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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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人生の確かな道案内は?

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119篇105節)

 先礼拝で、四面楚歌の状態に立ち至ったイスラエルの民に向かってモーセが語った、「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」(出14-13)というみことばを学びましたが、すぐその後で、現実にそのような場面が起こりました。当日は地域対抗の小学生ソフトボール大会が行なわれていました。

どんな様子か出かけてみますと、ちょうど息子のチームの決勝戦が始まっていました。弱小チームがよく決勝に残ったものだと感心していると、案の定、たちまち大差をつけられてしまいました。その時点で誰の口からも出そうもない「さあ、逆転するぞ!」という言葉を叫んでみました。

そうすると、どうでしょう、信じられないほどの連打に次ぐ連打ではありませんか。ついには、息子の3ランホームランまで飛び出して、優勝してしまったのです。何も私の一言が奇跡をを起こしたなどと言うのではありませんが、
絶望的な状況の中であっても、希望の言葉を発することの大切さを教えてくれる出来事でした。まさかの逆転劇に、子どもたちはもちろんのこと、応援団の喜びようも大変なものでした。

 エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエルの民を、主は雲の柱、火の柱の中におられて、守り導かれたことも学びました。これもまた、確かに驚くべき主の恵みでした。しかし、今、私たちの手に完成された神のみことば、聖書があることは、それ以上に確かな道案内です。また、横道に反れようとすれば、聖霊がブレーキをかけてくれます。教会に加えられていることによって、兄弟姉妹と共に祈り合い、励まし合うこともできます。私たちが、「今は恵みの時、今は救いの日」(Ⅱコリント6-2)に生かされていることを感謝しようではありませんか。

 今年も市民音楽祭の準備が始まりました。役員会の帰り、あるご婦人が、「讃美歌はいいですね。」とおっしゃいました。「どうぞ、一緒に歌いましょう。」とお誘いしました。讃美歌を歌う聖歌隊が出演することは、市民音楽祭の内容を豊かにすると信じます。詩篇と共に、「私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。」(26-12)と告白しましょう。主が私たちの証の歌を用いてくださるにちがいないからです。

 イエス様は、「労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6-34)とも、「あなたがたは、世にあっては患難があります。」(ヨハネ16-33)とも語られました。天国への旅にも、労苦や艱難は付き物のようです。しかし、主は必ず、「試練とともに、脱出の道も備えて(Ⅰコリント10-13)くださいます。どんなときにも、この主イエス様に信頼して歩んでまいりましょう。



無題 | 14:11:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
罪意識を、どう教えたらよいのか?

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22章6節)

 先日、学期末恒例の授業参観で、五年生の道徳の授業を見せてもらってきました。お店で買物をして、おつりを余分にもらい、「もうけた!ラッキー!」と喜んでいた子が、「折り紙が一組余分に入っていました。」と言って返しにきた、低学年の子の正直さによって気づきを得、「やっぱり、返しに行こう。」と、おつりの500円玉を握る話が、テキストとして使われていました。

子どもたちの反応として聞こえてきたものの中には、「つり銭をまちがったお店の人が悪い。だから、返さなくてもいい。」とか、「返してもいいけど、わざわざ、そのために、もう一度お店へ行くのが面倒くさい。」とか、「お店の人も悪いんだから、半分だけ返せばいい。」といったものがありました。すべてのことを見ておられる神様について教えることなしに、「正直」や「誠実」の心を養うのは難しいことだと感じながら、聞いていました。

 聖書は十戒の八番目において、「盗んではならない。」(申命5-19)と命じています。これは、すべての人が聞き従うべき神の命令です。そして、第一に認めらるべきは、神の所有権です。詩篇において、神は、「世界とそれに満ちるものはわたしのもの。」(50-12)と宣言しておられます。人に、その一部の管理が任されていますが、その究極の所有者は神様です。果たして、私たちはお預かりしているものを、どれだけ忠実に管理しているか省みてみましょう。

 盗みが罪であることを教えることは、額の大小にかかわらず、極めて大切なことです。これほど万引きが常習化していたり、引ったくりや振り込め詐欺が頻発している根っこに、この罪意識の欠如があります。いや、むしろ、罪に関する教育の欠如と言うべきかもしれません。そして、その責任はと問われれば、このみことばの価値を知る教会であるはずです。

 立派な仕事に就きながら、業務上横領で失職したり、脱税で制裁金を課せられたりするニュースを聞くことがあります。いくら能力の高い人でも、金銭管理がルーズであっては、信用できません。イエス様は、「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マタイ22-21)と教えられました。これは、キリスト者が持つ、国家と教会に対する責任を意味しています。

 聖書は神との関係について、「私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇100-3)と教えています。イエス様を主と告白する私たちは、私たちの時間、能力、財を賢く管理し、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(マタイ25-21)と、イエス様にお会いする日に、お褒めの言葉を掛けていただけるよう、努め励んでまいりましょう。



無題 | 17:50:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
悪い時代にあって、「正しく生きる」とは?

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(第一コリント15章3節)

 パウロはテモテに宛てた手紙の中で、「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」(Ⅱテモテ3-1)と書き送りましたが、これは、今の時代への警鐘でもあります。たとえば、「節制のない者、粗暴な者」(3-2)が増えるとありますが、最近の無差別な犯罪の増加は、世の終わりの兆候の現われと見なすことができるでしょう。「金を愛する者、神をけがす者、感謝することを知らない者」なども、現代人に多く見られる資質であるように感じます。そして、パウロは、「こういう人々を避けなさい。」(3-5)と注意を促しています。

 幸いなことに、私たちには集い合う協会があります。イエス様が身を挺して買い取ってくださった教会が。そこで、真の神を賛美し、みことばを学び続けることにより、私たちは悪の力から守られていくのです。健全な福音に立つ教会に加わることなしに、信仰者が悪の影響を避け、豊かな霊の実を結んでいくことは、不可能であると言えるでしょう。

 最近、礼拝に集う方々が増やされていることを主に感謝します。また、新しく集い始めておられる方々が喜んでおられるご様子なのも、何よりです。しかし、教会は手放しで喜んでいて、よいわけではありません。後から来られる方々に、私たちが立て上げようとしている教会が、どのようなものであるかを証する責任を負っています。

 パウロはコリントの教会に起こった混乱を正すために、「だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」(Ⅰコリント3-11)と書き送りました。どんなに時代が変わろうとも、私たちの礼拝の土台が、このみことばから動くことはありません。イエス・キリストを主と告白した者がキリストの死と復活に与るバプテスマを受け、教会と共に、イエス様の福音宣教の働きを担っていくのです。

 イエス様は、「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10-10)と語られました。イエス様の教会に属する聖徒たちは、豊かないのちを約束されています。しかし、その「豊かないのち」とは、全く欠けや不足がないという意味ではありません。そのことは、パウロが、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12-9)と語っていることからも明らかです。

 私たちは、「ひとりの罪人が悔い改める」(ルカ15-10)ことを、神の御使いたちと共に喜びましょう。そして、主がお命じになった「バプテスマ」と「主の晩餐」の二つの「定め(ordinance)」を、忠実に執行し続けてまいりましょう。



無題 | 20:05:36 | トラックバック(0) | コメント(0)