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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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10年の足跡を顧みて、!です!

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

 1999年9月27日、すっかり日も暮れた甘木の町に、私たち家族は到着しました。今から10年前のことです。教会は既に12年経っていましたが、Iご夫妻だけが残って、かろうじて集会が継続されていました。しかし、十字架塔が威厳をもって立ち、伝道に必要な物は一通り備わっていましたので、私たちは希望をもって、宣教の準備を始めました。

 最初に取り次いだメッセージは、「そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。」(ネヘミヤ2-18)でした。崩れたエルサレムの城壁の再建に取り組んだネヘミヤのみことばを語りながら、「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」(2-20)と、自らを鼓舞する毎日でした。N姉の家族たちが遠路、熊本から草取りや掃除のお手伝いに来てくださったり、前任のY師やG師が十字架塔のペンキ塗りに来てくださいました。こうして、庭に花も咲き、4人だけの聖歌隊も始まって、どうやら、人をお迎えできる体制が整っていきました。

 その後の数年、隣人として気持ちのよいお付き合いをしてくださったKさん、Iさんの両ファミリーも、まさに、「主の山の上には備えがある。」(創世22-14)の約束どおりの方々でした。KちゃんとKちゃん、S君とR君、R君とAちゃんは、「おじちゃん、おばちゃん」と言って、よく来てくれ、Lの良い遊び相手になってくれました。彼らの心に蒔かれたイエス様の福音の種が、いつの日にか芽を出してくれることを祈っています。

 訪問できる知り合いもありませんでしたので、ただひたすら、教会案内の配布に回る毎日でした。私が講演で、2歳前後だったLを遊ばせている間に、N姉が案内を配布するというパターンが多かったです。そんな中から、Hさん、Hさん、Oさん、Tさんらが集まりに加わってこられました。また、その頃、I姉が八女郡の方から教会生活を再開してくださるようになり、大いに励まされました。

 こんなところが、私たちが着任後、に三年の様子です。あれから、10年、誰がこの新会堂を、また、今のメンバーたちが加えられてくることを想像できたでしょうか。まさに、みことばどおり、「天の神ご自身が」甘木聖書バプテスト教会を導き、祝してくださったのです。

 そのようなときを経て、今、私たちはここに集められています。これまで築かれてきた土台の上に、更に主イエス様の働きを大きく拡げていく教会を立て上げてまいりましょう。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」(Ⅰテモテ2-4)るからです。



無題 | 21:18:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
こうして、可能性を切り開きましょう!

私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。(第一列王記18章37節)

 イチロー選手がアメリカ大リーグで9年連続、200本ヒットの新記録を達成したということで、総理就任を前にした鳩山氏までが、「一郎に倣って、難問の解決に朝鮮しなければ。」と決意の程を話しておられました。国のリーダーとして立とうとする人にまで、良き感化を与える野球選手が、甲子園を目指す球児たちの中から出たわけです。彼のように、好きなことに打ち込んで、立派な業績を残していくことは、子どもたちをはじめ、多くの人たちの「やる気」を喚起することでしょう。

 私たちは先ごろ、信仰の良きモデルとして、エリヤとパウロについて学びました。そして、彼らはいずれも、私たち信仰者に、強烈な感化を及ぼしています。エリヤはたった一人で、850人の偽預言者に立ち向かったからです。彼は、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8-31)を実践し、真の神の御介入を信じて立ちました。そして、神はエリヤの祈りに、点から火を下して、応えてくださったのです。

 パウロは殉教を前に、「走るべき道のりを走り終え、」(Ⅱテモテ4-7)と言うことができました。また、「義の栄冠が私のために用意されているだけ」(8)と告白し、長年抱き続けた希望が、まもなく実現されることを信じて、心は喜びに踊っていたのです。

 このように、私たちは聖書を開くとき、いつでも彼らのような信仰の勇者に会うことができ、もうひとたび勇気を奮い立たされます。神は決して「沈黙の神」ではなく、今も私たちの祈りに、祝福をもって応えてくださる「生ける神」であることを知るからです。

 聖歌の作者は、「火を呼び下し、雨を降らしし、エリヤも我と同じ人なり。昔も今も変わりなき主は、我が祈りにも必ず応えん。」(253番)と歌いました。エリヤもパウロも信仰の偉大なモデルですが、この讃美歌作者の信仰もまた、見習いたいものです。わたしたちもまた、「我が祈りにも必ず応えん!」と声を大にして賛美しようではありませんか。

 新装鳩山内閣が船出しました。神の導きを切に祈ります。しかし、この悩める時代に、真の救い主イエス様をご紹介できるのは教会だけです。この秋、主が私たちを通して、大いに、みわざを為してくださることを期待し、心を合わせて、主にお仕えしてまいりましょう。



無題 | 15:56:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
モラル低下の時代に、聖く生きるには?

