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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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あのことも、このことも、みな感謝します!

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

 私たちの信仰の歩みも、今年最後の主の日の礼拝を迎えました。顧みますと、主は常に私たちを、「緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに」(詩篇23-2)伴ってくださいました。たゆみなく与えられたみことばのふるまいによって、しぼみかけることもあった「たましいを生き返らせ(23-3)られて、ここまで歩んで来れたのです。感謝にあふれて、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(106-1)と叫ばずにはおられません。

 ストレスの多い時代ですから、心に傷を受けた方々も、多く教会を訪ねてくださいました。私たちは、そうした方々にイエス様をご紹介し、親身になって、主の導きを祈らせていただきました。イエス様への信仰を告白された方々もありました。たとえ、今集えていなくても、その方々が主イエス様を忘れることはないと信じます。

 また、教会が外に出て行って、歌の奉仕をさせていただく機会も多く与えられました。いろいろな施設をお訪ねしてみると、実際、教会にお招きするには困難な方々が多くおられます。しかし、私たちが出向きさえすれば、聴く耳のある方々が多いのです。どこにおいても、フィナーレに、「また会う日まで」(讃美歌405番)を歌いましたが、私はその度に、祝祷をするような思いで歌わせていただいています。

 最近の若者たちは休日を家で過ごすことが多いと聞きました。休みにまで外に出かけるだけのエネルギーが残っていないのでしょう。そうした人たちのために、教会ではメッセージや聖歌隊の賛美をホームページで発信してきました。「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ10-14)と問われていますから、あらゆる方法で、イエス様の救いのメッセージをお届けしたいのです。

 イエス様は世の終わりの兆候について、「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24-12)と語られました。これはイエス様を締め出したところに起こる悲惨な状態を表しています。しかし、神は、「私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して」(コロサイ1-13)くださったのです。私たちは今、「神の中に生き、動き、また存在して」(使徒17-28)います。

 まもなく、私たちは2010年に踏み入ろうとしています。イエス様は私たちに、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」(マタイ5-16)と命じておられます。この地で更に、キリストの弟子として、神の愛を証し続けてまいりましょう。



無題 | 16:49:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
聞こえますか?あなたの心をノックする音が!

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ書2章6、7節)

 私たちはいくつかの施設でクリスマスキャロルを歌いながら、アドベント(待降節)を過ごしてきましたが、とうとうクリスマス礼拝の朝を迎えました。私たちが主と仰ぐ、救い主イエス様のお誕生日です。私たちの痛みを負い、悲しみを担うために、神の御子が人となって、汚れた家畜小屋にお生まれくださったのです。そこは悪臭のする場だったことでしょう。しかし、飼い葉おけに寝かされたイエス様をお迎えした故に、聖なる礼拝堂となりました。

 私たちの心も、醜い罪の渦巻く場でしたが、あるとき、イエス様がお訪ねくださいました。イエス様は、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、」(黙示3-20)と、私たちの側で戸を開けるのを待っていてくださったのです。そして、こわごわ、「イエス様、私の救い主になってください!」と告白したとき、何が起こったでしょうか。「恐れは代わりて祈りとなり、嘆きは代わりて歌となりぬ。」(聖歌498)とあるように、私たちの心は喜びの泉の湧くところとなったのです。それが私の最初のクリスマスでした。

 イザヤは来るべき救い主を「ワンダフルカウンセラー」と預言しました。今の時代、さまざまなカウンセラー、コンサルタント、占い師が、道案内を買って出ています。しかし、私たちは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14-6)と語られたイエス様だけが、まちがいのない道案内であると信じています。なぜならば、イエス様はこの世の知恵者ではなく、「力ある神」(イザヤ9-6)だからです。

 私たちはこの町の人々に、「希望へのクリスマス」の案内をお届けして回りました。飼い葉おけに寝ておられた赤ちゃんイエス様を最初に礼拝した羊飼いたちが、「この幼子について告げられたことを知らせた。」(ルカ2-17)ように、私たちも、「このイエス様こそ救い主です!」と、希望のニュースを発信させていただいたのです。この小さな奉仕を用いて、イエス様は今も人々の心の戸をノックしておられます。

 この地で、サンタクロースと華やかなイルミネーションのクリスマスは年ごとに盛んになっていきますが、主人公のイエス様は締め出されています。しかし、神はその無礼をなお忍び、教会を用いて、救いのメッセージを語り続けておられます。この恵みのときに冷えた心に救い主をお迎えする方が起こされますよう祈りましょう。



無題 | 19:04:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
ここに、「人生の錨」を下ろしませんか?

