、人の中に巣食うこれらの醜悪な罪の故に、苦悩されたにちがいありません。そして、これらの根深い罪をも身に負い、十字架に架かってくださったのです。

 若者たちの間に、友達と同じ物を持ち、同じ物を着、同じ趣味に、たむろしようとする傾向があると聞きました。これもまた、差別されることを恐れる回避行動なのかもしれません。しかし、私たちは、たとえ少数派であっても、主イエス様を礼拝し続けます。この方にこそ「永遠のいのち」(マルコ10-30)があることを知っているからです。

 私たちはまた、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1-7)という御言葉に希望を置いています。イエス様の十字架こそが、偏見と差別の呪縛から、すべての人々を解放してくださると信じているからです。


無題 | 13:26:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
役に立つ者へと生まれ変わる!
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。』(マタイ伝25章21節)
 
 先日、息子たちのチームが北九州の球場で県大会の試合をするということで出かけました。ところが、雨模様の中、低学年の試合も重なり、応援に行ける人が、ほとんどありませんでした。心配になり、なんとか行ってやろうと思ったのですが、結局、間に合う時間を過ぎてしまい、意を決して、教会で祈ることにしました。その場に出向いて応援できるときには、そうすればよいし、できなくても、祈りを身につけたクリスチャンは、離れていても、力強い応援をすることができます。結局、息子は第10号ホームランを含む4打点の活躍で、チームはコールド勝ちでした。

 私たちには、あのこと、このこと、あの人、この人、心配事がたくさんあります。でも、実際には、何の力にもなってやれないと思えて、無力さを感じがちです。そんなとき、イエス様が、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15-7と約束してくださったことを思い起こしましょう。私たちにはいつも、イエス様の聖きお名前をお借りして、全能の父に祈ることが許されています。

 このところ施設で七夕祭をするところが多く、歌の奉仕に招かれる機会がありました。かつての私たちには考えられないことです。ちょうど、オネシモが、「前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。」(ピレモン11)と評されたようなものです。「笹の葉さらさら」の七夕の歌ではなく、施設の皆さんを、真の神様が見守ってくださるように、祈りを込めて、いくつかの歌のプレゼントをさせていただきました。

 ヤコブは、「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、」(1-27)と教えました。イエス様も、「あなたは、わずかな物に忠実だったから、」(マタイ25-21)と語り、小さな奉仕に身を入れることを勧めています。イエス様の福音宣教に役立とうとする奉仕に、大小の差はありません。主はそれらすべてを喜んでくださり、育倍にも増して、ご栄光を現わしてくださるのです。

 主人のもとを逃げ出したオネシモは、忠実な福音の宣教者パウロのもとへ導かれ、神と人に役立つ者へと生まれ変わりました。イエス様の福音には、いつの時代でも人を救う力があります。いろいろな機会に、この救い主を証してまいりましょう。


無題 | 19:46:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
罪の誘惑に勝つカギは?
邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ書6章13節)
 
 今朝は2010年下半期最初の礼拝です。前半の守りと祝福を感謝し、秋の創立記念、市民音楽祭、クリスマスへ向かう後半の歩みを踏み出してまいりましょう。パウロは教会の歩みを「格闘」(エペソ6-12)に例えました。格闘であるならば、敵がいるはずです。力士には土俵上で取り組む相手がいます。しかし、それ以上に手ごわい敵が土俵の外にいました。それは賭博という悪の誘惑でした。多くの力士や親方までが、この悪の誘惑に負けてしまい、場所の開催が危ぶまれるほどの不祥事へ発展しています。

 ヤコブは、「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」(1-14)と、人が魔の手に陥る過程を表現しています。また、「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(14)とも警告しています。賭博で中心的な役割を果たしたらしき親方が、「元来、賭け事が好きなので、ついつい掛金が多くなり、自分の馬鹿さ加減にあきれています。」といったような後悔の念を述べていましたが、誰でも悪と知りつつ、その誘惑を断りきれない弱さを持っているものです。

 では、私たちは、どのように武装して、この罪との闘いに備えるべきでしょうか。まず、罪と悪に完全に勝利されたイエス様に信頼しましょう。イエス様が約束された、「わたしはすでに世に勝ったのです。」」(ヨハネ16-33)という御言葉こそ、私たちの頼みの綱です。この救い主が共にいてくださるかぎり、悪の誘惑は私たちに近づくことはできません。

 あの盲人たちが声のかぎりにイエス様の名を呼び、「私たちをあわれんでください。」(マタイ9-27)と大声で叫んだように、私たちもイエス様のご介入を求め続けましょう。彼らの全き信仰に動かされた主は彼らに、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」(29)と告げ、即座に願いを叶えてくださったではありませんか。

 来週は参院選挙の投票日です。クリスチャンは、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」マタイ伝6-10)との祈りを込めて、責任ある投票をしましょう。この国にもかつて、キリスタン禁令があったことを忘れてはなりません。神の目に適った政体が立てられ、自由に主イエス様の御名を崇めることができるよう、祈りつつ一票を投じようではありませんか。


無題 | 15:00:28 | トラックバック(0) | コメント(0)