神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。(第一テモテ3章15節)

 先日、J姉がフィリピンのバプテスト教会から甘木聖書バプテスト教会への転入会の希望を申し出られました。これから、姉の所属教会の牧師に送籍願いをしようとしています。日本人と結婚されて来日されて弐年、まだ日本語の不自由さはありますが、かつて日曜学校の教師もしておられたというだけあって、信仰生活が深く根を張っているのを感じます。この国際的な協会員籍の移動は、創立22周年を迎えた私たちにとって、喜ばしい記念となることでしょう。姉の飯塚の地での証、遠路の教会生活のため、お祈りさせていただきましょう。

 もう一つの記念は、牧師家族が甘木に導かれて以来、今月末で、10年間の働きを終えようとしていることです。イエス様の教会建設の任をいただいて、「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3-13)という気持ちで歩んできましたが、気がついてみたら、10年分の足跡が、うしろに残ったということです。せっかくですから、この足跡を本にして残したいという夢があります。10年間書き続けてきた週報のメッセージを編集してみたいというビジョンです。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1-6)のみことばに励まされて、この仕事にも着手してみます。

パウロは、「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず」(Ⅱテモテ4-3)、「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行く」(4-4)時代について警告しましたが、今まさに、そのことが実現しています。神はモーセを通して、人が生きる基準としての「十戒」を授けられましたが、果たして今、どれだけの人がこの十戒について聞いたことがあるでしょうか。善悪の基準を授かったことは、人類の宝ではなかったのでしょうか。

 今、私たちは、「殺してはならない。」(出20-13)という十戒の一つを聞かされていない社会の恐ろしさを経験しつつあります。「盗んではならない。」(15)という教えを骨身に沁みて知らされていない社会の脅威を味わっています。神の法を背骨とせず、さまざまな知識の贅肉だけを蓄えていくとき、人はどこか怪しげなものになり下がっていくのです。

 今、地球の温暖化を食い止めるために、温室効果ガスの削減が人類共通の努力目標とされています。しかし、今日のモラルの低下の問題は、それ以上に真剣に取り組むべき問題です。なぜなら、地球の環境汚染も人の罪が引き起こしてきたからです。神の法に立ち返らずして、人間の対策だけを試みても、結局、どうどうめぐりを繰り返すことになるでしょう。

 イエス様は、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4-17)と語り宣教を開始されました。そして、イエス様の弟子とされた者たちが、22年前、この地で主の命に従って、福音を伝え始めたのです。主イエス様の十字架から、脈々と受け継がれてきた福音宣教のバトンは、今、私たちの手の中にあります。この最も高貴な使命のために、喜んで私たち自身を捧げてまいりましょう。



無題 | 16:13:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
私たちは、この「宝」を紹介しています!

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。(ヨハネ伝14章27節)

 衆議院議員選挙は民主党の大勝に終わり、政権交代が実現することとなりました。アメリカのオバマ大統領の選出に次ぎ、日本の民意も「change(変化)」を望んだ結果でしょうが、私たちは、「これもまた神の御意志の表れ」と受け止め、新政府のため、神の導きを祈ってまいりましょう。聖書は、「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13-1)と教えています。この日本に立てられた教会が、「上に立つ」公僕たちのために祈っていくことは、ふさわしい奉仕であるにちがいありません。

 約束の新天地へ入って行こうとするヨシュアに、神は、「すべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。」(ヨシュア1-7)と、繁栄の原理を明らかにされました。今、私たちは、この「律法」を「聖書」と解釈できます。すべての繁栄は神の祝福に依るもので、人が踏み行うべき道は、聖書の中に、ことごとく明らかにされています。歴史を顧みて、神の戒めの言葉に背いて、栄えた国家があったでしょうか。個人であれ、会社であれ、神のみことばを尊び、聞き従うならば、栄えるのです。

 イエス様は、「決して誓ってはいけません」(マタイ5-34)と戒められましたが、新政権は、し過ぎるほどの公約をしています。これから、それらの公約を実現するために、全力を尽くしてくれるのでしょう。しかし、「人を恐れるとわなにかかる。」(箴言29-25)とあります。民を喜ばせるだけのリーダーでよいのでしょうか。政治とは民意に耳を傾けていさえすれば、事足りるのでしょうか。前掲の箴言には、「主に信頼する者は守られる。」という極めて重要なみことばが続いていることを覚えてほしいものです。

 では、教会はこの時代の人々に、何を提供できるでしょうか。ペテロたちが言ったように、「金銀は私にはない。」(使徒3-6)のです。しかし、私たちは、イエス・キリストこそ「いのちに至る門」(マタイ7-14)であることを知っています。だから、臆することなく、「私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と伝えることができるのです。

 イエス様を信じる者に、主は、「たましいに安らぎが来ます。」(マタイ11-30)と約束しておられます。これこそ、現代の悩める人々が求めているものではないでしょうか。この秋も、一人でも多くの人たちが「たましいの安らぎ」を持つことができるよう祈りつつ、主の証を続けてまいりましょう。



無題 | 20:24:33 | トラックバック(0) | コメント(0)