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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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良い性格に変わるには?
御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ書5章16節)
 先週は「心を癒す賛美歌の集い」と題する礼拝をお捧げしました。いつも、こうした機会を楽しみにしていてくださるk様が集ってくれましたし、前日の試合で敗退したL君も参加でき、詩篇を朗読してくれました。
 
J姉がフィリピンで救われた頃の愛唱歌を独唱してくれましたし、コカリナ演奏に挑戦中のI姉は、涼やかな音色を響かせてくれました。テナーを欠いたものの、ジョイフルクワイヤも五曲を歌い上げ、信仰生活の喜びを証しました。
 
ティータイムもお手製のケーキ、ゼリー、フルーツポンチ、おまんじゅうと出そろい、のど越しも良く、おなかも満ち足りました。また、フィリピンの話やご主人がたの山登りの話が一段落した頃、頼父君の幼なじみのKちゃんが何年かぶりに会いに来てくれ、バレーに打ち込んでいる話を聞かせてくれました。試合に負けていなければ、またすれちがいだったので、会えてよかったのではないでしょうか。

 また、学びはガラテヤ書の「聖霊の結ぶ実」の続きで、「親切、善意、誠実、柔和、自制」についてでした。どれもこれも、人として身につけたい美質です。そして、これらの特質は訓練や修行を通して、ある程度習得することができるように見えます。しかし、パウロの見解によれば、これらの徳目はイエス様を信じ、罪から救い出された者の中に実る、御霊の実だと言うのです。

 イエス様も、「ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。」(マタイ7-16)と語られました。やはり、聖さや正しさ、優しさや強さを表すためには、本質がそのような美質に造りかえられるのが早道であり、確実です。イエス様を信じ、イエス様について学び、イエス様の御名によって祈り、イエス様を賛美しているうちに、私たちもイエス様に似る性質へと、次第に変えられていくにちがいありません。

 隣りの席の同級生を刃物で傷つけたり、善良な市民に向かって車を発進したりと、自分の感情や欲望にブレーキをかけられない人たちが増えています。このまま自制力を欠いた社会を暴走させるわけにはいきません。私たちはイエス様を信じ、自制の賜物をいただく人たちが増えるよう祈り、働きましょう。心の中心にイエス様の愛や親切や柔和があれば、ねたみや恨みの悪感情に支配されてしまうようなことはないからです。


無題 | 16:31:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
力強く生きるには、この「ガイド」が必要です。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩篇23篇3節)
 
 今、私たちは、「御霊によって歩みなさい。」(ガラテヤ5-16)ということについて学んでいます。早朝の澄んだ気を摂り込みながら、大股で、さっさと歩くのは健康ウォーキングです。では、「御霊によって歩く」とは、何をさしているのでしょうか。それは単なる健康法ではなく、イエス様を信じる者の生き方そのものです。

 日本の国技である相撲界に暴行、大麻、とばくなどの不祥事が相次いでいます。事件が起こる度に、「膿を出す」という言葉が聞こえてきます。本当に人はそう簡単に悪い性質を絞り出して、悪の誘惑を断ち切ることができるのでしょうか。

 イエス様は、「人は、新しく生まれなければ」(ヨハネ3-3)と言われました。口先だけの反省ではなく、人は神に対する不敬の罪を悔い改め、イエス・キリストを主とする生き方を始めなければなりません。このようにして生まれ変わったクリスチャンだけが、聖霊によるナビゲーション「道案内)をいただくことができるのです。

 では、聖霊のガイドを受けている人の特徴は、どのようなものでしょうか。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)の九つの実が実るというのです。良いブドウの樹に、滋養に富んだ実がなるように、イエス様の御霊を宿すクリスチャンたちには、これほど豊かな美質が実ると約束されています。

 愛には思いやり、気遣い、自己犠牲が伴っています。喜びは逆境にあっても萎むことがありません。平安は信仰に基づく落ち着きと言えるでしょう。寛容は罪赦された故に、他者をも赦すことです。残りの五つの実については、めいめいに考えてみてください。

 巧妙な悪の誘惑が満ちている時代です。私たちの浅知恵だけでは危険です。しかし、聖霊様が私たちと共にいて、正しい道へとガイドしてくださるとは、なんと心丈夫なことでしょうか。悪の誘いをきっぱりと退け、イエス様の御傍近く歩んでまいりましょう。