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。(ルカ伝1章78、79節)

 先日、卑弥呼の湯で、今年最後の歌のプレゼントをさせていただきました。ちょうど会が始まる前に、来場の高齢者の皆さんに、交通安全と振り込め詐欺防止の指導がされていました。「ああ、本当に安心できない時代だなあ。」と思わされました。なかなか、多くの方々に、私たちがいただいている平安について聴いていただく機会がありませんが、二か月に一度のコンサートを通して、多くの人たちと親しみを感じ合えることは、実に嬉しいことです。

 帰りがけに、常連のお二人が声をかけてくれました。いつも楽しみに聴きにきてくださるとのことです。毎回、最前列に陣取って、特に、讃美歌をなつかしく聴いておられます。「神様が守っていてくださることがわかって、安心できるんです。」といったような感想を語っておられました。私たちも、皆さんに神様の恵みをお伝えできた喜びいっぱいで、帰途に着きました。

 今度は教会のクリスマスです。今、案内に回っていますが、たまに、「関係ないです。」とピシャッと断る方がおられます。完全な拒否反応です。それもまた仕方のないことですが、何か誤解を解くチャンスがあればいいと思わされます。一年間、続けてきた、あちこちでの歌の奉仕が、そうした厚い「隔ての壁」(エペソ2-14)を崩してくれるのではとの期待があります。神様は私たちに「工夫する」能力を授けてくださいましたから、皆さんに心を開いて聴いていただけるよう、ベストを尽くしてまいりましょう。

 来年に向かって、不景気が更に深刻になることが予想されます。大学は出たものの、就職口がないかもしれません。あれやこれやと、挫折を味わう人が増えることでしょう。けいたい電話やインターネットの繋がりが、そうした人たちを救ってくれるでしょうか。更に、絶望の深みへ足を引っ張られる恐れすらあるのではないでしょうか。

 私たちもまた、同じような不安の時代を過ごしたことがあるのですが、それぞれ教会に導かれ、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8-12)というイエス様のみことばを信じ、クリスチャンとしての歩みを始めました。その選択は正しかったのです。私たちは、「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ9-33)という聖書のみことばが「真実である。」と証することができます。

 このクリスマスにも、「救い主イエス様!私の心にも来てください!」と願う人たちが起こされることを期待し、働かせていただきましょう。



無題 | 16:45:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
成功のカギは?

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ書9章2節)

 先日、年末恒例の今年の流行語大賞が「政権交代」に決まったと報道されました。しかし、これは流行り言葉というよりも、「歴史的選択」と見なすべきではないでしょうか。それは、国の基本的な方針が変わることであり、私たちは、その新しい枠組みの中で生活していくことになるからです。日本国民が選んだこの変革が、平和と社会正義の実現へと進むよう、新政権に神の導きを祈りましょう。

 旧約聖書に登場するネヘミヤは良きリーダーの模範とされています。彼は捕囚の民の一人としてペルシャ王に仕えていましたが、故郷エルサレムの城壁が崩れ、荒廃していることを聞き、その再建のために立ち上がりました。捕虜の身であるネヘミヤに、どうして、そのような大事業をすることができたのでしょうか。それは、単なる幻で終わっても仕方のないほど、途方もないことであったからです。

 しかし、そのビジョンは神から出たものであり、神ご自身が道を開き、事を成功へと導いておられました。ペルシャ王までが彼に協力し、城壁再建工事を後押しするほどでした。どうして、これほどまでに、周りの状況がネヘミヤを助ける方向へと動いていったのでしょうか。そのカギは、彼の不動の信仰にあったにちがいありません。

 もちろん、多くの人々がネヘミヤに協力しましたが、妨害する者たちも多く現れました。直接攻撃をしてくる者、巧妙なだまし事で忍び寄る者、これらの邪魔立てをネヘミヤは、どう交わしながら、仕事を推し進めていったのでしょうか。どうやら、彼の勝因は敵の戦術に乗ることなく、一心不乱に自分の仕事に専心した点にあるようです。

 アドベント(待降節)に入り、教会のクリスマスの集会案内を始めています。「あなたの心にイエス様なければ、クリスマスでも本当のクリスマスじゃない!」という歌がありますが、今の時代、そのような「救い主不在」のクリスマスだけがにぎわっています。だからこそ、教会が「やみの中に輝く光」なるイエス様を紹介させていただくのです。

 ネヘミヤが、いかなる妨害にも屈せず、使命を貫徹したように、私たちも地上天使となって、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2-11)と告げ知らさせていただきましょう。クリスマスの主人公イエス様こそ、信じるすべての人に、真の希望を与える救い主だからです。



無題 | 19:35:02 | トラックバック(0) | コメント(0)