無題 | 11:08:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
少年野球チームの「夢の実現」から学ぶこと
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ伝19章26節)
 
 先日、健康福祉館Hで、「初夏の爽やか歌のプレゼント」をさせていただきました。季節の歌や賛美歌のコーラス、フルートの演奏など、多彩なプログラムで、湯上りの皆さんに、音楽とトークの涼風をお届けできたような気がします。イエス様は、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5-16)と語られましたが、イエス様の救いをいただいた者たちの平安や喜びが証されたのではないでしょうか。常連の方が終演後に来られ、残念がっていました。今度は八月の予定ですから、そのときを楽しみにしていただきましょう。

 そこでもまた、少年野球チーム「ゴールデンフェニックス」の全国大会行きの話をさせていただきました。彼らの快挙は一つの夢から始まったからです。二年前、彼らは当たり前のように、「二年後は全国大会に行こうな。」と話していました。つまり、そのことを疑わずに信じていたのです。そして、その夢は寸分たがわず実現したのです。

 今学んでいるヤコブ書には、「少しも疑わずに、信じて願いなさい。」(1-6)とあります。でも、どうでしょうか。このことは、そう簡単に実践できることでしょうか。私たちは口で祈ってはいても、心のどこかで疑ったり、あきらめたりしがちな者です。人生において、幾度か失敗や挫折を経験すると、次第に期待することができなくなっていくのかもしれません。

 それに引き換え、あの少年たちは少しも疑わずに、素直に信じていたのです。だからこそ、あんなに夢中で練習できたのでしょう。「負うた子に教えられ」といったところです。これからも、すばらしい夢に向かって、汗をかくことを惜しまない子どもたちに育っていってほしいと思います。

 確かに、祈っておきながら疑ったり、あきらめたりしたのでは神様に失礼です。天使がマリアに告げた、「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1-37)という御約束に堅く立ちましょう。そして、主がしてくださった恵みを数え上げ、感謝をいっぱい捧げる教会でありましょう。


無題 | 15:43:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
強い味方に頼りましょう。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ書1章5節)
 
 先ごろ、県大会で優勝し、和歌山県で行われる全国大会に駒を進めたAゴールデンフェニックスは市長訪問をしたり、新聞に載ったりと、町に喜ばしい話題を提供してくれています。しかし、遠征費用の捻出や、監督・コーチ・保護者が休暇を取って同行できるかなど、嬉しい悲鳴も聞こえてきています。その他にも全国に通じている大会がいくつかあり、その予選も勝ち進んでいますし、選手たちは全部の全国大会に行くつもりでいるのですから、この夏は、いったいどういうことになりますやら、これもまた、神様にお委ねするほかありません。

 L君も毎日聖書を読み、お祈りをしながら、練習に励んでいます。1歳半で知り合いもいない甘木にきて、彼の養育環境のことを心配しましたが、神様はこの野球チームを備えてくださり、仲間を与えられ、県を代表する一員にまで加えてくださいました。あとはケガをせず、夢を実現できるよう、主の見守りを祈るのみです。

 今、学びを始めたヤコブ書には、「知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。」(1-5)とあります。私たちはまさに欠けの多い者です。社会的な影響力も、人を引き付ける魅力も、人を和ます包容力も、何もかも欠けています。でも私たちには上に希望があります。私たちは自分の乏しさを見て、メソメソ嘆いている必要はありません。それらすべてを豊かにお持ちの神様に願えばよいのです。

 どんなピンチを経験しても、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)と祈ることを知っている人は、「天からの知恵」を授かっています。その人は必ず、「脱出の道」(Ⅰコリント10-13)を見出します。そのような人は、自分の置かれている状況を冷静に分析し、数ある迷路の中から、「いのちに至る門」(マタイ7-14)を選び取ることができるのです。

 今回、日本のリーダーも交代することになったそうです。挑戦半島情勢や宮崎の口蹄疫の問題など、どなたが政治の舵取りをしても、容易でない問題が山積しています。天の知恵を求めることのできる私たちこそ、南極と闘っておられる方々のために、とりなしの祈りをさせていただきましょう。神様は「きっと与えられます。」と約束し、私たちが祈り求めることを待っていてくださるのです。


無題 | 19:44:31 | トラックバック(0) | コメント(0)